知りあいにとんでもない変人がいて

「知りあいにとんでもない変人がいてさ、そいつ、面白いんだよ。今度そいつんち行かない? ミッドガル出るから、道なき道をバイクでぶっとばせるし」
 クラウドは目の前の山盛りのポテトに夢中になっていて、話を聞いていなかった。なぜこいつはこんなにポテトばかり食べて生きていられるのか。それも大量に。ファストフード店で、ポテトメガサイズをふたつ頼むのは、すこし異常である。けれどもそれくらい、ザックスが話題にしている人物も変人だ。たぶん、いい勝負だ。クラウドはひとつ目のポテトを完食して、トマトケチャップを追加で持ってくると、次のポテトの山にとりかかった。おれはイモがあれば全栄養素がとれるような身体なんだ、と云うが、そんな人間は聞いたことがない。
「きいてんのかよ、おい。今度の日曜日。おっけ?」
 クラウドはようやく手を止め、あ? と間の抜けた声を出した。油と塩のついた指先を、べろりと舐める。この顔で、こういう品のないことをしてはいけないし云ってはいけないと思う。彼の母親も、もうすこし本人に自覚を持たせて、別の道に導いてやればよかったのだ。たとえばバイクの修理屋。塗装業、工場の整備士、などなど。世の中に、クラウドの機械好きおよび器用な指先を求めている企業がたくさんあると思うのだけれど、よりによってなぜ兵士になどなったのか。まったく似合わない。そしてまったく、向いていない。
「だからさあ、知りあいのとこに行こうって云ってんの。ミッドガル出てバイクぶっとばそうってファンキーなお誘いしてんのにおまえは」
「ノーヘルでいい?」
 クラウドが急に興味を示す。
「ミッドガル出たらな。したらおもいっきりぶっとばしてやっから、見てろよ。振り落とされんなよな」
「あのさあ、急停止とか、高速でターンやってよ。おれあの地面すれすれに身体倒すの、はまっちゃってるんだ」
「おーし、やってやる。でもそのためには、紐かなんかでおまえの身体くくりつけとかないと。死なせたら良心が痛むし」
「良心あるんだ」
「うわあ、なんつう云い方」
 とにかく、クラウドを連れ出すのには成功したわけだ。こいつ、どんな顔するかな、とザックスはにやつくのを押さえて考えていた。
 彼には計画があったのだ……というよりも、憂慮すべきことが。誰かに判断を仰ぎたいことが。そのときに真っ先に頭に浮かんだのが目下話題の変人だったので、とりあえずクラウドを連れていくことにしたのだ。あれこれ考えるのはそのあとでいい。第一、心配ごとは胃と精神に悪い。
 ザックスはもう先のことを考えるのをやめて、目の前の食事に集中した。

 日曜は快晴で、太陽がかんかん照りつけて、さあ出かけたまえ、と云っているような日だった。ザックスはクラウドを積みこんでバイクを飛ばした。ミッドガルを出たら、実質道路交通法など無視したってぜんぜんかまわない。クラウドはヘルメットを葬り去って、ものすごいスピードで走るバイクの上でげらげら笑っている。あまりにも楽しそうだったのでザックスは休憩がてら、彼にすこし運転の手ほどきをしてやった。彼はすぐに慣れて、百メートルほどぶっとばして帰ってきた。急停止だの高速ターンだのをやりまくって、モンスターをからかったりもしながら目的地に向かったせいで、二時間以上かかった。
 ミッドガル北西の森の中だった。木々のあいだを縫うように、バイクは快調に進んだ。クラウドは森の空気にすっかり心を奪われているようだった。自分はそうでもないが、クラウドは自然がないと寂しくなるタイプの田舎ものなのだろうか。都会の田舎ものにもいろいろなタイプがいる。いつまでも自然に対する敬愛の気持ちを忘れない人間と、すっかり都会に魅了されてしまって、自然など見向きもしなくなる人間、そして、どっちつかず。
 森の中を進むにつれて、不思議な静けさが増してくる。鳥の鳴き声と、木々の葉がざわめく音がかすかに聞こえるだけで、空気の色や重さまで変わってしまうような気がする。ザックスはいつの間にかバイクの速度を落としていた。クラウドも、おとなしくなった。
 ほどなく、一軒の家が見えてきた。家というより、小屋だ。大きめの丸太小屋。信じられないほど古めかしい。煙突が屋根のてっぺんからちょこんと突き出ていて、煙がゆるやかにたなびいている。小屋の横には畑があって、井戸があり、家の前に置かれたプランターに花が咲き乱れていた。そうしてその横で、子牛が草をもぐもぐやっていた。
