ミッドサマーイブ

 クラウドは「自分用」の小屋を建てるのだと息まいている。彼はもちろん学校へなど行っていないし、建築の勉強などしていない。しかし恵まれ祝福を与えられた、器用な指をもっている。クラウドの頭のなかでは、その小屋には広々したウッドデッキがあり、なにやらすてきなロフトがあり、石積みの暖炉があり、もちろんちゃんとした煙突がある。ロフトは「秘密基地」になるらしく、階段をのぼっていくと、ベッドがあり、大きな窓をとってあって、いつでも外を眺めて楽しめるようになっている。
 小屋は森の家から少し離れたところに建設中だった。クラウドいわく「あんたに腹立ったとき」や「飽きそうな気配を感じたとき」や「とにかく飽きたとき」のために、クラウド・ストライフによるクラウド・ストライフのための小屋は、なんとしても必要だった。そもそも彼には仕事が必要だった。手先を動かすことが、なにかものを生み出すことが、無限に広がる時間をつぶす行為が。
 小屋が完成したら、クラウドは次に焼き窯をつくりたいと云っている。彼は一日じゅうそんなことばかり考えて仕事をしている。セフィロスはぜんぜん関与しない。クラウドが小屋の前にふたりがけのベンチをしつらえたので(ただしセフィロスが「アホみたいにでかい」ので、寸法はやや大きい)、ときどきそこに座って、仕事をしているクラウドを眺めるくらいだ。手伝ってもいいが、クラウドはひとりでやりたがっている。誰かとなにかをやるくらいなら、死んだほうがましだと云いだすような男だ。
「昔、十八になったら」
 クラウドはベンチに座って、サンドイッチをもぐもぐやりながらふいに云った。春は終わりに近づき、夏はまだ来ていなかった。クラウドが小屋の制作をはじめてから、もう一年と半年近く経とうとしていた。
「おれはあんたと結婚して」
 セフィロスはそのときクラウドのつくった鉱石ラジオから流れてくる番組に聞き入っていた。ラジオはベンチのそばにある切り株の上に置かれている。ガラス瓶にコイルを巻いて、検波器とスピーカーをくくりつけたのを、クラウドは余った板切れでつくった箱のなかへ入れた。「ラジオ気分」のために箱からはアンテナがのびており、ふたの上には持ちはこび用の真鍮の取っ手がついている。ラジオは電波をよく拾い、ときどきとんでもない地方の放送を拾ってくることもある。
「あんたを養わないといけないと思いこんでた」
 なぜそんな話になったのか? セフィロスはちょっと考えたが、きっとラジオのせいだ。いま流れているのは、「恋愛セラピスト」なるあやしげな職業の男が、カップルからの相談を受けるという番組だ。目下その番組に出演中のカップルは、お互いになにも不満はないのに、なぜだか結婚の話が進まないというので相談に来ていた。ほんとうに、彼に不満なんかないんです……両親にも会いましたし……と女。つきあってどれくらいになるの? 六年です……わたしの前の職場で出会って……わたしはそのあと転職しましたけど……
「家を買ったり、毎月生活するのに必要な金はいくらくらいなんだろうって、十五の身空でまじめに考えた」
 正確には引き抜かれたんです……幸運なキャリアアップでした……いまの地位には満足しています、でももっと先を目指したいと思っています、子どもの教育にはお金をかけたいですし……。では、あなたのほうはどうです? 話をふられた男は、ちょっと口ごもっている。
「あんたポンコツだから、おれが身を粉にして働こうって考えた。ザックスが、てめえで働いて、てめえひとりと、もうひとりかふたりくらい養えないやつは男じゃないって、ゴンガガじこみだかゴンガガの母ちゃんじこみだかの男の美学を語るから、おれたぶん影響されて」
 もちろん、ぼくにだって不満はないですよ。彼女はぼくにはもったいないくらいの女性です。有能で、すばらしいキャリアを持っています、いつまでも出世しないぼくとは違ってね…………
「自分もそういう人生を送ると思ってた。金ためてバイク買って、家のローンとか組んで、借金に頭かかえて、今月金が足りないとか、仕事を辞めたいとか、そういうことでザックスに突撃して迷惑かけて、いい加減にしろって云われて、おれがやだねって云って、喧嘩になるようなやつ」
 彼は重要な仕事をしてるんです、わたしのように気軽に転職できないようなポジションなのよ……いや、そう云ってもらえるのはうれしいけど……はは……彼女のご両親には会ったの? ええ、立派な人たちでしたよ。おふたりともすばらしいキャリアをもってます……
