ある映画

 都会は好きではないが、たしかにそこでしか味わうことのできない楽しみというものもある。昔さる電力会社が一大帝国を築いた都市は、一度崩壊し、大地の……すなわち母胎の……手に還され、再生し、ひとはその上にまたあたらしい都市を築いた。今度のは、ずっとセフィロスの気に入った。自然への、星への敬意が随所に感じられたから。
 あらゆる生命は、循環をくりかえしている。この星の上で、あるいはもっと大きな視点で考えるなら、全宇宙の中で。ひとつの命は、ひとつの愛であり、ひとつの炎だ。個体であり、全体だ。すべての生命はつながっており、すべての意識もまたつながっている。思考は、思念は、力であり、実在だ。集団意識が転換すること。それはとても大切なことだ。セフィロスは、あたらしくできた都市を見て、そこに自分が成した仕事のひとつの結実をみる。この星の人間たちは、ようやく、生命とはなんのことであるのか、死とはなにか、そして生とはなにか、命とは、世界とはなんであるかを、正しく認識しはじめている。もしもめいめいがおのれの魂の美しさに、この世界のうつくしさに、そしてそれが存在することの驚異に直面したならば、この地上のあらゆるものに、尊敬の念を抱かずにいられない。星とともに生き、星のリズムにあわせて呼吸し、生活すること。それがすこしずつ、根づきはじめている。なぜなら一度失いかけたからだ。失いそうになって、気がついたのだ。あるべきかたちに。だから災厄は、ときどきは、なくてはならないものなのだ。ひとりの人間の人生にとって、そして星にとっても。セフィロスはとても満足している。自分がかつてしたことに。そうしてその結果芽生え、定着しつつあるかたちに。

 クラウドは、頭からつま先まで田舎もののくせに、都会が好きだ。都会の無尽蔵な欲求と快楽が好きだ。だから、ときどき都会に行きたがる。彼がやたらといらいらしてきたり、唇をとがらせることが多くなったら、それはいまいる場所に飽きてきたことの証拠だ。彼は変化を好む子なのだ。セフィロスは適当な時期になったら、クラウドを都会に逃がしてやる。大自然の中でも彼はうつくしいけれども、都会にいるときの彼のうつくしさはもっと雑多で、どこか卑猥だ。貪欲で、野放図な快楽主義者のそれに近くなる。そういう彼のことも、セフィロスは好きだ。都会の秩序だった街並みの、実に機能的な部屋で、秩序もへったくれもなく、どちらかといえば自堕落に、好きに暮らすクラウドのこと。
 ふたりはやいやい云いあいながら都会へやってきた。
「だから、問題は金だ」
「おれはあんたのためを思って云ってやってんの。金持ちぶった生活したいからじゃなくて。都会でだよ、静かな夜を過ごしたいと思ったら……まあおれが静かにできるかどうかは別として……そこそこいいところにいなきゃだめなんだ。それこそ、昔のあんたの部屋みたいな」
「賃貸料その他はどうする」
「持ち物売れば? そのへんに転がってるマテリアとか。そこそこなる気がするんだけど」
「そこそこの金で、おまえの欲望まみれの生活が維持できるとは思えない」
「初期費用だけまかなえればなんとかなるよ。まあ見てなって。自分の使う金くらい自分で稼ぐからさ。金のことになったら、おれだってやればできるんだよ」
 クラウドのやればできるは、大いにあてになるときと、ぜんぜんならないときがある。セフィロスは小さく肩をすくめた。クラウドが自信たっぷりなときには、なにを忠告したって聞きやしない。

