彼は一匹の、情熱的な

 彼は一匹の、情熱的な獣である。人間の中に眠る獣性は、ひどく生々しい美しさを示すものだ。理性の配下におかれてしまえば、消えてしまうたぐいの美しさ。ぎらつき、本能的な欲のままに、無心に行動する。男の下でしなやかに、よくしなる、獣のような身体。伸びやかに跳躍する豹を思わせる。あの自然な、実に自然なフォルムの美しさ。美しいことは、調和がとれているということだ。無駄がないということだ。あるがままのかたちで、とるべき姿勢を、態度を、示すこと。
 情熱のただ中に至るまでのすべては、動物の求愛様式とおなじととらえることもできる。様式化された行動が、言語のかわりをする。第一段階として、思わせぶりに、相手にふれる。ここで問われているのは以下のテキスト。してもよろしいか、よろしくないか。よろしいのシグナルは、光よりも早く脳内に到達する。言語にしていてはとてもおっつかない、あるしぐさによって、あるいは雰囲気によって。あるときは首の傾ける角度がそれであり、またあるときはため息のひとつであったりする。些細なしぐさだが、ここでは抜群の意味を持ちうる。もうすでに、意識のレベルが肉体的なものに切り替わっているわけだ。脳味噌は、ここでは役に立たない。どうすれば快楽が得られるのか、おそろしく論理的に考えながらことを行う男がいるだろうか。いるとすれば、それは哀れというものだ、なぜならそんなやりかたでは、とても快楽など得られないから。快楽は、肉体のものなのだ。とことんまで、肉体のもの。だから、人間の方も肉体で語らなくてはならない。
 唇の弾力、ふたつの舌の熱さ。体温と、皮膚の、指の感触。なにか微少なものを探すかのように白い肌の上をまさぐるのは悪くない。服と皮膚のあいだにある、耐えがたいエロティシズム。衣服に隠れた下に確かに存在するものの魅力。それがさらなる欲望を誘発する。満を持してお互いに身ぐるみはがされる。ここでもう、ひとつめの万歳をしなくてはならない。ふたつの身体が寝具の上でしめしあわせたようにまとまる。様式化された行動。快楽のための、あらゆる儀式。
 行為の中には、いくつかの手順が存在する。徐々に快感を高ぶらせるための儀式。お互いすっかり相手の身体になれてしまった者どうし、次にどんなことをするのか、どんな快楽があるのかは、ある程度決まっていて、安定している。様式化されているのだ。熟練した職人の手順のように、美しくさえある。このような様式美は、肉体の言語である。無意識の手順は、肉体の記憶だ。相手の喜ぶ場所。そしてタイミング。それらを記憶しているのは身体であり、快楽を感じるのも身体。肉体と肉体のまじりあい。跳躍する美しい二匹の獣。当然、そうなるべきなのだ。肉体は、獣性の化身であるから。
 男の下で快楽に身をゆだねる彼は一匹の、みごとな情熱的な獣である。彼は快楽に常に正しく貪欲だ。荒々しい呼吸で、身体の奥に絶え間なく生まれる快楽を解放しているように見える。青い目が熱に浮かされて弛緩している。彼は与えられる快楽に、素直におぼれることができる。それをいくらか増加させるすべも知っている。そして容赦なくそれを行う。感じうる限りの快楽を、全身で感じるべく。そうしてその中を無心に泳いでいる。ひどく情熱的に。実に見事な獣である。そして美しい。男は、セフィロスはそれに心底酔っている。野獣の原始的な、本能のままに駆け抜ける、迷いのないぎらついた美しさに。