あがないの座

彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
わたしたちは羊の群れ
道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。

――イザヤ書 53:4ー8 主の僕の苦難と死(新共同訳)

「おれは来た。あんたはどうする?」
 そう云ったときのクラウドはセフィロスをにらみつけていた。ほとんど挑発するようだった。焚き火はすでに消えて、煙が立ちのぼっていた。クラウドはその煙の向こう側に立って、相変わらず焚き火の前に座っているセフィロスに、涙が出るほど懐かしい、あの生意気な口調で、決断を迫っていた。
 久しぶりに見る彼は相変わらず美しかった。輝かしい金の髪が夜明けの、森の向こうから現れつつある太陽の光を受けて早くもきらめきだしていた。おざなりに羽織ったマントに覆われて、肌といえば顔のものしか見えなかったが、それが相変わらず白く、透明で、みずみずしいのを、まるでそこに水がたくわえられてでもいるかのように、すすりたくなるようであるのを、セフィロスは認めた。目の覚めるような、青々とした目が涙の膜のなかに浮かんでいる。鼻先は相変わらずちょっとむくれたように、周囲に反抗するように、かすかに上を向いている。彼がいくら怒っても怒鳴りちらしても、いつもどこか最後までその感情をほんとうにとることができないのは、この愛らしい線を描く鼻先のためではなかったろうか。そして赤く、どこか不満げな膨らみをもつ柔らかな唇よ! そこから飛びだしてくる数々の悪口は、この子の美しさをいつもぶちこわしにし、同時にたまらなく人間らしいものにした。
 だがセフィロスはそこから目をそらした。日が昇ろうとしていた。森の木立が、その向こうから赤く燃えだす太陽に応じて、その熱に身を任せるようにして、ゆらゆらと揺れていた。セフィロスは夜の静寂を超えて、明るい世界へ潔く身を投げ出さんとする、森の静かな決意と美しさとに打たれた。実にいま、光は呼びかけ、すべてのものが応じていた。鳥が鳴きだした。風が森全体を駆けぬけ、眠りから目ざめるようにとうながしていた。木々は揺れてざわめいた。夜の生き物は、もうおのれの時を終えて、巣に帰っただろう。光のもとに、森は脈動していた。喜びに満ちて、新しい一日をまた、はじめようとしていた。
「おれは来た。あんたはどうする?」
 できれば永久に、こんな問いの前に立ちたくはなかった。この子にこんな問いを、投げさせたくはなかった。こんなぎらついた、決死の、でも腹の据わったような、もうあきらめたような、みんな捨ててかかろうとするような、こんな顔で、こんな調子で、ものを云わせたくはなかった。これは罰なのか? セフィロスは考える。だとすれば、残酷だが、甘い罰だ。罰せられるのは問題ではない。罰するのが彼ならば。罪と罰のなかへ逃げこむのは、なんと甘ったるい誘惑であることだろう。犯した罪というくつがえしようのない過去と、未来永劫罰せられるべき自分という固着した立場とのあいだを、いつまでもさまよい、決してそこから出ないということは。そこでは、美しい夢を見ていられる。許されざる自分と、自分に贖罪の行為を強制する、美しい青年との夢を。
 だがにらみつけるクラウドの目が、そんな感傷的な幻想を許さなかった。彼は夢や夢想に住むタイプではなかった。とことん現実的で、その現実をぶった斬り細切れにしながら先へ行くような子だった。彼はいつでもセフィロスに現実を連れてきて、つきつけた。そして決断を迫った。いま、このときのように。
 セフィロスは立ちあがった。日はすでに森の木立の上に、完全な姿を見せつつあった。彼は立ちあがり、クラウドに真正面から向きあった。
「おれも戻ってきた。どうするか話したい」

