ひとりして、家出という名の旅に出た

 ひとりして、家出という名の旅に出た。ずっとふたりでいっしょにいるのは、飽きる。別にセフィロスに飽きるわけではない。そういうことではなくて、ふたりでいることの、関係性のあいだに溜まってゆく澱のようなもの。愛情の澱み。ずっと続く日常。それが、倦怠を生む。起爆剤がほしい。刺激がほしい。ひとりになりたい。誰かの体温を、疎ましく思う。そういう気分のときもある。なにごともなく、長くいっしょにいすぎたときには。
 クラウドは歩き通しに歩いた。春の風が心地よく頬をかすめて、いのちのにおいを運んでくる。芽吹きはじめた若葉の、咲きほこる花の。鳥の鳴き声、虫の羽音。蝶の、ゆらめくような羽の動きを見て、ふと眠気をおぼえる。春は世界全体が、生ぬるい羊水の中だ。育まれ、こしらえられる。あらゆる生命は、循環する。どんないのちでも。どんなに目に見えないほど小さなものでも。クラウドは自分がそこから外れているのを感じるけれど、でもひとりぼっちな気はしない。いずれは、あの中へ溶けてゆくのがわかっているから。あのまどろみに似た、ゆるやかな生命の流れの中へ。永遠の不老不死は、あり得ないのだ。それくらい、感覚でわかる。あと何年だろうな、と思う。あるいは何十年、何百年なのだろうか。でも彼は、生きることそのものに飽きたことはない。何千年かかっても、世界にはとらえきれないほどの変化がある。毎日毎日、変わっている。去年と同じ花、十年前と同じ景色に見えても。でもすこしずつ、違っている。自分もすこしずつ、違ってきている。昔に比べたら、ずいぶん穏やかなひとになってしまった気がする。でも、セフィロスに関してはぜんぜん穏やかになれそうにない。相変わらず、クラウドの中に燃えたぎるなにかを与えるのは、彼だけだ。そういう事実にももう慣れたけれども。
 数年かかって、彼は元ミッドガルのあったエリアに足を踏み入れていた。別に、自然に足が向かうほど思い入れが深いわけじゃない。でも、お散歩にちょうどいいコースだったのだ。もう化け物級に生きているのに、ザックスに、いまでもときどきたまらなく会いたい。にかっと笑いかけられて、おう閣下、と云われたい。頭をなで回した彼の手。口調。すごく懐かしい。なぜって、彼のことがとても好きだったからだ。そういう感情は、たぶん永遠なのだと思う。家族の愛、友愛、ただひとりのひとへの愛。すべて、永遠なのだと思う。
 そういう気分なのだ。そういう気分になった。元ミッドガルに近づくにつれて。もちろん、あんな怪物みたいないびつな大都市は、いまはもうない。都市はあるけれど、それはあんな人工物だらけの、歪んだ構造のものではなくて、ちゃんと大地の上に乗っかっているし、ちゃんと自然の一部だ。星のエネルギーを搾取したりしない。ちゃんと共存している。何百年か過ぎるあいだに、またこの都市が化物みたく肥大化して、そうして消えていったり、するんだろうか。そんな時間の単位を、想像してしまえるくらい、この肉体をまとって生きる時間が、長くなりはじめている。だから、ときどき、セフィロス以外のひとのことを想って、セフィロス以外のひとの気配で、眠らなくちゃいけない。それか、ひとりにならなくてはいけない。クラウドは、セフィロスとなにもかもわかりあっている夫婦みたいにはぜったいになりたくない。そんな落ちついた、面白味のない関係になんかなりたくない。もっと刺激的でいたいのだ。痛みが走るくらい、いつまでも好きでいたいのだ。そうならない可能性があるなんて、考えもしないけれど、でもどこかで、飽きてしまうことをおそれている気がする。否、おそれはじめている気がする。飽き性には定評のあるクラウド・ストライフだから。まだ起きていないことの気配を感じる。セフィロスにそれで、ずいぶんたしなめられた気がする。そういう、気持ちの先を察してしまうクラウドはとてもいい子のクラウドだけれども。大概の人間が、確かによく想定されるような感情を引き起こし、よく想定されるように動くけれども。でも、例外もちゃんとあること。それをセフィロスは、証明してきたような気もする。そばにいすぎると、信じられなくなるのだと思う。離れたほうが、わかるのだと思う。そのうちに、ふと相手が恋しくなって、そしてそのたびに、まだ賞味期限切れじゃないんだ、ということを感じて、安堵するわけだ。まだ好きだ。まだ大丈夫。
 だから、家出は必須だ。相手のことを隅から隅まで知り尽くしている老夫婦みたいになるなんて、ぜったいにごめんだから。燃え上がるなにかがなくては、生きている意味もないから。