 あきれるほど牧歌的な光景だった。クラウドはいぶかった。心から都会派のザックスに、こんな田舎に住む友だちがいるのだろうか。ザックスは小屋からすこし離れたところにバイクを止めて、子牛のところへ歩いていくと、身体を撫でて丁寧に挨拶した。
「ミス・メリーウェザー。今日も美人だなー。おれとつきあわない?」
 ミス・メリーウェザーと呼ばれた子牛はやさしい目をしていて、くすぐったそうに笑った。鼻輪がなかったので、どこかの農家の牛というわけでもなさそうだ。クラウドはもう我慢ならなかった。彼は機械と同様動物にも目がなかったからだ。子牛のところへちょこちょこと歩いていき、かがみこんで、彼女(ミスというからには女性に違いない)に顔を近づけ、首のあたりを掻いてやった。ミス・メリーウェザーははじめ乙女らしい恥じらいをみせたが、すぐに慣れっこになって、新顔の少年に向かって二、三度しっぽを揺らした。それからそっとその場を離れて、すこし先のあたりでまたもぐもぐやりだした。
「あの子さ、なんか、化学部門の実験施設から死にかけで放り出されたらしい。あれでもう立派な大人なんだってさ。なんかの作用で、身体がでかくならないんだと」
「今年生まれた牛かと思ったよ。なんか、かわいそうだな。あんなに美人な牛なのに」
「だよなあ。おれの田舎じゃさあ、荒々しい雄牛ばっか見てたから、ああいう清楚なの見ると思わずときめくんだよね、おれ」
「うちの田舎は乳牛が多かったよ。優しいんだよな、ミルクの出る牛って。こっそり絞っても怒らないし。なんか、しょうがないわねって顔で見るんだ。よく世話になった雌牛がいてさ……」
 ふたりはいっぱしの田舎の青年のようなことを云いあい、首を振った。ふたりとも、すこしだけ故郷が懐かしくなったのだ。
「あ、でもさ、あの子……じゃない、あのひとが(とクラウドはミス・メリーウェザーが大人の女性であることを思いだして云いなおした)、化学部門からでてきたってことは、ここのひと神羅の関係者のひと?」
「ピンポーン。いい着眼点です。じゃあこんなとこに住んでる酔狂なやつに会いに行こう。酔狂って意味知ってる? おれこないだ知ったんだけどさ」
 と意味もないことをしゃべりながらザックスが丸太小屋のドアを開けた。当然のことながら、ドアはぎしぎしと軋んだ。そこは食堂とキッチン、おそらくリビングもかねているのだろうが、右奥に感じのいい小さな調理台とかまどがあって、中央にテーブルが、そしてテーブルの前には暖炉があった。暖炉の前に敷かれた絨毯の上で、ものものしい顔をした灰色の猫が顔を洗っていた。猫は突然やってきたふたりの男をいぶかしげに見て、まだ開いていた玄関から、四本の脚のあいだをくぐってさっと出ていった。
「あ、逃げた」
 クラウドは云ったが、ザックスは気にする様子もなく、たぶん野良だから、と云って、ドアを閉めた。
「ミス・メリーウェザーだって野良なんだよ、ほんとのこと云うとさ。ただ、このへんからいなくならないだけで」
「ここが気に入ってるのかな」
「たぶんな」
「なんで、ミス・メリーウェザーなの、名前」
「なんかな、すげえ天気のいい日に拾ったんだって。今日みてえな。だから、いい天気って意味で、ミス・メリーウェザー」
 ザックスはクラウドに適当に座るように指で指示すると、奥に続いているドアを細く開けて顔をつっこみ、「ヘイ、ボス」と陽気に声を上げた。
「おつかいのお兄さんが来ましたよう。召集令状持って。あと客がひとり。こないだ話してたやつだけどさ、ミス・メリーウェザーと仲良くなったんだ。あの子の美貌が理解できるんだぜ、ちょっとしたもんだろ? そんで、あとコーヒー持ってきたからお湯わかしてもいいだろ? あんたも飲む? いらない? あっそう」
 ひとしきりわめきたててからザックスはようやく顔を引っこました。
「たぶん、いま来るよ。ひとづきあいの悪いやつでさー、ほんと、おまえといい勝負。悪いひとじゃないんだけどな」