 自分の生き方が、ほとんど夢のようだという自覚があった。あやふやな幼少期の記憶、どうにもやるせない戦い漬けの日々、それ以外の選択肢はないのかと、いつも心にかかって離れなかった。自分がどこにいてなにをするべきなのか、セフィロスは求め、答えを探していた。いつか、いつかなにかをやるだろうという自覚があった。とても大きななにかを、こんな肥大化し欲望にまみれた世界を、聖なるものとそれに対する畏怖とを失った世界を、後悔させてやるようななにかをだ。それはいまや成し遂げられ、彼の夢は終わった。セフィロスは目ざめた。これまで何度も目ざめたと思ったが、やはりそこへまたひとつの目ざめをつけくわえた。そして目ざめのたびにいつも思っていたことだが、自分がなにも見ていなかったことを悟った。
 思い返せば、クラウドはセフィロスが目ざめていない部分が、ちゃんと目ざめていたのだ。しかもそれを目ざめさせたのはセフィロスだった。それは誇りに思ってもいいことだ。クラウドのようなやつを起こすのは、並大抵のことでない。彼のうちにひそむ情緒と秩序と無秩序の奇妙な混合体に、まともにつきあいきれる男がいるとは思えない。だから、クラウドにははじめから、どちらかしかなかった。ひとりぼっちで眠ったままでいるか、ふさわしい相手を得て目ざめるか。セフィロスは自問する。彼が目ざめたのは、ほんとうにいいことだったろうか。自分がそれを引きだしたことは、ほんとうに正しかったろうか。
 冬になる前に、落ちつける場所を探したほうがいい、それが先決だ、とクラウドは云い、ずんずん歩きだしてしまった。クラウドはいつもこのように、現実から出発した。晩い秋だった。木々は葉を落とし、生き物たちはまだ生命の名残のあるうちに、食料をためこもうと必死だった。
 クラウドはなにか、目あてがあるようだった。確信をもった足どりで、彼は森を進んだ。会話はなかった。無表情になると、クラウドはとたんに作りものめいてくる。あんたもだ、と云われたことがあるが、それにしても十代の無表情なクラウドは、あやうく、いまにも壊れそうな人形のようだった。その体のなかに、彼はたくさんのものを抱えて、否、くわえこんでいた。そのほとんどがセフィロスがらみだった。そしてクラウドは一度くわえたら、意地でも離さなかった。それだというのに、セフィロスという大馬鹿者は、それをあっさり離してしまった。
 クラウドがときどきまばたきするのを見て、セフィロスは彼がちゃんと生きた人間であるのを感じ、安堵した。まばたきするクラウドを見ていると、彼はいつでも誘われているような気持ちになった。本人の意志に反して、クラウドの容姿はいつも誘惑者のふるまいをした。彼のちょっとした身ぶりやしぐさは、本人の意図とはまるで関係なく、いつも一種のなまめかしい甘えのようなものをともなって、セフィロスに呼びかけていた。
 使われていない山小屋のあることを、クラウドはちゃんと知っていたようだった。クラウドはそこを自分の場所のように扱っていたが、彼の所有物のようには思われなかった。いったい、いま、こうして自分の目の前にいるクラウドが、この世になにか持っているということがあるだろうか。「おれは来た。あんたはどうする?」というのは、そういうことを意味しているのだ。彼は来た、そして来るということは、なにもかもあとにして、捨ててきたのだということだ。居場所も、知り合いも、なにもかも。

 火がともると、とたんにそこは人の場所になる。プロメテウスが人間のために神々から奪いかえしたこの炎がないなら、人間はなにも生まず、なにもできなかったろう。クラウドは飽きずに火を眺める子どもだった。夏生まれの彼は、自分の体の中にも燃える火をもちあわせていた。美しい金髪は光の輝きだった。セフィロスにはそれはいつも、いつまでもまぶしいものだった。
「で、あんたはどうするって?」
 数日ぶりの会話だった。数週間かもしれない。時間の感覚がもうあまり意味をなさない領域に、ふたりは踏みだしかかっていた。
「……おれは戻ってきたが」
 セフィロスは口を開き、暖炉の前に座るクラウドを見た。彼は相変わらずに挑みかかるような目でセフィロスを見ていた。そこに侮蔑か、憎しみを探りあてることを、自分がおそれているのか、期待しているのか、セフィロスにはわからなかった。