 ミッドガルの跡地は、何度も何度も姿を変えて、名前も変わって、来るたびに刺激的な気分になれる。クラウドは都会だって、嫌いじゃない。ミッドガルが嫌いだっただけで、彼はバイクが爆走する道路とか、真夜中でも明るい繁華街なんか、それほど嫌いじゃないのだ。都会で一番面白いのは夜だ。夜の、ごたごたした繁華街だ。クラウドは真夜中に街に足を踏み入れて、よりによって一番治安の悪そうな界隈をうろついて、宿をとった。五階建てのうすぎたないホテルの部屋は、ベッドと小さなテーブルがひとつ置かれているだけ。布団がどことなくカビ臭い。でも、そんなこと気にならない。ノミに食われさえしなければ。
 窓の外では、ひっきりなしに酔っ払いや、商売女が声を上げている。カーテンを引いても部屋の中が明るいくらい、外の照明がすごい。あらゆる欲望を叶えてくれる繁華街は、必然的に、活気に満ちている。生命力に、満ち溢れている。生きるということは、たえずなにかを望むことだから。なにかを、欲することだから。
 クラウドは笑いながら目を閉じる。セフィロスがこんなところに来たら、たぶんすごく眉をしかめて、発狂寸前だ、とか云うのだろう。彼はごたごたして、やかましいところが大嫌いだ。夜は暗くて、静かでなくちゃ眠れない。彼はいろいろなものに敏感だから……いやいや、いまはセフィロスのことなんか考えない。ぜんぜん異次元の空間にいて、カビっぽいベッドで、ひとりで寝ているのだ。それを、満喫する。

 彼は次の日、近所の週払いの家具つきアパートに引っ越した。昔から、田舎から出てきた大学生とか、社会人がするみたいに、アパートでひとり暮らしをするのに、強いあこがれがある。彼はまったくひとりで暮らした時間が、意外に少ない。寮ではほかのやつがいて、そこからセフィロスの部屋に引っ越して、神羅屋敷で実験台にされていた五年間はあれはもはや生活じゃないし、それからセフィロスの追っかけ(とクラウドはいつからか云うことにしている)をしていた時期は、いつも誰かがいた。それが終わってからも、誰かがいつもいた。そのときは、誰がいてもどうでもよかったけれど。それからまたセフィロスがいるようになって、あとはずるずるずっと彼がとなりにいる。ときどき家出するけれど、長くて数年だ。結局、またふたりに戻ってしまう。
 クラウドは借りた部屋の真ん中で「おれの部屋」とつぶやいた。自分だけの部屋。とっとと好きに改造してしまう。家具の配置、カーテン。クラウドは二十三歳の経歴不詳の青年になって、そのへんの地下のあやしげなクラブに出入りをはじめる。ザックスがしていたみたいに。意識が飛びそうな音楽の中で、モブシーンの中で、自分がひとりだってことを、認識する。バイトを探す。車の修理屋の臨時日雇い職を見つける。手先が器用だとほめられる。当然だ。この指先は筋金入りだ。夜遅くに帰ってきて、買ってきた食料を腹につめて、寝る。また仕事に行く。気が向いたらクラブに行く。ぼちぼち知りあいができる。男、女、どっちでもないひと。クラウドはどっちでもないひとに妙にもてて、いっしょに食事をしたり、つるんでぶらぶらしたりする。女にも普通にもてる。何人か、セックスを、したりされたりもしてみる。そういうのも、ときどき必要だ。
 そうしてある日、身体の奥がなんだか寂しくなっていることに気がつく。そろそろ、あの身体がいいなあ、と思う。あの熱がいいな。相手が自分を好きなこと、相手と自分がひとつなことが、千パーセント、わかるセックスがいいな。クラウドはそう思ったとたんに、もうアパートをたたんでしまう。転がるように都会をあとにする。セフィロスはどこにいるだろう。まだ、同じ場所に住んでいるだろうか。きっとそうだ。彼は、自分からどこかへいなくなることはしない。基本的に、出不精なのだ。きっと毎日花に水をやって、農夫仕事をしているにちがいない。
 クラウドはすごく、彼に会いたかった。あの長い髪、印象的な目、身体、匂い、雰囲気、すべてが。すべてが、とても懐かしい気がする。とても新鮮に思える気がする。彼のすべてを、洪水のように受けたかった。離れていた数年間で、この身体の中のセフィロス成分を使い切ったみたいだった。補充しないといけない。もうすっからかんだ。彼に会わないと。会って、自分が愛されていることを、確認しなくちゃならない。そうなのだ。この焦燥感。この切望。最高だ。だからセフィロス切れをおこして、禁断症状が出るまで、離れている価値があるのだ。彼を求めたいからだ。痛いくらいに。痛さが欲しいのだ。それくらいの情熱が欲しいのだ。
 そうして、早く早くと思いながら帰る道すがら、まだまだぜんぜん、彼のことを愛している自分に気がついて、泣けるほどほっとする。まだ大丈夫だ。まだ好きだ。すごく。とても。セフィロスだってそうに違いない。自分が感じていることは、彼だって感じているはずだ。彼は半分、自分みたいなものだから。それくらい奥のところで、つながっていて、ひとつだ。ああ、ばかだな。だから、飽きるなんて、あるわけないじゃないか。自分に飽きるか? 自分を見飽きるか? 同じことだ、きっと。自分と同じくらい、自分以上に、愛しているのだ。いつだって。