 常になにか話していないといけないとでも思っているかのような人間がいるが、ザックスはそのいい例だった。ことばを続けながら戸棚からやかんを引っ張りだし、古風な、もしくは退職まで時間の問題に見える水差しから水を注いで、火にかける。
「召集令状ってなに」
 クラウドは訊いた。
「ん、そのまんま。召集令状だよ。おれさあ、実はバイク便やってんの。本社と、ここのあいだで」
「……軍関係のひと?」
「ああ、まあな」
 お湯が沸いた。ザックスが慣れた手つきでコーヒーを淹れる。
「おまえ、カフェオレかあ? 牛乳あんのかな、ここんち……これか? ん? これ山羊のやつだ」
 透明な瓶に鼻を近づけて嗅いでいたザックスが、顔をしかめた。
「え、山羊ミルク? おれ、それがいい。それだけでいい」
「ええー、おまえ好きなの? おれはあんま好きじゃない。くさいだろ、なんかさあ」
 と云いながらもコップを探してきて、注いでクラウドに差し出した。ザックスの手つきはずいぶん手慣れている。ここによく来ていることが伺えた。
 ふいに奥に通じているドアが開いた。黒いシャツとパンツの黒づくめの……おそろしく長身な男が現れた。腰のあたりまである銀髪に、印象的な光のある緑の目をしている。クラウドははじめ、気がつかなかったほどだ。その姿はあまりにも伝説化され、神話の域に到達していたので。それがこの世の中にほんとうに顕現するものであることに、思い至らなかったのだ。
 クラウドは実際、しばしのあいだ口を開けてその男を見つめてしまった。やがてすこしずつ理性の光が戻ってくると、とにかく男の自分が男をまじまじと見つめているのはおかしいということに気がつき、あわてて開きっぱなしだった口を閉じて、山羊ミルクをひと口飲んだ。そうしてむせた。
「おいおい、大丈夫かよ。そりゃあこれ本物のセフィロス、うちのボスだけどさあ、珍獣じゃないんだぜー。いや、珍獣か? おれも実物見るまでほんとにこの世にいると思ってなかったもんな。うん、なんかわかるような気がしてきた、この反応」
 ザックスはよしよし、と云いながらクラウドの頭を撫でた。
「気安く撫でんなよ」
 むっとしてその手を振り払う。そうしてもう一度おそるおそるその男を、英雄と云われる男を見た。男の顔には、どちらかというと苦笑に近いものが浮かんでいた。
「漫才をしたい年ごろなのはわかったから、その令状とやらを出してくれ」
 ザックスははいよ、と云ってポケットからちいさく折り畳まれた封筒を取り出した。神羅のマークの入った封筒だ。セフィロスはそれを手にとって、自分も席についた。
「客人を歓迎する前に、用事を済ませてしまおうか。何度も云うが、封筒はいらん。紙の無駄だ……これは却下だな。召集には応じない」
 書類に目を走らせていたセフィロスが、また苦笑を漏らして云った。
「ええー、まじっすか? おれまた怒られんじゃん。あんたが本社に来ないの、おれのせいだと思われてんだけど」
「おれが行かないのは、おれの意志だ。だいたい、ハイデッカーの召集は、無意味なものが多すぎる」
「いやだからさあ、おれがだいぶ絞って、これはなんとかってものを持ってきてんだけどなあ。おれだってボスのためのバイク便専門じゃねえもん。しかもけっこう、きついよ? ウータイの前線でこぜりあいなんかあって、あんたが召集拒否してると」
「戦力になるのは、なにもおれだけではないだろうに」
「そりゃさ、いますよ、1stは、あんたのほかにも。だけど、しまんねえんだよ、なんつうか、いろんな意味で。みんなオールラウンダーじゃないしさ、どっかで偏るから、それを補ってとか。けっこうめんどくさい。あんたみたく、びしっと決まんないんだよな。おれの云いたいことわかる? 誰がなんつっても、あんたは頭四つくらい抜けてるわけ。おれら実力主義の社会で生きてるから、指揮は、できたらあんたに一任したいよ」
 ザックスの話を聞きながら、セフィロスは物憂い微笑を浮かべている。壁に寄せかけるように置いている椅子の上で長い足を組み、背もたれに深くもたれて。顔が整いすぎているせいで、ただそこにいるだけではなんとなく現実味がないが、いるものはいるのだから、彼はやはり現実に存在しているわけだ。クラウドが彼を知っているのは、写真でだ。前線で活躍しているとか、とにかくおそろしく強いとか、そういう紙面での情報だけ。実質的には、彼は軍の頂点にいるわけだから、クラウドの上司であるわけだが、その考えもいまいち現実味がない。とにかく、英雄セフィロスというのは神格化されすぎていた。クラウドの中でも、世間の中でも。めったに拝めないことが、その傾向に余計に拍車をかけている。けれども彼は、実際ここにいる。そして物憂い、気だるい顔をして、ザックスと普通に会話をしている。意外に通る声で。そして意外に、優しげな光をたたえた目で。