「正直なところ、こうやって実際におまえを前にすると、あれこれ考えていたことが、みんな意味をなさなくなってしまうような気がする。おれはむしろおまえに訊きたい。おれはどうしたらいい。おまえはおれにどうしてほしい? おれの望みは、あるにはあるが……」
「ごちゃごちゃうるさい。おれはそれを訊いてるんだよ」
 クラウドはつっぱねるように云った。セフィロスを見つめる目には、抑えられた、しかし燃えるような感情があった。怒りのようだった。もどかしさのようにも見えた。感情的になったときのクラウドは、えらく短気なのだった。セフィロスは思いだした。ため息をつき、口を開いた。
「おまえがおれのところへ来たことに応えたい」
「それ、おれとやり直したいって意味?」
「そうだ」
「で、それ、できると思ったのか?」
「わからない」
 セフィロスは答えた。クラウドが顔をしかめた。
「おれがあんたをもういっぺん殺しに来た可能性だってあるだろ。これ以上ないくらいあんたを嫌っててさ。同じ星に存在するくらいなら死んだほうがましだってレベルで。おれはあんたに、自分がなにしたかわかってるのか、聞きたいよ」
 クラウドはセフィロスの表情を、態度を、見さだめるように目を細めた。
「自分のしたことは全部覚えている」
 自分がなにをしたかすべて覚えており、記憶が自分のうちにあるというのは、誇らしいことだった。それはセフィロスの行動であり、行為であり、意志であり、自分のうちにあって、真実彼のものだった。幼少期の、あいまいな、いつはじまったのかもわからないようなものではなくて。誰の、なんのためにやっているのかわからないようなものでもなくて。
「それで困ったことに、後悔しているものがない。どう云えばいいのか、とにかくどれも別に後悔はしていない。おれが気にしていることといえば、それでおまえにつけてしまった傷のことくらいで、そしておまえがそれをどう思っているかということくらいだ」
「おれは怒ってる」
 クラウドは表情ひとつ変えないで云った。
「見りゃわかるだろ。なんでおれが怒ってると思うって訊いてんの」
「思い当たる原因がありすぎる。おまえの故郷を焼き滅ぼし、母親を刺し殺し、親友に重傷を負わせて、おまえ自身も殺しかけ……」
「もういい」
 クラウドは話を遮り、いらいらしたように云った。
「おれの聞きたい答えじゃない」
 そうしてクラウドは口を閉じてしまった。セフィロスは沈黙のなかに残された。

 怒ったクラウドをなだめる方法はいくつも知っていた。そして以前には、セフィロスはそのことに妙な自信を持っていたものだ。クラウドはすぐ怒るが、たいていそれは長引かず、そのうちにどこかに隙ができたものだ。セフィロスはその隙間にもぐりこむやり方をよく知っていたし、クラウドのほうでも侵入を許していたものだ。
 いまのクラウドは貝のように閉じている。セフィロスにはもぐりこむ隙間が見つからない。こんなことはこれまでになかった。おれとやり直したいってこと? できると思ったのか? セフィロスはわからないと答えたが、正直なところ、できると信じて疑わなかった。これを疑うことは、彼にはできなかった。これを信じなくなったら、彼にはもう信じることのできるものがなくなってしまう。クラウド・ストライフは、セフィロスの前にあわれにもさし出された犠牲の羊なのだ。望むならば、何度でも焼きつくし、引き裂いて切りきざみ、血をしぼりつくしてむさぼり食うことができる。無垢な羊はそのたびに犠牲の罪を背負って死に、ふたたびよみがえる。それほどのことを、この美しい、金髪の、天の使いのような、しかしときに獣のような男とのあいだで、あと何度くりかえすかわからない。いつでも、罪のあるのは自分のほうだ。しかし犠牲を払うのはクラウドのほうだ。もうつぐないきれないほどの犠牲を彼に払わせた。だがまた何度、同じことを、同じ罪を、同じ重さを、彼に与えてしまうかわからない。
 夜だった。ひとつあるきりのベッドの上に、クラウドは転がった。セフィロスは椅子に座っていた。この状況で、同じ寝床に転がれると思うほどのんきにはなれない。ベッドの上、少し高い位置に小さな窓があって、青く冷めた夜に月が静かに浮いていた。クラウドは寝転がったあとも、しばらく目を開けて、月を見つめていた。月光が彼のどこか子どもっぽさを残した横顔を、青白く照らした。