「でもよく考えたら、あんたのこと選んだ時点で、そんな現実的な人生送れるわけなかった。どっちみちかけ落ちじみたことしなきゃなんなかったろうし、そんなの別にいまとあまり変わらなかった。で、おれ、順調に道を踏み外してってるなって思った。話終わり」
 クラウドはサンドイッチを食べ終えて、ズボンで手をぬぐい、腕で口もとをぬぐった。こういうくせがいつまでもなおらない。たぶん死ぬまでなおらないだろう。ハンカチやタオルを持ちあるいて、すました顔で拭くようなクラウド・ストライフは、きっと未来永劫この星にあらわれないだろう。
 クラウドは清く正しい肉体労働者であるために、これからハンモックで昼寝をしなければならない。クラウドのすてきなハンモックは、彼が木を切りたおして「開墾」した小屋のまわりの土地と森との境目の、二本の木のあいだに結ばれてぶら下がっている。クラウドは行きがけにラジオを切ってしまった。あの番組は、これからがおもしろいところだったのだが。男のキャリアや収入に関する複雑な感情があらわになり、劣等感が浮き彫りにされて、男は苦悩するだろう。女のほうは、おそらくそんなことにはまるで気がついていないだろうから、きっとたまげてしまうだろう。こんな問題は、ほんとうは一度や二度の「セッション」などでは解決するはずがないのだ。特に、ささいなことにいちいち自尊心をうずかせるような男の場合には、話はかなりやっかいだ。
 クラウドはハンモックに転がって、三秒で寝てしまった。安全に感じられる場所なら、横になれば眠ることのできる子だ。少しでも彼の眠りを心地よくしてやろうとの優しい心くばりから、風が静かにハンモックを揺さぶりにかかった。金髪がさらさら揺れだした。日差しまでもが眠たげに、物憂い色をあたりに投げかけた。クラウドが眠ってしまったので、みんなも昼寝につくように、と誘いかけているかのように。
 セフィロスは本を開いたが、どうも集中して読みすすめることができなかった。クラウドは昔からまるで計画性のない子だったが、そのくせときどきびっくりするほど先のことを考えていた。まるで現実的な性格でないのに、たまにあきれるほど現実的に……というよりほとんど即物的に、ものを考えた。クラウドが結婚というとき、それは甘い夢想をはらんだものではなくて、ほとんど生きぬくための手段なのだ。ふたりともに生きのびるための。クラウドにとって、いまも昔も、世界はおのれの存在をおびやかす敵なのだ。彼はおのれを守りぬかねばならない。そしてセフィロスのことも守りぬかねばならない。それをクラウド・ストライフは「十五の身空」で考えたのだ。
 彼の感情を、人によっては決して愛と呼ぶまい。それは自己保全の本能から、確かにそれほど進み出てはいない。生まれてきたからには生きのびねばならないが、クラウドの場合たまたまそこへセフィロスをつけくわえてくれただけのことだ。だがクラウド・ストライフの生命活動のなかへ組み入れられるとは、貴重なうえにも貴重であり、名誉なうえにも名誉なことだ。あのラジオの男も、これくらい相手の女に惚れていれば、自分の自尊心など持ちださずにすんだだろうに。
 ハンモックは相変わらずゆらゆら揺れ、クラウド・ストライフはゆりかごにいるように揺さぶられて眠っている。夢でも見ているのか、クラウドは急にもぞもぞ動き、足をちょっとばたつかせた。その拍子にかけていた毛布が落ちたので、セフィロスは歩いていって、拾ってかけなおしてやった。眠るクラウドは子どもの顔をしている。なにも知らぬげな顔をしている。華奢な感じのする顔の骨格をなめらかな皮膚が覆っている。黄金の色をしたまつ毛が頬骨に向かって落ちている。こましゃくれた感じのする鼻先は相変わらずこましゃくれてちょっと上を向いている。鼻の頭にかすかに汗が浮いている。暑いのに、なにかかけるものがそばにないと眠れない子ども。暑苦しいのに、誰かが横にいないと眠れない夜のある子ども。
 ハンモックのそばに、ジャコウソウの茂みがある。クラウドが小屋を建てはじめたとき、セフィロスが冗談のようにして別の場所からとってきたのを植えたのだが、あっという間に広がってしまい、いまでは我が物顔であたり一帯を占領するまでになっている。そして春先から初夏まで淡い紫の美しい花を咲かせている。セフィロスはひとつとってきて、クラウドの髪の上に置いた。するとたいへん喜ばしい景色ができあがった。それでふと思いついて、セフィロスは茂みをかきわけ森の奥へ入ってゆき、いくつも花をとってきた。ヒヤシンス、ヒナゲシ、アネモネにミモザ、そしてクラウドの上にまわりにばらまいた。彼は眠る妖精の王のようになった。喜ばしい景色が広がった。
