あとがき

 このページでは、あとがきというより、いくつかの用語について説明を加えておくことにする。

 まず智天使ケルブであるが、これはケルビムの単数形である。ケルビムについては、旧約聖書創世記の3:24で言及されているが、燃える炎の剣を持ち、エデンの園を監視する天使である。
 ディオニシオス・アレオパギテスは、『天上位階論』のなかで、ケルビムを座天使、熾天使とともに天使の第一の階級をなすものと位置づけている。またケルビムとは「たくさんの知識」ないし「知恵の注ぎ出し」の意であるとし、彼らにその名が与えられているのは、彼らは神を見ることができ、神性の根源の整然たる美しさを観相することができる認知能力であり、また知恵を与える分与の働きに満たされて、与えられた知恵を注ぎ出すことにより第二位のものに惜しみなく分けあたえることができるからだと説明している。(今義博訳「天上位階論」、上智大学中世思想研究所編『中世思想原典集成3 後期ギリシア教父・ビザンティン思想』収録)

 次に智天使の名、カリブについて。これはアッカド語で「祈願する者」、あるいは「仲裁する者」を意味する。ケルビムという名はここからきていて、それは通常、獅子と人間の顔を持ち、牡牛や鷲などの体を持つ有翼の生き物である。監視の霊とされ、神殿や寺院の入り口に置かれる。

 なお、智天使の長とは、ケルビエルないしガブリエルのことを指し、一応この作品においてはガブリエルのことが念頭にあったのだが、堕天する以前にはサタンがこの地位にあった。
 トマス・アクィナスの『神学大全』に天使について論じた項がある(第一部問50~64)。問63において、聖トマスはサタンが罪を犯した動機は高慢であると述べているが、これは卓抜性をその根拠としており、位の低い天使よりも高位の天使にふさわしい動機であるとして、サタンが最高位の天使であったことの論拠とする。智天使は智に由来し、大罪を犯すことと矛盾しないとも述べている。(トマス・アクィナス『神学大全』問63、The Christian Classics Ethereal Libraryの英訳より拙訳)

 この話を書いたのは、カバラーの次のような考え方に出会ったためかもしれない。
 神秘主義は往々にして、悪というものの実在性を疑わない性質を持つ。悪は善の不在であるなどと説明するのが表の神学なら、裏の神学である神秘主義カバラーの思想家たちは、神そのものに悪の根があると考える。そしてある思想家は、それを神の正義と裁きと厳格とに求めた。これらは神のうちで怒りの火となって燃えているが、通常は神の慈悲という、それと正反対の力によって鎮められ調和されて、暴走することはない。しかしときに神の怒りが燃え上がり、外部へ漏れてしまうことがある。そのとき、背徳の世界が出現する、というのである。

 懲罰の天使たちは、この神の裁きを実行する者たちである。地獄における懲罰を施行する者たちで、死海文書などにその名前が見える。

 先日ブログに書いた記事で、ちらりとほのめかしたかどうか忘れたが、セフィロス氏は神の創造の日にクラウド・ストライフをみずからのために創造したのではなかろうか。カバラーのセフィロートは神の内部におけるダイナミックな創造の力を象徴的にあらわしているのであるが、その名を与えられた彼が、神の創造の秘密を自身のうちに隠し持っているとしても不思議はない。そして彼はそれを探求するべく行動を起こしたのである。その結果、彼はクラウド・ストライフを創造したが、それははるか以前、時を超越した創造の時点で彼がすでになしたことであった。もし人が想起するために、忘れていた神の知恵を思い出すために生きるのであるとすれば、セフィロス氏は正しくおのれの存在に刻印された神の秘密を思い出すべく行動し、実際にそれを思い出したのである。

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