「当座数日のあいだのお宿」と云って借りたホテルを二、三時間前に出ていったクラウドが、すごくいい顔をして帰ってきたので、セフィロスはすごくいやな予感がした。
「仕事見つけたよ」
 クラウドは喜びと誇りとではちきれんばかりになっていた。
「早すぎないか」
「そりゃあね。おれだから」
 自信満々に放たれたことばの「おれだから」なる部分に、セフィロスは寒気がしそうになった。
「……なんの仕事を探してきた」
「デリバリーお兄さん」
 セフィロスは顔をしかめた。
「それは、おまえ『が』デリバリーするのか、おまえ『を』デリバリーするのか、どっちなんだ」
「『が』のほうだよ。やだなあ、おれがそんなあからさまな仕事すると思う?」
「おまえならやりかねない。ことに及びそうになった段階で相手を気絶させて出てくるくらいのことは」
 クラウドは意地の悪い笑顔になった。
「本番やっちゃうとは思わないんだ」
「それくらいの自負はある」
 クラウドは笑い転げた。
「それいいなあ。それ仕事にしようかな。やれると見せかけてやれません、あなたの心をじりじりさせるストライフデリバリーヘルスサービスです。ご利用はきれいな方限定」
 そうしてまたげらげら笑った。
「ばか話はやめろ。真面目な話、どんな仕事なんだ」
 セフィロスはすこしばかりきつい口調で云った。クラウドは渋々笑いを引っこめた。
「そのまんまだよ。荷物運びの仕事なんだ。ジュノンから週に三回。ここから二十分くらいのとこに広場あっただろ? そこに掲示板があってさ、運搬業担当求む、容姿に自信のある方特に歓迎、っていうのがあったから、これはおれのことだと思って、行ってみたんだよ。そしたら、アクセサリーとか小物を扱ってる会社だったんだけど、制作者のマダムがジュノンに住んでて、美形大好き妖怪ババア(おれが云ったんじゃないよ、担当の男が云ったんだ)なんだって。これまで担当だった子がやめちゃって、きれいな子くれなきゃ品物流さないとか脅されてるらしい。人気があるんだって、そのひとの作る小物って。ブレスレットとか見せてもらったけど、確かになんていうのかなあ、独特の魅力みたいなの、あったよ。配色のセンスとか。ぱっと見てこれなんか力があるなってわかるものってあるだろ。その感じ。明日、その妖怪ばあさんのとこに行ってくる。たぶん相当なばあさんだと思うよ、給料、仕事の割にやけに高いから。前任者が四ヶ月でやめたらしいしね。でもさ、それくらいのひとじゃなきゃ、強烈なものって作れないからね」
 セフィロスはため息をついた。どうせろくでもない仕事だと思っていたが、ほんとうにろくでもない仕事にありついたみたいだ。もちろん、クラウドが一種のろくでなしであることは、ずっと昔からわかっていたことだけれど。