「とにかく、この召集には応じない。ヒゲダルマには、おれが発狂して紙を食ったとでも云っておいてくれ。社会復帰が難しいことの信憑性が出る。花畑で妖精を見たと云いはり、牛を相手に楽しそうに会話をしていたと云ってもらってもいい。これならさほど事実からも遠くない。こういうことをまくしたてたら、どこかの精神科医が重症の診断をしてくれないものだろうか」
「うちのボスがあっぱっぱあになりましたって報告すんの? やだなあ、おれ」
 会話は軽快に弾んでいる。クラウドは、そろそろ本格的に居心地の悪さを感じだしてもぞもぞした。ザックスはいったいなにを考えて、こんなところに連れてきたのだろう。ザックスの友だちになると、もれなくセフィロスと仲良くなれるとでもいうのだろうか。それは素晴らしい特権だが、しかしそういう特権が欲しくてソルジャーであるザックスと仲良くなったわけではない。彼がソルジャーであることは、全然、問題外のことだ。友だちなのは、彼がいいやつだからだ。そして、よくしてくれるからだ……クラウドがついていけない会話であることに気がついたのか、ふたりともさりげなく会話の流れを変えた。
「で、この客人を紹介してくれないか」
「ん。これ、おれの友だちのクラウド。バイク仲間なんだ。さっきも運転させた。ほんとはだめだけど。この顔だけど、すげえ癇癪持ちだから、怒らせない方がいいよ」
「この顔だけどってなんだよ!」
 よりによってセフィロスの前で顔のことを話題にされたので、クラウドはかんかんになった。
「ほら、すぐそうやってにらむんだもんなあ。はいはい、深呼吸。いい加減認めろよ、上の上の顔してるって」
「うれしくない。何度も云うけど、顔のこと云われるの、ほんとに嫌いなんだ。あんまり云うと置いて帰るぞ。おれもうバイク乗れるし」
「あ、そうだった。置いてかないで、おねがーい」
 セフィロスが息をもらして笑った。
「仲がいいな。では、遠路はるばるようこそ、我がボロ屋へ」
 と云ってセフィロスが手を差し出してきたので、クラウドはまばたきをして、手をズボンでこすってからそろそろと差し出した。ひとまずセフィロスが自分の顔のことをあまり気にしていないのと、反感を持たれなかったことはわかったからだ。それに、予想に反してだいぶ気さくなひとであるのがわかったから。
「うわ、おまえおれと態度違いすぎるだろ」
「初対面だからだよ、ばか」
 思いがけず握ることになったセフィロスの手は大きく、そしてしっかり人間の体温があった。クラウドの手は銃を持ったり剣を握ったりするのでまめだらけになっていたのだけれど、セフィロスの手はまったくなめらかで、軍人のものとも思われない繊細な手だった。それはすぐに離れたが、なにかクラウドの中に忘れがたい感触を残した。ずっとあこがれていたひととの接触が、思いがけずプライベートで濃厚なものであることに、感覚が追いついていないのかもしれず、けれども手の感触は本物であり、セフィロスが好感を持てそうなひとであることも、ほんとうだった。ザックスがリラックスしてよくしゃべっていることでも、それはあきらかだった。
「もうこの手洗えなーい、とか云うなよ」
 ザックスがからかい気味に云った。確かに自分でもずいぶんしおらしい態度だったと思うが、そこまで乙女思考ではない。にらみつけて黙らせた。セフィロスがまた鼻を鳴らして笑った。よく笑うひとなのだなとクラウドはぼんやり思った。やはり想像していたよりもよほど親しみやすいひとだ。想像……どんなひとを想像していたのか? 戦うために生まれたような男。たぶん、冷たくて、そっけなくて、どこか近寄りがたい。ところが本物はどうだろう、物憂い気配をまとって、ひどく穏やかな顔をして、よく笑っている。ザックスのように終始にかにかと、とはいかないまでも。
「おまえの友だちはずいぶん気が強いな」