 目が覚めたら、この王はきっと犬のように体をふって花をふり落としながら、ぶつぶつ文句を云うだろう。それからはちまきをして、午後の仕事にかかるだろう。小屋の完成ももう間近だという。そうしたらクラウド・ストライフはセフィロスから独立した家を持つものになるのである。セフィロスは少しの寂しさと好奇心と喜びをおぼえる。クラウド・ストライフがいかにセフィロスのようになりたがり、セフィロスとひとつになりたがったとしても、やはり彼はこうして離れても行くのである。ひとつのなかのふたつ、あるいはふたつのひとつであると云うべきか、クラウドが独立して自分と別個の人間であればあるほど、別のものであるもどかしさは増し、一体となることの喜びも増し加わるわけだ。
 別々のふたつのものがひとつとなるとき、それは喜びである……この真理をほんとうに理解したとき、ラジオ番組の男も、相手の女へのあこがれと嫉妬を乗り越えて、否、あこがれのゆえに、女とひとつになるだろう。

 クラウドはときどきとても口数が多く、ときどきとても口数が少ない。彼はもともと社会的動物とはほど遠い。だからいまの生活は彼にはたいそう具合がいいらしい。問題は、同居人がセフィロスなことくらいで、「ときどき殺してやりたく」なり、「たまにぶん殴ってやろうかと」思うが、このいらだたしい同居人も、少なくともクラウド・ストライフに寂しさを感じさせない程度の役には立っているようだ。人嫌いで寂しがりという矛盾した性質を、どうしてひとりの人間がひとつの身体のなかにもっているのだろう。激情家の氷のような冷たさ、楽天家の小心、自信家のおののき、怯懦のなかの傲慢。極端から極端へ、人の拡張はとどまるところを知らない。そして最後に、それに押しつぶされ、おのれを神のごとき者だと思いなす。
 クラウドは自分用の小屋のために、まずは木こりになることからはじめた。「おれ今日から木こりになる」と云い、彼は木材を欲する旨をセフィロスにわめきたてた。いわく、森には無料の木材があふれている。セフィロスはよかろうと云い、しかしいずこの木を切るべきかは森の意志を尊重せねばならぬ、と云った。そしてクラウドと連れだって出かけ、風が流れているほうへ流されるように歩いていった結果、少し開けた場所を見つけた。このあたりに小屋を建てるべく作業をするがよかろうとセフィロスが云うと、クラウドはにんまりあたりを見まわして、森をハゲにしてやると剣呑なことを云い、さっそく斧をふりまわして土地を「拡張」しにかかった。森はおののくように木々をふるわせた。昔はあんなにかわいかったのに、なぜこんな乱暴な子に育ってしまったのかしら、と嘆く母親のように。だがセフィロスは思ったものだ、クラウドは昔から剣呑な子だったのであって、いまようやく彼の剣呑さに彼の能力が追いついたのだ、と。彼はこの世の王である。王たる者のもつ力を、力いっぱい破壊することの喜びを、そのどこか子どもっぽい喜びを、彼はいま斧をふり回しつつ存分に楽しんでいるのだ。
 木こりの仕事は膨大だった。木こりは木を切り、運びだし、丸太のままで乾燥させ、木材にして乾燥させた。これに二年もかかったが、木こりは文句も云わないでやりとおした。仕事の副産物として、大量の薪ができた。木こりは放蕩者だったので、盛夏の夜、星空に向かって大量の薪を積みあげ、火をつけて、みんな燃えてしまうがいいとばかりにばかでかい火を燃やしたりした。そして牛を丸ごと焼いてみたいとわめいたが、あいにく牛はいなかった。そこでふたりは牛を焼くかわりに、火のまわりをぐるぐる回った。クラウドは突然反対側に回りだして、セフィロスとはちあわせになって笑い転げた。それから急に静かになって、地面にばったり倒れた。
「星が光ってる」
 クラウドは仰向けに転がって云った。
「みんなくたばりゃいい」
 二年のあいだ、木こりはまったく健康的な生活を送った。日の出とともに起きだして、作業場へ向かい、木を切ったり磨いたり、オイルを塗ったりして時間を過ごし、昼どきになると「弁当係」のセフィロスが運んでくる食事をとり、ハンモックで昼寝する。彼はリスかなにかのように丸まって眠る。どうしても毛布を落っことすので、そうするとセフィロスは拾ってやる。木こりはすやすや眠っている。眠っているときの木こりは子どもの顔をしている。胸が苦しくなるほど懐かしい顔をしている。この顔を一度は失ったと思ったが、まだ失っていないことを、誰にどう感謝したらいいのかセフィロスにはわからない。