 クラウドは無事マダムに気に入られて、ふたりはホテルから、中心部よりすこしはずれた住宅街のマンションに引っ越した。特別より抜きに高級というわけではないけれど、緑の多い、静かな場所にある。クラウドは家具集めに奔走して、当然のことだが、ものすごい大きさの立派なベッドを買ってきて、ひどく満足していた。
 引っ越し祝いと称して、ふたりはちょっとしゃれたレストランへ食事に出かけた。クラウドが、そういういかにもな行動は笑えると云ったからだ。
「それに、あんたがそういう場所にいると、いかにもすぎてますます笑えるんだ。おれときたら天文学的な数値を叩き出すくらい場違いだしね。まあいいから行こうよ。おれ、あんたとデートしたい。お金持ちの男とそのヒモっていう設定どう? そういう体で行く?」
 セフィロスはその提案を丁重にお断りした。たとえ一瞬だって、お金持ちの男に扮してヒモを従えるなんてことは、ごめん被りたい。
 商業施設や飲食店が建ち並ぶ中心地まで、のんびり歩いた。ふたりともとてもいい気分だった。クラウドは仕事を見つけたことと、こうやって都会のど真ん中をセフィロスと歩くことに、妙な興奮を覚えていた。セフィロスはというと、よく整備されているが土のにおいを確かに感じられる地面、道ばたに植えられた街路樹や花、すれ違うひとたちの陽気な表情、遠くでゆらゆらと揺れるネオン、そういうものに興味津々だった。どれもこれも、かつて都会で暮らしていたときには想像もできなかったくらいにうつくしく、セフィロスの目に飛びこんで、五感を心地よく刺激した。こんなときには、自動車だのバイクだのというすばやい乗り物には、ちょっと黙っていてもらわなければならない。人間に本来授けられた速度で、ものを見、聞き、感じなければならない。
「昔さあ」
 クラウドが云った。
「ここがミッドガルだったときだよ……おれ、あんたとコンビニ行ったり、道ばたで話したり、外でなにかするってこと、ちょっといいなって思ってたよ。ほんとはね。おれ、いまの世界って好きだな。だって、誰もあんたのこと知らないし、自由なんだ。なんでもやれるし、なんにもしなくてもいいんだよ」
 セフィロスは、彼の云いたいことがとてもよくわかった。世界は、ずっとよくなっている。一度滅びかけたおかげで。セフィロスは、やっぱりとても満足していた。自分がしたこと。自分の存在。クラウド。
「それで、仕事はどうなんだ」
 店の中はオレンジの照明で満たされて、温かく、落ちついた雰囲気だった。適度に距離を離して並べられたテーブルでは、それぞれのグループが楽しげに談笑中だ。その声がひとつのうねり、ひとつのざわついた音となって、店の中を満たしている。ときどき、グラスの音や食器がふれあう音が、遠慮がちにまぎれこむ。食事は、ゆっくりとしたペースで運ばれてくる。何時間もかけて前菜からデザートまで楽しむ客たちのために、ウェイター連中は次の皿を運ぶタイミングに、抜かりなく目を光らせている。
「マダムが、よくお小遣いくれる」
 クラウドは舌平目を切りわけてフォークを突き刺し、ぐるぐると見回しながら云った。左腕で頬杖をついている。彼の食べ方は、どうしたってフォーマルじゃないけれど、でもどこか笑いを誘うやりかただ。食材を研究するみたいにじろじろ見たり、鼻を近づけてにおいを嗅いだり、散々どつきまわしてから食べるようなやりかたは、動物が捕まえてきた獲物で遊んでから食べるのに似ている。クラウドは舌平目の一片の観察に飽きたのか、それをおもむろに口の中につっこんだ。
「云ったっけ? 初日にさ、マダムが、なにかほしいものがあったらなんでもあげるって云うから、当座金をくださいって云ったんだよ。そしたら、えらい大うけされて、よくもらうんだ、お金。気に入られてるんだと思う。顔がね。あと、正直なところがいいって。まったくさあ、おれの腹の中が真っ黒だなんて思ってるの、誰だよ。おれは素直ないい子なんだよ」
「自分でそう思っているなら、幸せなことだ」
 クラウドは肩をすくめて、冷たい赤ワイン入りというイレギュラーなグラスに口をつけた。彼は数十分前に、ギンギンに冷えた赤ワインありませんか、と云って、店員をぎょっとさせたのだ。
「おれの田舎だと」
 クラウドはちょっとばかにしたような顔で云った。
「雪の中にボトルつっこんで、がっちがちに冷やしておくんですけど。ここらへんじゃ、そういう習慣ないんですか?」
 云われた店員はあわてて店の奥へ飛んでいき、しばらくして、なにをどうしたのか氷点下並みに冷えたのを持ってきた。クラウドは満足した。
「その話はほんとうなのか?」
 クラウドは上機嫌でワインを飲みながら笑った。
「なにが? ワインを冷やすっていう話? ほんとだよ。もしかしたら、やってたのは母さんだけだったかもしれないけどね。赤でも白でもなんでもギンギンにするんだ。それで、ちべたい、とか云いながら飲むんだけど、それがうまいんだって。おれもそう思う」
 セフィロスは微笑した。家庭内の、その中だけで通じる決まりごと。どんなに風変わりでも、いかれていても、それはやっぱり正しいし、ひとつの文化だ。
「でもさ、これどうやってこんな短期間で急速冷却したんだろう?」
「手っとり早いのはブリザド漬けだろうな」
 セフィロスはもっともなことを云った。

 数日後、クラウドは興奮した面持ちで紙切れを振り回しながら帰ってきた。
「セフィロス、これ、すごく懐かしいやつ見つけたんだ。ほら」
 彼がぶん回していたのは、映画の広告だった。タイトルのほかに、レトロな書体でこう書かれている。六十年前の大ヒット作をリマスター、生まれ変わった美しい映像をスクリーンで……十月二十日まで、第三シアターにて。云々かんぬん。
「おれこれ、リアルタイムで映画館で見た。あんたとケンカして家出してたとき。いっしょに見に行ったのがいたけど、映画の途中でお触りしてきてさ、大変だったよ」
「……お触り」
 セフィロスはセピア調のうつくしいポスターから顔を上げて、眉をしかめた。
「おれのこと好きそうだったからね。でもおれ映画館でいちゃこく趣味はなかったから、にらみつけてやったんだ、ちょっと本気で。これまた見たいなあ。見ようよ」
 そうして次の休みの日に、映画館デートの計画が立てられた。