 そう云って、うっそりした笑みでクラウドを見る。男のくせに、こんなに整った顔というのは変だ。自分の髪の毛が、男のくせにこんなに色が薄いのと同じくらい変なことだ。セフィロスの顔はおそろしく整っているのに、女性らしさはぜんぜん感じない。どうせ整っていると云われるなら、こういうふうな整い方をしたかった。
「だろ? 顔とギャップありすぎ」
「次顔のこと云ったら、ぶっ飛ばすぞ」
 本気でザックスをにらみつけると、セフィロスが声を立てて笑った。
「ぶっ飛ばすとはいい根性だが、ザックスの云うとおり、認めた方が楽になることもある。美貌が、期せずして得られた場合にある種の不幸だということは、おれも認める。男の場合も、女の場合も。だがそれをさずかったということには、意義深いものがある。なぜなら、美しいものは調和を感じさせるからだ。この世の中にあって、均整のとれた調和を感じさせるものは貴重だ。クラウドといったか、君はその顔を受け入れて、それに付随するもろもろを乗り越える義務がある。神は、それをお望みだ。いちいち気にするのはやめることだ。云いたい人間には云わせておけばいい。いかれたスピーカーだとでも思って。人間は、怒りの感情から自分を守らなくては、いつか身を滅ぼすからだ。自分を守るためにほんとうに必要なものは、怒りや強さなどとは別のものだ」
 セフィロスはそう云うと、相変わらず物憂い微笑をたたえたまま、云いたいことは云ったというように、静かに口を閉じた。クラウドはぽかんとした顔をしていた。云われたことがよく理解できなかったために。
「ボスの話は壮大なんだよ。このひと、宇宙と交信してっからさ。そうとしか思えないだろ? たぶん頭のてっぺんから電波とか出て、キャッチしてんだぜ、きっと」
「ぜひしたいものだが、あいにく霊感のようなものはない」
「え、ないの? 絶対なんか見えてると思ってた」
「いや、そういう感覚はゼロだ。あればいいのにとは思うが。だがあったとしても、困るだろうな。おれが殺した人間たちが、顔につららをぶら下げて絶対零度の外気をまとい、大挙して押し寄せているのが見えるかもしれない。それこそ、笑えない状況だ」
「うわあ、それおれにもあてはまるかも。よかった、おれ凡人で」
 ザックスが大げさに胸をなで下ろしている。クラウドは話についていけなかったが、ふたりが非常に良好な関係であるのは見てとれた。
「そういえばザックス、髭面の横暴極まる男に報告を入れなくていいのか。おれとしては苔面になるまで放っておいてもかまわないが、気が短い男だから報告が来ないとぎゃあぎゃあうるさいだろう。あれは南国のよく鳴く鳥並みだ。鳥類図鑑に分類しておくべきだ」
「あー、そうだった。ここんち、電波圏外だっけ。ちょっと走ってって電話かけてくるわ、鳥野郎に。いや、でも鳥って感じじゃねえなあ。どっちかっつうと、霊長類? マウンテンゴリラ? あ、ゴリラに失礼か。どっちにしても怒られんだろうなー、おれ。おれのせいじゃないのにさ。クラウドは山羊さんの乳飲んでボスとしゃべってなよ。意外と話しやすいひとだろ? ことばの端々がきついけどな」
 ザックスはそう云って、出ていってしまった。クラウドとしては、非常に気まずい状況だった。いくら想像していたよりも話しやすく気さくなひとがらであるにしても、目の前にいるのはあのセフィロスなわけだから。すぐにザックスのように普通に会話を交わせ、と云われても、頭が、ついていかないのだ。初対面のひとと話すのも得意ではないし。セフィロスはそういうクラウドの空気をわかっているのか、ひとつ微笑んで、窓の外を見てから、口を開いた。
「ザックスがここに誰かを連れてきたのははじめてだ。ということはつまり、あいつの頭の中に、なにかしら我々を引きあわせてもいいと思わせるものがあるということだ。なんだろうな。ひとつ、あいつが来る前に推測してみようか。ありきたりなお見合いの出だしのようで申し訳ないが、お互いを知ることからはじめよう。出身地は?」
 クラウドはちょっと面食らったが、たしかにザックスの意図は気になったので、すこし考えこむような顔をしてから、ニブルヘイムです、とぼそっとつぶやいた。
「ニブルヘイムか」
 セフィロスは遠くを見るような目をした。