 小一時間で目覚めると、木こりはまた作業に戻り、暗くなるまで仕事をして、足もとがおぼつかなくなる前に帰ってくる。風呂に入り、食事をし、九時か、ひょっとすると八時にはもう夢のなかにいる。そしてまた明け方からごそごそやりだす。
 木こりは厳格な週休二日制をとり、土日には決してなにもやろうとしなかった。曰く、曜日の感覚を保つため。週末には、クラウドのラジオはテーブルの上に置かれる。クラウドはたいていラジオをつけっぱなしにしている。ラジオは物憂く、低く音を流している。雑音が入りはじめると、クラウドはいっぱしの技師みたいな顔をして、チャンネルを調整しにかかる。
 彼はラジオの組立てや、木こりのわざや、建築の技術を、故郷にいるうちにみんな習いおぼえた。彼は学問を嫌悪した。文字を書いたり計算式をやったりするのは「かったるくて」性に合わなかった。それでほかの子どもたちが学校へ行っているあいだに、彼は村のなんでも屋とでもいうべきおやじについていって時間を過ごした(とはいえニブルヘイムにおいて学校というのは、「年とった雌鶏みたいなガリガリババア」が、「つぶれかけの小屋」で「朝から晩までぎゃあぎゃあ」鳴いているようなところであり、正常な精神の持ち主であれば「一分だって耐えられない」ようなものだった)。なんでも屋のおやじはなぜかクラウドと気があった。というより、馬が合うあわない以前の段階につきあいをとどめるやり方を心得ていたというべきだ。おやじは無口だった。クラウド・ストライフも無口だった。おやじは指先を動かし、クラウド・ストライフは目と指とでそれを模倣した。
 おやじは昼どきになると、ときどき鳥をつかまえて昼食にした。ウサギのときもあった。ニブルヘイムの郷土名物である頑固な霜に見舞われ、地面の下の芋でさえも全滅してしまったような年には、鳥やウサギも飢えていて、あらゆる獣が飢えていたため、食事は命がけの行為になった。クラウド・ストライフはほどなく銃の扱いを覚え、ナイフの扱いを覚えて、母親のために余分のウサギくらい持ち帰ることのできる身分になった。母親は音楽を愛したが、家には音を鳴らせるものがなかった。そこでクラウド・ストライフはラジオを作ったが、主としてニブル山のせいで、電波は弱く滞りがちだった。ときどき雑音に混じって音楽がかすかに聞こえてくることがあり、日によってはずいぶんよく聞こえる日もあった。そんなとき、母親はうっとりと耳を傾けた。それで息子はあるとき村にやってきた行商人からオルゴールをくすねて母親にやったが、母親は悲しげな微笑を浮かべただけだった。息子は自分でハンドルを回してオルゴールを鳴らし、分解してどうなっているのか調べた。それから相変わらず外でナイフをふり回し、いっちょまえに斧などふり下ろした。
 クラウドに斧を扱わせると、斧のほうでおののくようである。彼の薪割りは呪詛のようである。それは血にまみれた飢えた労働である。もっとも、いまクラウド・ストライフは飢えるにおよばず、彼は生きるために生きるのでない。彼の労働はいま彼の自由な精神から出るのである。自分の小屋を、自分の「秘密基地」を建てるのだという彼のあこがれから出るのである。十四でニブルヘイムをあとにしたとき、クラウド・ストライフは口減らしという言葉の意味を理解していなかったか。ヒトという種の生存戦略がどのようなものであるか、彼ほど本能的に理解していた子があったろうか。そして彼ほどそこになじまない子があったろうか。
 原始的労働には、原初の姿がやどる。木こりの次に、クラウド・ストライフは大工になった。「おれ今日から大工になる」と云い、木材をあれこれ並べたて、小屋のかたちを作りだした。それにはまるまる一年半かかった。ちょうど太陽がもっとも北へ傾いたころ、小屋は完成した。その間セフィロスはずっと、小屋に立ち入り禁止、のぞきも禁止、というきびしい法の監視下に置かれた。クラウドがなにかを命ずるときそれは必然的に可変的法というより永遠法である。セフィロスはそれを拝受する。天使が拝受するごとくに。
 大工はそのうるわしい頭にはちまきを巻いて、汗がでるの屋根の上が耐えがたいのと云いながら、立派に小屋を建ててみせた。だがセフィロスの目には(クラウドいわくかなり「とち狂った」目らしいが)、クラウドの頭のはちまきは、夏至のおとずれを祝う日に人々がこぞってかぶる花冠に見えた。

