都会にはひとが多すぎるので人間以外がみんな悲鳴を

 都会にはひとが多すぎるので人間以外がみんな悲鳴をあげているように見える。あちこちの電球の、夜に対する不自然な抵抗、ぎゅうぎゅうづめの電車、ひとがあふれかえった広場、まき散らされるゴミ。固められたアスファルトの下の地面は、どう思っているだろう。こんなにもたくさんのひとが、ひっきりなしに上を通ってゆくことを。
 クラウドはよりによって迷子で、それもこれも乗り物酔いとあまりのひとにびっくりしたためだ。電車の中で具合が悪くなって、トイレに寄ろうと降りた。降りたホームから先の、どこにトイレがあるのかわからず、改札の外などと云われたはいいがやっとトイレを見つけて、出てきたときにはあとの祭り。自分がどこの改札に行けばいいのかもわからない。改札がどこかもわからない。あたりは夜になっている。今日中に、傭兵校までたどり着けるだろうか。不安がよぎるけれども彼は疲れていた。すこし休むつもりで、ガード下にもぐりこんだ。一定間隔で、やかましい音を立てて電車が頭上を走る。いかれた格好をした若いカップルがふらふら歩いている。夜なのに明るい。そしてビルが高く、星が見えない。とにかくこのひとの多さは異常だ。もうすでに、ひとのいない故郷がなつかしくなりはじめている。
 すこし休んだら、なんとなく元気が出た。そろそろ立とうかな、と思っていると、一台のバイクが近づいてきた。真っ黒で、大きい。たしか、十五年くらい前の神羅製の型だ。千CC。彼はうなるようなエンジン音が、好きだ。エンジンやシリンダーを見るのも、組み立てるのも好きだ。総じて鉄の塊でできたものが好きだ。
 食い入るようにバイクを見ていると、目の前で止まった。ノーヘル運転をしていたのは、黒髪の若い男だった。
「なんだ、おまえ家出少年か?」
 ひどく陽気な声をしている。都会にはひとさらいがいるから、気をつけろと母親に云われていたのを思い出したが、ひとさらいには見えない。黒いファーつきのジャケットを着て、ジーンズを履いている。大きめのサングラスをしているので表情はよく見えないが、少なくともいやな表情はしていないように思われた。クラウドは首を振った。そして、自分が正当な理由を持った迷子であることを告げた。
「ふうん。そっか。おのぼりさんなんだな。電車に酔った? ああー、この時間、ラッシュだからな。びびっただろ。おれもびびったよ、田舎から出てきたとき。ゴンガガってんだけどさあ、おれの田舎。電車なんてミッドガル以外じゃあんまり走ってないもんな。まあ、すぐ慣れるって。ミッドガルの人間の半分は田舎もんだからな、みんな同じ道通ってんだよ。大丈夫。んで、どこまで行くつもり?」
 ぺらぺらとよくしゃべる男に、警戒感を抱く暇もなかった。相手も同じ田舎出身の人間だと知って、親近感がわいたのかもしれない。クラウドは傭兵校の地図を渡した。
「ふーん……よりによってここかあ。ま、いいよ。敷地の入り口あたりまでなら、送ってっても。ここさあ、警戒きつくて、関係ない人間って近寄れないんだよな、実は。やな雰囲気してるぞー、なんかごごごごご、とか音がしそうな雰囲気でさ、警備員は目つきの悪い大柄な男だし、監視カメラがいっつもにらみきかしてるし、おれはあんまし好きな雰囲気じゃないな。まあ明るいパラダイスみたいなのでも困るのかもしんないけどさ」
 よくしゃべる男は、クラウドに向けてヘルメットを差し出した。
「まあとりあえず、かぶれよ。おれ、なくていいから」
「……これって、十五年くらい前のデイトナ? 初代のやつ?」
 クラウドはでかいバイクに興味津々だった。田舎では、しけたスクーターみたいな乗り物しかなく、エンジンつきの鉄の塊好きな魂は、むなしく写真で慰めるしかなかったのだ。
「お、そうそう、これ中古で買ったんだよ、給料ためてさ。もっと新しいののほうが見た目スマートなんだけど、でもこれ由緒正しいOHVだから。いい音するんだよな。やかましいって云われるけど。それに、これの次の次の型から、すげえ大量生産するようになって、絶対質が落ちた。バイク好きか?」
 クラウドはうなずいた。
「おれマフラーとかエンジンとか機械部品見ると、ときめいちゃって。分解して、組み立てたくなっちゃうんだ」
「うわ、おまえそっちか。改造とか好きだろ?」
「将来金貯めたら、まっさきにバイク買おうと思ってる。中古で買って、新品みたいにするのが夢なんだ」
 いかにも触りたくてたまらないという顔でもしていたのか、黒髪の男はいーよ、触っても、と明るく云った。クラウドはため息をつきながら、バイクの周囲を一周し、おそるおそるその真っ黒なボディに触れた。
「うわー、かっこいいなー」
 バイクをほめられた男は、にやにやしながら見ていたが、ふと腕時計を見ると、クラウドに乗るように促した。
「よし、じゃ特別な。ハイウェイ乗っかってミッドガル一周してやる。超高速で。ぎりぎり間に合うだろ。でも思いっきし飛ばすから、おまえちゃんとつかまんねえと死ぬぞー。っていうか、飛ばさねえとバイクのよさってわかんないよな。バイク乗ったことあんの? 曲がるときの身体の倒し方とか、わかる?」
 クラウドは首を振り、ハイウェイまでの道で実践的に覚えさせられた。
「そうそう。いいじゃん、おまえセンスあるよ。んじゃハイウェイデビューといきますか。いやだと思うけど、ヘルメット、ちゃんとかぶれよ」
 熱狂的な時間だった。ミッドガルを囲むように円周上に作られたハイウェイを、黒髪の男が運転するバイクはそれこそ飛ぶように走った。時速百五十は軽く超えていた。トラックや乗用車をいくつも追い越して、カーブに差しかかるたびに遠心力で身体が引っ張られ、宙に浮くような感覚になる。その瞬間には重力を、超越している気さえする。クラウドは男にしがみつきながら終始笑い転げて、大声で叫んだ。こんな解放感ははじめてだった。誰かにこんなになにかをしてもらったこともはじめてだったし、あれこれ詮索されなくてもすぐに一緒になにかできるのもはじめての体験だった。彼はひとづきあいの悪い子どもだったので。クラウドは、自由を感じていた。都会独特の、密度のない人間関係の、あるいは誰の目も気にしなくてもいいことの自由を。
 バイクは無事ハイウェイを一周して、クラウドは傭兵校のすこし手前で降ろされた。ふたりは名前も聞かずに別れた。そういうことが、とても都会的だと思えた。相手の素性も、名前も、なにも知らずにつきあい、そして別れること。一夜限りの知りあい、そしてたぶん、もう二度とあわない。
 クラウドは到着がかなり遅れたことも気にせずに、勢いよく校舎に突撃した。カーブを曲がるときの浮遊感が、まだ彼を包んで、身体を軽くしてくれているように思われた。