「その地名に、おれはなぜかとてもなつかしい響きを感じる。音楽的な。なぜかはわからないが。それをザックスが知っているはずはないが……ともかく、面白い一致だ。北の方だな。冬は景色が美しいだろう」
 セフィロスの口調は穏やかだ。セフィロスがあくまで自然な態度なので、クラウドは自分が、一人前に扱われているという気になった。
「まあ、それなりに。おれは星がきれいなのが好きですけど。あと、動物がいっぱいいて。リスとかキツネとか、シカとか」
「そういう連中なら、このあたりにもよくいる。もちろん、北のものとは毛並みが違うだろうが」
「あの、なんでこんなとこに住んでるんですが」
 クラウドはなにも考えずに疑問に思っていたことを訊ねた。向こうが質問をしてくるのだから、こちらにも同じことをする権利がある。それが、初対面どうしの会話というものだ。クラウドは相手がセフィロスだということに対するこだわりを、ほとんど捨てていた。もちろん、目上の人間に対しての敬意は忘れなかったが。セフィロスはまたあの物憂い微笑を浮かべた。
「いろいろあるが、主として、トルストイのためだ。読んだことはあるか? ない? つまり、我々は己が正しいと信じるとおりに、生きる義務があるということだ。おれは兵士などやらずに、植木屋か農夫をやったほうが性にあっていることに気がついたわけだ。わかりやすく云えば、おれには戦争というものはばかばかしい。だがおれは、その中に必要不可欠なものとして組みこまれている。それ以外の生き方を知らないのだが、だからといっていつまでも続けている理由にはならない。いわば、ストライキを起こしているわけだ。神羅の連中にとって、おれは大きな腫れ物なのでね、いまのところ、要求は通っている」
「兵士が向いてないんですか」
 クラウドは目を丸くした。そんな不一致は、考えてみたこともなかった。
「ああ、たぶん、一番向かない仕事だと思う。なにかを奪うことが、性にあわないからだ。正確には、そこから派生するものの虚しさを、知っていると云うべきだ。だが」
 と云ってセフィロスはすこし悪戯っぽい目つきになった。
「おれからすれば、君の場合も、兵士などやらずに、なにかほかの仕事に就いたほうが向いているように見えるが」
 クラウドはまたもぽかんとした、これまた、考えたこともない不一致だ。セフィロスは目を細めた。
「雰囲気がそう告げているからだ。それから身体もそうだ。身体も、独自の言語を持って常に情報を発している。すこし、音楽に似ているのだが。それを読み解ける人間には、直にことばを交わすよりも、そのひととなりがわかることがあるものだ。普通の人間はそれを読み解くすべを忘れてしまっているので、それができる人間が超能力者のように見えるらしいのだが。とにかく、君の身体の持つ特性は、もっと創造的なものだ。もちろん、だからといって仕事を辞めろと云っているわけではない……これかもしれないな、ザックスがここに君を連れてきた理由だ」
 クラウドのコップが空になっていた。セフィロスは腕を伸ばして、テーブルの上の瓶を取り上げ、真っ白な山羊の乳を、クラウドのコップに注いだ。だがそうされた本人は、ちょっとしたショックを受けていたので、そんなことは気にとめもしなかった。
「そういうこと、云われると思いませんでした」
 不機嫌な声になる。よりによって自分がこの道に入るきっかけになった人物から、そんなことを云われたのだから。これはかなりの衝撃だ。ぶすっとした顔をしていたのかセフィロスが苦笑した。
「腑に落ちなくても別にかまわない。ほんとうに自分がわかるということは、時間のかかることだ。それと生き方とを調和させることには、もっと時間がかかる。念のために云うが、君の能力を否定したわけではない。それについてはなにも知らないからだ。ただ、印象を述べたまでのことだ」
 穏やかに云われて、クラウドは不機嫌を引っこめた。セフィロスの雰囲気には、口調には、なにかこちらの感情の爆発を、抑えこんでしまうものがあった。
「こういうふうに云われることを、たいがいの男は好まないのだが、君はおそらくとても繊細なのだろう。これまた怒りを買いそうな云い方になるが、君の容姿は君の一面をよく表していると思う。容姿や身体は、正直なのだ。自分の主が、どんなふうな人間か、自分をどんなふうに扱っているか、実に如実にあらわしている。その容姿は、君の一面だ。もっとも美しい一面だ。並外れて優しいが、おそろしく傷つきやすい。君はそれに蓋をして、実によく守っている」