 あたかも夏至の直前の金曜日であった。クラウド・ストライフはとうとう小屋を完成させた旨を正式に通達してよこし、ついては火入れの儀をおこなうため、おごそかに来るべしとのおふれをふれて回った。
 夕方であった。やさしいバラ色とすみれ色があたりを静かに浸しはじめるころ、セフィロスは出かけていった。手に花束と花冠をふたつもっていた。クラウドは小屋のドアを開けはなち、そこに立っていた。ウッドデッキには、どこから拾ってきたものやら、古めかしいすり切れたような絨毯が敷いてあった。セフィロスはそこらじゅうへ花をまいた。クラウドはそれは思いつかなかったと云った。そうしてセフィロスから祝いの花束を受けとった。
 小屋はクラウド・ストライフの独立した家であるからして、家の火はクラウド・ストライフのものでなければならず、家のあるじは火をおこすところからはじめた。セフィロスは火入れが終わるまで小屋の中へ入ってはならぬと云われたので、玄関に立って見ていた。あるじは枝と余った板切れとを使って、摩擦をかけて煙をおこした。藁くずや葉っぱをあつめた火口に枝をそっと移し入れ、息をふきこむと、はじめ煙しか見えなかった火はほのかに赤く光りだす。それを暖炉の薪の上へ置くと、ゆっくりと時間をかけて、火は大きくなり、やがてぱちぱちと燃えはじめる。
 あるじは火を起こし迎えながら、故郷の村の「七百年も生きてたようなしわくちゃのばあさん」から教わった火のはじまりの歌を歌ったが、たいへん古い言葉でできた歌であるために、村の誰も、しわくちゃばあさん自身も、もはやその意味を知らないのだった。ばあさんはほかにも「山の獣をまつる歌」「そりづくりの歌」などを知っていたが、誰も興味をもたないために、ひまそうに見えるクラウド・ストライフ少年に歌って聞かせたのだろうとクラウドは云った。「最近の子どもらは学校たらいうのに行くばかりで遊ばないよ。遊ばないのはよくないよ」……実際にはクラウド・ストライフ少年は、食料を得たり、技術を習いおぼえたり、けっこう忙しかったのであるが。
「あんたさ、なんでも知ってんだから、この歌の意味わかんないの?」
 だがセフィロスはあいにく百科事典ではなし、ライフストリームから得られる知識はそうした個別具体的なものにまつわる知識ではないのだと云ったが、クラウドはあまり納得しておらず、セフィロスはまたも役立たずの烙印を押されてしまった。クラウド・ストライフのお気に召すのは実に難しいことなのだ。彼の要望に期待どおり応えることは、きっと死ぬまでできないだろう。
 火入れが終わると、家ははじめて家になる。火を招き入れ管理する者こそ家の主人であり、それは独立と尊厳のあかしになる。クラウドは暖炉で満ち足りて燃える火を同じように満ち足りた顔で眺めてから、実にもったいぶった顔で、セフィロスを小屋のなかへ案内してくれた。
 クラウドいわく「あんたが二十人は寝れる」設計の、広いウッドデッキを通って玄関をくぐると、暖かみのある木の色合いが目に飛びこんでくる。クラウドが「選びに選んだ」オイルのおかげで、木材はすこし赤みがかった豊かな風合いにつつまれて壁や天井を形づくっている。天井はとても高く、屋根の形そのままに、三角の形をしている。入って左手に石を積んだ暖炉があり、前には毛皮が敷かれていて、クラウドが「命がけで足削った」揺り椅子がある。暖炉の奥は「作業場」で、壁に金槌やのこぎりや道具がいっぱいぶら下がっており、暖炉の向かいがダイニングで、手作りのテーブルと細い丸太を組んで作った椅子が二脚、それに家主が料理するかどうかははなはだ疑問だが、一応流し台も置いてある。テーブルの上にはクラウドのつくった鉱石ラジオが、どこかすました顔をして鎮座している。
「あんたにはまた別のをつくってやるよ」
 クラウドは生意気にそう云った。
 ダイニングの先がクラウド自慢の「秘密基地」であり、十段ほどの階段をのぼると(ちゃんと手すりがついている)、大きな窓から明かりの差しこむロフトだ。ロフトは柵でかこまれていて、壁には小屋の設計図が貼りつけられており、「自家製特大」のベッドが置いてある。ベッドの上に、いつだかクラウドが打ち倒した(撃ったのでない)鹿の角が、ロープでもって天井からぶら下げられている。
「オブジェってやつだよ」
 とクラウドは云った。セフィロスはすっかり考えこんでしまった。