 あいにくの雨だったけれど、セフィロスは雨が好きだったし、クラウドはぜんぜん気にしなかった。雨に濡れた街というのもうつくしいものだ。全体に色調がワントーンばかり暗くなっていて、とても落ちつきが出る。湿度が高くて、潤ってみずみずしく感じられる。
 クラウドは空色の大きな傘を持ち出した。彼の傘は、いつでもぜったいに空色だ。空色が好きだし、それに彼の名前は、生まれた日のおそろしくきれいな空に由来している。青い空と、白い雲の、あの強烈なコントラスト。彼の母親は、たぶん小さな詩人だったのだと思う。この世界のうつくしさの一片を、彼の中に、縫いこめたのだから。
 ビュッフェスタイルの店で昼食。そこいらの店のランチじゃあ、クラウドの腹は満たされない。彼は皿に盛大に料理を盛りつけ、別の皿にポテトを山盛りにして席に戻ってきたのだけれど、セフィロスの皿のささやかながらバランスのとれた料理の配置を見て、そっちのほうがうまそうだ、と云いだした。
「その皿ちょうだい」
 云いながら、クラウドは自分のそれと勝手に交換してしまった。まあ予測のついていたことではある。こと食べ物に関しては、他人の芝生の方がぜったいに青いと云いはるタイプだ。セフィロスはため息をついて、クラウドが持ってきためちゃくちゃな皿の中身を、ふた皿に再分配しはじめた。
「おまえが映画を見たいなんて云いだすとは思わなかった」
 中身をきれいに並べた皿をクラウドのほうへ押し出しながら、セフィロスは微笑した。クラウドはなにしろ興味のないことには集中力の続かない子なので、二時間も黙って映画を見るというのは、割合に苦痛なことのはずだった。
「それがさ、いい映画なんだ。おれとしてはね。これ、メテオ中の話で」
 クラウドはポテトを数本つまみあげて口の中へまとめて放りこんだ。
「ある家族の話なんだけど。絶縁状態の親子が、目の前に星の終わりが迫ってるってときに、和解する話なんだけど。それが親子だけじゃなくてさ、子どものほうの別居状態だった家族とか、昔ケンカ別れした友だちとか……まあいろんな関係のひとたちが、最期だからっていうんで、ひとつになっちゃうんだよね。こういうこと、あっただろうなあって思った。監督は、メテオの最中には生まれてもいなかった女のひとだけど、なんかいろいろ取材して回って、作ったらしいよ。当時の雑誌にインタビュー記事が載っててさ、あらゆるできごとにはプラスの側面と、マイナスの側面がある。わたしたちは、ものごとのプラスの側面を、積極的に見なくてはならない……とかなんとか云ってた。おれそういうの、好きだな」
 セフィロスは、さきほどよりもずっと深く、笑っていた。

 映画館は小ぶりな、クリーム色のざらついた外壁がうつくしい建物で、適度な混雑を見せていた。チケットを買って、クラウドはポップコーンを買いに売場に突撃した。映画館ではポップコーンとコーラ……彼はこれを、ザックスにたたきこまれた。バケツみたいな大きさのポップコーンの容器と、馬が飲むのかと思うほど大きな紙コップを抱えて、彼はおそろしく満足した顔で戻ってきた。一番後ろに席を取って、そうしてクラウドはセフィロスの横でぼりぼりやりだした。
「それを全部食うのか?」
 セフィロスはちょっと眉をしかめた。
「たぶん食べちゃう。ノリで。ポップコーン先生をばかにしてるだろ? ぜったいうまいって。ほら」
 差し出された指の先の白いかたまりを、彼は押しこめられるままにおそるおそる口に入れた。バターと塩の味が広がった。
「もぞもぞする」
「噛むと、つぶれてきゅってなるだろ? それが好きなんだ、おれ。たまに固いのにあたるときあるけど」
 クラウドは指先を舐めて云った。映画館独特の薄暗さをともなって、セフィロスはすこし、性的なものが揺れ動くのを感じた。