 クラウドはさっき引っこめたはずの不機嫌と、怒りとをまた爆発させそうになった。彼はにらみつけていたのだ、セフィロスを。自分の心にずかずかと入りこんでくる人間を、そして自分の痛いところをついてくる人間を、彼は許せなかったから。
「怒っているのか。そうだろうな、申し訳ないとは思うが、だがおれには実によくわかるんだ。そういう動きのひとつひとつが。おれは千里眼でも、超能力者でもない……秘密を教えようか。それはおれの昔のありようと、ある意味でとても似ているからだ」
 クラウドは今度こそ、完全に怒りを持っていかれた。自分と、似ているだって? そのことばにあらゆる感情を持っていかれて、彼の中に残っていたのは、驚きだけだった。
「驚いているな。わかりやすい子だ。そういう素直さを失ってはいけない。君は、態度がそうであるように、心のほうも真っ直ぐであるべきだ。ついでだからもうひとつ、秘密を教えよう。いま見えている世界が、いまつきあっている連中が、明日にはがらりと変わってしまうということは、ありうることだ。もしも自分が変われば。君がいる世界は、君の思考の、心の反映なのだ。これをよく考えてみることだ、おれのようになる前に」
 セフィロスはそう云って微笑むと、立ち上がって、部屋を出ていった。クラウドはぼんやりとセフィロスのことばを反芻していた。世界が、自分の反映だって? 彼には信じられないことだった。なにをしても、この世界が変わるとは思えない。自分しだいだなんてことは、とても信じられない。
 しばらくして、セフィロスは戻ってきた。手にカードキーと、なにかの鍵束を持っている。
「君はひとりきりの時間が必要な人間とみた。軍隊式の生活では難しいだろう。これを貸し出すから、好きに使ってもいい。おれの部屋のようなものだ。もちろん、長らく使っていないが。もともと、あまり使わなかった。部屋の場所は、そうだな、あとでどうにかして教えよう。入り方を教えるから、なにか書けるものは……じゃあこれを使うといい。うんざりするほど暗証番号が必要だから。いったい、家に住むということはなんなのか、ひどく考えさせられるとは思わないか?」
 受け取ったカードキーと鍵を、クラウドはまじまじと見つめた。そうしてセフィロスを見た。彼は断ろうと口を開きかけた。が、セフィロスがそれを制した。
「使うか使わないかは、自由だ。それに、おれにはもう必要のないものだ。おれの家は、ここだからな。確か電話があると思ったが、そのうちかけてみることにしよう。電話のかけ方を覚えているといいのだが。いずれ、君がいるときに電話が繋がることもあるだろう。いまから云っておくが、部屋にはなにもない。私物の持ちこみは自由だ。建物ごと破壊するのでなければ、改造も自由だ。いや、そうだな、ひと暴れしてくれてもかまわない。そこがおれの部屋だとわかったら、神羅の連中はますます、おれの気が狂ったと思うだろう。かえって好都合だ」
 クラウドはことばが出てこなかった。これはよくないことだ、という意識があった。これは、あまりにも過剰なものを受け取っている。部屋だって? 第一、ひとりでいるのが好きなことを、なぜセフィロスは……ああ、そうか、自分と似ていると、云っていた。返事をしないでいるうちに、セフィロスがまた口を開いた。
「さあ、ザックスが帰ってくる。気が向いたらその鍵を使ってみるといい。気にすることはない。おれも処分に困っていたものだから」
 クラウドはとっさにポケットに鍵一式を放りこんだ。セフィロスが小さくうなずいた。ほどなくして、ザックスが帰ってきた。
「いやー、もう、しこたま怒られちった。貴様、上官の命令が気にくわないのか! とか、ぎゃあぎゃあわめきやがって、耳が痛いっつうの。ぼそっと、でもおれ、やろうと思えばあんたのこと斬り殺せるんだけどな、って云ったら、おとなしくなったけど。なあ、そろそろあいつにわからせないとだめだって。おれらのこと邪険に扱ったら、冗談抜きで首が飛ぶってさあ。おれがハイデッカー殺害ミッションとか提案したら、あんた指揮取ってくれる?」