 ベッドのまわりには、なにやら作りかけの楽しそうなものがいろいろと置いてあって、なぜか天体模型もある。きっと「そのへんに落っこちてた」のだろう。クラウドは「落っこちて」いるものを拾ってくる天才なのである。さらに「そのへんに落っこちてた」シリーズは続き、落としもののシャワーヘッドと浴槽を使って、ロフトの下に風呂場まで作っていた。いったいどこにそんなものが落ちているのかセフィロスは知らないが、クラウドは知っているのだろう。風呂場はガラスをはめこんだ壁に囲まれていて、いつでも「全開にして換気できる」。
「あんたにむかついたら、おれこの小屋に避難するんだ」
 クラウドは得意げにそう云った。
「それで、一ヶ月くらい出てきてやらないんだ」
「その間おれはここに立ち入ってもかまわないのだろうか」
「おれがいいって云ったらね。食い物届けるときとか」
 とすると、やっぱりここの家主は自分で料理するつもりはないのだ。

 セフィロスは小屋の完成を記念して、桂冠詩人ならぬ戴冠大工としてクラウド・ストライフをたたえるため、金髪頭に花冠をのせた。クラウドはそれで、本日が奇しくも夏至の前の金曜日であることを思いだし、セフィロスの頭にも花冠をのっけてくれ、急遽小屋の前に焚き木を組んで、暖炉から火をとり、大きな焚き火をこしらえた。日が長く、外はまだ完全に暗くなってはいなかった。彼らは焚き火から火をとって、薄明かりのなかを森に入ってゆき、咲きみだれる花のなかに転がったり、年老いた大木のまわりをぐるぐる回ったりして、夏至の前夜を楽しんだ。クラウドのばかでかい焚き火は、ずいぶん遠くからでも赤々と煙をあげて見え、帰還の目印になっていた。
「ここからあっちのほう見ると、空のはじっこのほうが赤くなってて、空が燃えてるみたいだ」
 ふたりは森を抜けて、小高くなって開けたところまでやってきていた。並んで座ってひと休みしながら、クラウドは楽しそうに云った。彼が首を傾けて笑うと、花冠が揺れた。薄明かりのなかで、彼は妖精の王のようだった。
「おまえが燃えろと云ったら、空も燃えるだろう」
 セフィロスは云った。
「おまえが落ちろと云ったら、星も落ちるだろう」
「あんた落っことしかけたことあるしね、隕石だけど」
 クラウドは皮肉っぽく云った。花冠が揺れ、彼は妖精の王のようだった。
「なんかみんな夢だったみたいだ。おれの夢」
 クラウドは星空を見上げて云った。花冠がすべり落ちかけて、彼はあわてて手で押さえた。彼の目は星を散らしたように光っていた。
「確かにおまえの夢だった」
 セフィロスは云った。
「おまえはそれをかなえたので、それは終わった」
 クラウドはセフィロスを見上げた。クラウドの目は濡れたように光っていた。
「おれときどき思うんだけどさ」
 クラウドの目は濡れて光っていた。
「あんたも夢だったりしないかなってさ。おれのつくった夢。ある日、目が覚めたら、おれ実はまだ田舎にいて、八歳とかそれくらいで、なんにもはじまってないんだ。それで、なんか長い夢見たなあって思って、起き出して、母さんの作った朝飯食って、外に出てくんだ」
「それも考えた」
 セフィロスは云った。
「たぶんそのほうがおまえは平穏な人生を送ることができるだろうと考えた。もし起伏に乏しく事件の少ない人生が幸福なら、それは確実におまえの一番幸福な人生だろうと考えた。ただしそれは幸福だと決して自覚できないたぐいの幸福だし、そんな人生にはおまえは飽きるだろうと思った」
「うん、飽きる」
 彼はうなずき、花冠が揺れ、彼は妖精の王のようだった。
「八歳くらいのころ、もう飽きてたもん。あんたが出てきて、ようやくちょっと面白くなってきたんだ。だからときどき思うんだよ、これって全部夢だったりしないかなってさ」
「人が夢みないものは、現実にならない」
 セフィロスは微笑んだ。
「おまえは夢みた。世界が動きだした。おれも動きだした。世界はおまえが夢みたものになった。それも夢だというなら、確かにみんな夢だ。おれも夢だしおまえも夢だ。なにを現実とし実在とするかは常にあいまいだ。特に肉体を失ったときには。それでおれはこうすることにした。クラウド・ストライフのいるところに現実があり実在があり現象がある、と」
 クラウドは長いこと考えこむような顔をしていた。やや伏せられたまつ毛が目元に暗い影を落としていた。やがて彼が顔を上げると、花冠が揺れ、彼は王のようだった。
「それ、そうするって決めればそれでいいわけ?」
「おまえはこれまでもそうしてきたし、これからもそうするだろう。そしておれはそれに従うだろう。おまえが夢と思いたければ、夢にしてもいい。おまえが現実のものにしたいのなら、そうする」
 クラウドはあきれた顔になった。
「あんたやっぱ、かなりきちゃってるよ」