 照明が落とされた。予告編がはじまる。クラウドはいっそう熱心にぼりぼりやりはじめる。セフィロスはスクリーンに見入った。うつくしい恋愛のストーリーや、いさましい戦いの数々が、ダイジェストで映し出される。芝居や、映画という虚構の中を泳ぐとき、どんな効果があるだろう? セフィロスは考える。これも一種の芸術に違いない。日常にとらわれた精神を、どこかより高いところ、あるいはより深いところへ、導くためのもの。彼は映画を実に熱心に見た。はじまりは、ある家族が崩壊してゆくさま。父親の、母親の、そして息子の、それぞれのエゴ。おたがいの価値観のすれ違い。衝突。息子は家を飛び出して、都会に出てひとり暮らしをはじめる……当時のミッドガルが、割合忠実に再現されている……当時のあの、汚れきった空気感までリアルに。セフィロスは引きこまれる。そこにいま、自分がいるかのような錯覚に陥る。息子は恋をする。女とむすばれる。子どもが生まれる。ところがこちらもまた、ちょっとしたすれ違いを重ねて、しだいに冷えてゆく。歳老いてゆく両親のことを、息子は常にどこかで気にかけているけれど、なにもかも、もう自分の手を放れてしまったという気持ちになってしまっている……そうして、例のメテオ。この映画では、それがなぜ生じたのか、具体的なことはなにも語られていない。ただ、未曾有の危機として、人類の破滅をもたらすものとして、描かれる。この世が終わりだとなったとき、ひとはこれまでの人生で培ってきた、あらゆるエゴ、わだかまり、魂の汚れを、いったいどうするのか……登場人物たちの心の変化は、痛いほどこちらに響く。ふと気がつくと、クラウドはぼりぼりをやめている。いよいよ例のメテオが星にぶつかる、というときになって、クラウドは当時の一般市民がそうしたであろう恐怖に身を縮こめて、セフィロスにしがみついた。これはまったくおかしなことだ。セフィロスは苦笑する。そうして、彼の身体を引き寄せた。
 当時、それをどうにかしようと奮闘したのは、この身体だった。もっともクラウドに云わせれば、おれはあんたの意志に従ってただけであって、別に星だの人類だのなんて、考えてたわけじゃない、ということだけれど。そしてそれはたぶんほんとうのことなのだろう。彼は、そういう子だ。そしてそれだから、セフィロスは彼を愛さずにいられない。ベッドの中で、家の外で、そして映画館の中ですらも。
 星の危機は、回避される。その詳しい理屈を説くことが映画の目的ではないから、災厄は、ぎりぎりのところで無事消滅したものとして描かれる。となりのクラウドの身体もいっしょになってほっとしている。他人ごとだ。まるで。……否、他人ごとなのだ、もうすでに。これは過去のこと、もうすっかり、時の流れの彼方に、追いやられている。セフィロスは彼の身体をそっとなでる。クラウドは小さく鼻を鳴らして、またぼりぼりを再開する。
 明かりがともされた。薄暗い空間に満ちていた魔法は、もう解かれてしまった。足早に席を後にするもの、まだ魔法の余韻に浸っているもの、いろいろいる。セフィロスは後者だった。自分があれこれやらかしていたあいだ。そのあいだにも、ひとの人生はあり、数々のドラマがあり、星は、回っていた。うつくしいリズムで。うつくしい意志で。クラウドはもうあたりが明るいのに、セフィロスに寄りかかって離れようとしなかった。彼がなにかしらの感慨に浸っているのはわかるけれど、それがどんなものなのか、セフィロスにはわからない。でも少なくとも、それはいやな味のするものじゃない。クラウドがこちらを見上げてきた。その目の中に、さきほど自分が動かされたように感じた性的なちらつきを見出して、セフィロスはまた微笑した。彼はクラウドの、ほとんど空になったポップコーンの容器を取り上げ、ほんとうに空になっているコーラの紙コップも取り上げて、そうして彼の腕をつかんで立たせた。ふたりはまっすぐ家に帰った。寝室で長いこと抱きしめあって、そうしてとても穏やかな気持ちでベッドに倒れた。クラウドはすごく素直で、うつくしい金髪を散らしてセフィロスの、名前を呼んだ。官能的に。情熱的に。愛情をもって。
 セフィロスはクラウドの身体の中心を貫く傷に、唇を寄せた。舌の先で慈しむように撫で、そうしてふたりして駆けあがった。クラウドはすこし泣いた。セフィロスは幸せだった。あらゆるものが、とても愛おしかった。この世界。すべての生命。すべての無機物。そうして、クラウド。

 ふたりはしばらくのあいだ、都会人ぶった生活を続けることに決めた。クラウドはかつてかなわなかったデートとやらを、せっせと計画している。セフィロスはかつて楽しめなかった文明的な生活を、享受する。クラウドの仕事はおもしろいことになってきた。お相手のマダムが本格的に彼に惚れはじめたからだ。クラウドは、こう云ったらしい。おれこのひとってひとがいるんで、無理です。マダムは、かんかんになったそうだが、それでもクラウドの顔を見ないではいられない。
 都会には都会の、楽しみがある。セフィロスはまたベランダでプランター生活をはじめた。散歩をし、近所の雑貨屋の乙女の恋話を聞き、マンション住人とすこし親しくなる。クラウドはこのあいだ、念願だった自分のバイクを買った。彼はそれで、デリバリーサービスを本格的にはじめようとしている。クラウドのもくろみはあてになるのかならないのかさっぱりわからないけれど、破産したって別にかまうことはない。またやりなおせばいいからだ。大事なのはそのことだ。やってみて、やりなおす。何度でも。そうしてその中で、ひとは人生の秘密を、大切なことを、すこしずつつかんでいくのだ。