 セフィロスはにやりと笑った。
「そのときは、おとなしく招集を受ける」
 ザックスが同じような顔で笑い返した。
「さてさて、うちのクラウド君と仲良くしてくれた? いいやつだろ? 神羅軍きっての愉快な癇癪持ちだもんな。でもそろそろ帰るわ。こいつ寮の門限とかあるし。あ、なあクラウド、バイクのエンジンかけてきて。ちょっとばっか乗ってもいいぞ。でも置いてかないでよ!」
 ザックスがなにかセフィロスと話があるのだと察したクラウドは、おとなしくお邪魔しました、と云って外に出た。玄関を閉めるときにふと中を見ると、セフィロスがこちらを見て目を細めて笑っていた。
「……で、どうだった? おれの友だち」
 クラウドが出ていったのを確かめてから、ザックスはセフィロスに訊ねた。
「ここに連れてきた理由くらいはわかった。おまえの最初の友だちのことだろう」
「……うん、まあ、そうなんだ」
 ザックスが小さく唇を噛む。
「似てるんだよ、あいつ。性格も見た目も全然似てないけど、でもやっぱ似てるよ。あいつもさあ、ああ見えて、すげえ繊細な神経してるんだ。だから……だからさあ、おれ、また友だちなくすのやなわけよ。いいやつに限って、いなくなるんだよな、ほんとにさ。そんで、おれみたいなしょうもないのが残ってくんだよ。軍隊って、そういうとこだよな。まったく、規則変えようよ。繊細な人間は出入り禁止ってさあ。入る前に、面接したほうがいいよ、まじで」
 セフィロスは自分の部下になんとも云えない微笑を向けた。
「うちの内部の人間に、それも試験官になるような連中に、面接程度でそれを見抜けるやつがいると思うのか? 残念だが、本人の意志を他人が変えることはできない。たとえそれがどれだけ間違っていて、性にあわないことが目に見えていても、選択をするのは本人だからだ。これは時間がかかる。本人の自覚がものを云うからな。一生気づかずに終わることもあるかもしれないが……だが神は、きっと別の道を、ことあるごとにあの子に示すだろう。おまえの昔の友だちのように、精神を病む前に、おそらくは。それに、あの子の持ち合わせはそういうタイプの繊細さではなさそうだ」
「……だといいけどなあ」
 ザックスはため息をついた。彼は思い出していた、ミッドガルに来て、はじめて友だちになったやつ。線が細くて、内気で、軍隊になんかいないほうがよかった。なぜこんな道を選んだのかと訊ねたら、こう云っていた。勇気がない自分を、どうにかして変えたいんだ、と。だがなにも、軍隊に入ることはなかった、自分を変えることのためには。友だちは当然、耐えられなかったからだ……毎日の激しい訓練にも、そして、軍隊があるそのそもの理由、本来の役目にも。友だちは精神病院送りになった……おまけに、神羅の病院に。たぶん、もう二度と外へ出られないだろう。ザックスは頭を振って、そういう記憶と、感傷とを追い出した。
「にしてもさあ、あんた、なんかあると神がどうとか云うけど、なんでそんなことわかんの? ていうか、神さまってまじでいんの?」
 セフィロスは笑って、目を伏せた。
「そういう自覚はあるのだが、説明するのは難しい。たぶん、おまえもわかるだろう、そう遠くないうちに」
「相変わらず、あんたの云うことは奥深すぎてわけわかんねえよ。もうさ、宇宙とかに行っちゃえばいいじゃん。おれ、止めねえわ、あんたがどこ行っても」
「……考えておく」
 ザックスは外に出た。クラウドが楽しそうに円を描くようにバイクを走らせていた。すっかりいっちょまえのライダー気取りだ。神羅の傭兵に限っては、十六になったら免許さえ取れば、ひと通りの車両の運転が許される。あいつが十六になるまで、まだ一年以上ある。そのあいだに立派なライダーにして、免許を取る手伝いをして、十六の誕生日になったら、バイクを買ってやろうかな。そしてふたりで乗り回す。ときどきは、一緒に来る。この田舎のボロ屋に。たぶんセフィロスもそれを許してくれるだろう。クラウドに悪い印象を持たなかったようだから……当然だ、自分の、友だちなのだから。ザックスはぐるぐるとバイクを回しているクラウドのところへ、歩いていった。クラウドがもらった鍵のことは、当然だけれど、ぜんぜん気づきもしなかった。