 彼は自分の頭の横で、人差し指をくるくるやった。
「かわいそうなやつ。おれがいくら美人だからってさ、なんかあわれをもよおしちゃうって、こういうときに使う言葉?」
 クラウドのこましゃくれた鼻先が、ますますこましゃくれて満ち足りた表情を顔全体に与えた。花冠をかぶった彼は王のようだった。
「おまえはこの星において到達できる範囲では、すでに美しさの極みに達している。ありとあらゆる意味で」
 セフィロスはクラウドのなめらかで生意気そうな頬を見つめて云った。
「おまえのためにどれほどのことが起きたろう。おまえが夢みた、ただそのことのためにおれは生きた。そして死んだ。それからよみがえった。おれはいまでは自分がなにによって生きているかを知っている。おまえが夢みているときおれは生きている。おまえが生きているときおれは夢みている」
 星がひとつ流れた。一度はこの生をはるかに越えた者が、この不機嫌で拘束された生のなかへ戻ってきたとき、確かに大地はうち震え、天球は鳴動した。星々はどよめき、木々は嘆息をもらした。この世を超えたものに、この世のすべてはおののいた。そのときセフィロスは、はじめて自分が真実に人間の生を超越した瞬間をもったことを感じた。すべてのものは彼の前に首を垂れた。彼はすべてのものをどうにでもできるおのれの力を感じた。だがそれはもはや脅威としての力ではなく、老いて微笑みながら翼を、角を返上した生き物の力に似ていた。森の獣たちの、あわれみに満ち、かぎりなく澄んだ黒い目に似ていた。セフィロスはもう角をもたない。翼をもたない。それらは必要がない。少なくともいまは。クラウドが必要としないものをもつ理由は彼にはない。クラウドが角を、翼をもったとき、それはクラウドのものであり、クラウドのものであるときそれはセフィロスのものである。
「空が燃えてる」
 クラウドははるか向こうに燃える火を見つめて云った。
「おれが空が燃えてるって云うなら、ほんとに空が燃えてるんだな」
 クラウドは高慢な感じに微笑んだ。花冠をかぶった彼は王だった。
「そして空が燃えているのでなく火が燃えているのだと云うやつは、ひどい目にあうだろう」
 セフィロスは云った。クラウドは立ちあがり、セフィロスも立ちあがった。
「でも、おれあそこに近づいたらきっと、なんだ燃えてるのはおれの火か、って云うんだ。そんとき、あんたは、考えてみたらどうもはじめからそうだった、って云うだろうな。で、おれはふーんって云うだろうな。でも、とにかく、あそこにおれの小屋があるんだ。おれの小屋だよ。おれが建てたんだ」
 クラウドは興奮したように云い、花冠を頭にのせたまま走りだした。彼は妖精の王のようだった。夏至の夜に踊る妖精の王のようだった。彼は踊り、館を清め、そこを永遠の住まいにするだろう。

 クラウドは慈悲深くあわれみ深く、小屋におけるはじめての一夜をともに過ごすことをセフィロスに許した。花冠をかぶったままロフトに続く階段をのぼってゆくクラウドは王のようだった。自家製特大のベッドに腰を下ろしセフィロスを見上げたときのクラウドはこの世の王だった。セフィロスは王の頭からそっと冠をはずしたが、クラウドはおとなしく頭を垂れて冠をとりあげられるに任せた。それから顔を上げ、セフィロスに向かって皮肉っぽく微笑んだが、彼の王権はその笑みのなかにあった。彼の永遠もその笑みのなかにあった。彼の王国は彼のうちにあった。そしてその王国へ通じる門を、いま開け放とうとしていた。燃えるような門を、そしてその先に続く道を。
 クラウドの体は森の、花の匂いがした。夜気のしっとりと青白い匂いがした。クラウドを腕に抱いているときセフィロスは自分のうちに生命を抱いている気がした。クラウドが子どものころにはきっと彼が子どもだからそんなふうに思うのだろうと思っていた。眠ってしまうと、クラウドは体温が上がって特に熱くなった。セフィロスはよく、夜更けに、ベッドのなかで、自分は腕のなかにひとつの生命を抱えているのだと考えた。そしてわけもなく満ち足りていた。
 いまクラウドはもう子どもではなかった。だが相変わらず彼は生命のように燃えていた。赤く燃え、青白く燃えた。そしてその熱をわけ与えた。彼の火が燃えうつるとき、セフィロスははじめて自分が燃えだすのを感じた。クラウドとふたり床の上で転げまわっているとき、セフィロスは自分たちが踊っているように感じた。あるいはひとつの曲をかたちづくっているように感じた。ゆったりと、激しく、ラルゴ、アダージョ、そしてビバーチェ!
 クラウドが突然笑いだした。
「角が揺れてる」
 セフィロスには一瞬なんのことかわからなかった。
「角が揺れてるんだって」
 クラウドは天上からぶら下がった鹿の角を指さした。そいつはロープでつりさげられて、あわれにもぶらぶら揺れていた。クラウドはげらげら笑った。セフィロスはやはり、顔をしかめてすっかり考えこんでしまった。
「それで、ベッドの真下にバスルームがあるんだ。あははは!」
 クラウドは自分で設計しておいて、ようやくそのはかりしれない象徴性に気がついたとでもいうのだろうか? クラウドの注意をそこから剥がし、ふたたび引き戻すには、かなりの労力を必要とした。クラウドはなかなか笑いやまなかった。いつまでも子どものように笑った。人間の愛のいとなみが、本質的に愚かしいものであると知っている子ども。皮肉げにあざわらう、叡智をもった子ども。
「……前から訊きたかったんだけど」
 もう角の揺れもおさまり、彼らの曲も流れさった。その残響はまだかすかにあたりに響いていた。クラウドは眠そうに、ゆるくまばたきをくり返していた。彼の肌はまだ汗ばんでいた。額に、髪の生え際に、かすかに汗が浮いて光っていた。
「あんた、戻ってくる意味あった? だってさ、せっかく戻ってきたってのに、やってるのがこんなことなんだ。おれが小屋を建ててさ、小屋でごそごそやってさ」
「……おまえにそれを云われるとかなり傷つくんだが」
 セフィロスは顔をしかめ、クラウドは満足げに微笑んだ。自己陶酔と無邪気さの奇跡的なまじわり。自分のためにすべてを犠牲にする他者をもつ者だけが、こういう笑みを浮かべることができる。友人や仲間をもつよりも、たったひとりの信者をもつことを選ぶ者のみが、この笑みを手にすることができる。神のごとき笑み。神が笑うとしたら……実際神は笑うのだが……このような顔であるべきなのだ。
「それで、おまえは満足か? ひとりの人間を引き回し、傷つけ、殺して、生き返らせる。地上にこれ以上の暴政はなく、これ以上の愛もない。満足か?」
「満足」
 クラウドは相変わらずうっとりと微笑んで云った。
「でもまたすぐ飽きるかも。おれ飽きたら次どうしたらいいの」
 彼の口調は半分眠りのなかに入りこみかけて、いつもよりもっと子どものようになっていた。目もほとんど閉じていた。
「そのときはなにかいい手を考える。そのときおれにまだ、おまえのために奴隷のように働く権利が残されていれば。おそらく、たぶん、そうだな、おまえが木こり並みに切りたおした木々が、またもとに戻るころ。きっと春先のことだろう、あるいは静かな夏の宵かもしれない、すべてがかぐわしく、穏やかなときに、吹きわたる風のように、いつの間にか消えている……そういう終わりはどうだろう」
 クラウドはもう目を閉じていた。だが彼は小さくこくんとうなずいて、小指をさし出してきた。セフィロスは小指をからめかえしたが、その瞬間に、クラウドの小指が滑りおち、眠ってしまったのがわかった。
 さて、これは約束が成立したのだろうか? セフィロスは愉快に考えた。クラウドのことだから、明日にはもう忘れているかもしれないし、百年たっても覚えているかもしれない。そんなことはどちらでもよかった。彼らは終わりの日を決めた。この記念すべき、クラウド・ストライフの小屋の生命がはじまった日に。クラウドは小屋の火を絶やさずに守るだろう。辛抱強く雨漏りをなおすだろう。ウッドデッキを塗りかえ、焼き釜を作るだろう。ドアを新調し、窓を新しくし、煙突掃除をするだろう。そしてときどきは、愛する小屋を離れて行くだろう、喧嘩のためにか、気分転換のためにか、とにかくなにか変化をもたらすために。この小屋はクラウド・ストライフの生命なのだ。彼の生命活動そのものだ。そのなかに、いまセフィロスはいる。寝床の上で、この小屋の生命の源を抱えて横たわっている。きっと終わりの日まで、クラウドはここで生命を燃やしているだろう。
 それまでに、その終わりの日までに、この星の上でできることを、どれほどやりつくせるだろう。永遠になめらかな頬をもち、永久に変わらないこましゃくれた鼻先をした、このすばらしい青年と。
 だがそれにしたっていまいましい角だ! セフィロスは天井からぶら下がっている鹿の角を見つめて思った。こんなものは、どうしたって片づけてしまわなくてはならない。クラウドのすることになにも文句はないのだが、この角だけは、明日じゅうに、早急に、撤去しなければならない。きっと明日、花冠を川へ流しに行くときに、角も一緒に持ちだされることだろう。

妖精どもよ めいめいに
野末の露を 持ち行きて
館の部屋の 隅々に
恵みの雨を 降り注げ
清き和らぎ この家を包み
あるじのうえに 幸あれと
われらの恵み 祈り添えん
 跳び行け
 遅るな
夜明けまでには 戻り来よ

シェイクスピア『真夏の夜の夢』
福田恆存訳、新潮文庫、1972年