 こんなときでも、こんなに彼を傷つけ、怒らせているときでも、セフィロスは彼の横顔の美しいのを、その繊細な線の絵画的な喜びを、青や金の色彩の楽しみを、見つめないではいられなかった。本人の意志とは無関係に、それはいつもこちらを誘っているのだから。彼は自分のための犠牲の羊なのだ。どれだけ憎まれようが、拒まれようが、それはどうにもしようがない。クラウドには運命を呪ってもらうよりほかはない。彼が逃れるすべはない。セフィロスは最後にはクラウドをちゃんと自分の手のなかにおさめることができるのを、疑ってはいない。たとえそのために永劫といえるほどの時間を費やしたとしても。
 セフィロスは考えつづける。クラウドをどうして怒らせてしまったか。彼がいまどうしてあんなに怒っていて、あんなに悲しげなのか。彼は確かに悲しんでいる。とても傷ついている。あんまり傷ついているので、もう怒るよりほかに自分をあらわす方法がなくなってしまった。彼をそんなふうにしたかったわけではない。むしろ傷つけないようにしたかったのだ。こんなふうに巻きこむよりは死んでもらったほうがどれだけよかったかしれない。そうしたら、また別のやり方もあったものを。彼をひと思いに殺さなかったのはなぜか? 隙が生まれたのはなぜだったか。自分はあのとき迷っていたか。自分が向こう側へ行って、クラウドがこちら側にとどまることを、ふと疑問に思わなかったか。
 気づけば、クラウドは静かな寝息をたてて寝ていた。どんなに興奮したあとでも、怒ったあとでも、彼はいつもこんなふうに、急に力を使い果たしたかのように他愛なく眠ってしまって、セフィロスを困惑させたり笑わせたりした。彼は自分をほんとうにもう一度殺しにかかるだろうか? でも殺したくらいで逃れられないことは、もう彼もわかっているのではないだろうか。なんとも残酷なことだが、それはセフィロスに不思議な喜びを与える。喜びと、心の余裕とを。セフィロスは待っている。きっといつまでも待っていられるだろう。自分がたとえいま彼をつかみそこねても、いずれつかんでみせるだろう。
 クラウドはぐっすり眠ってしまっている。セフィロスはそれに安堵する。同じ空間で眠ってもらえるとは名誉なことだ。寝るともなしに寝てしまったために、毛布はちゃんとクラウドの体にかからないで、脇に丸められていた。セフィロスは音をたてないよう立ち上がり、歩いていって、毛布をとりあげ、クラウドの体にかけた。いっさいの感情を示さない寝顔は、やはり無垢の美しさを放っていた。いったい彼がなにをしたというのか。なにもしていない。彼は墜ちてはおらず、穢れてはいない。墜ちて、穢れるのは、自分だけで十分だ。罪を背負い、悪行を為すのは自分ひとりで十分だ。彼と地獄まで、ともに行ってもいい。だがそれでもあくまで、この子は美しくなければならない。
 さまざまな思いをこめて、セフィロスは彼に触れ、口づけようとしたのだが、やめてしまった。彼はセフィロスをあがなった。あがなわれた者は、あがなった者に服従するべきだ。クラウドの意志のないところで、自分がなにかをするべきではなかった。
「……臆病者」
 クラウドの口がふいに動いて、目が開いた。青い目が、今度こそ侮蔑をふくんで、セフィロスを射抜くように見つめた。それはセフィロスに、はじめてこの目にまともに見つめられたときのことを思いださせた。
「あんたのそういうとこ、ほんとに腹立つ」
 クラウドは起きあがった。青い目は怒りに満ちて燃えていた。
「いまなに考えて手引っこめたのか知らないけど、どうせろくでもないこと考えたんだろ」
「ろくでもないとはひどい」
「いいや、ろくでもないね。あんたっていつもそうだ。そうやって、明後日の方向に気を遣ってばっかりいる。変な理屈こね回してさ」
 クラウドはしばらくいまいましそうにセフィロスをにらんでいたが、その燃える目に、ふと蔭がさしかかった。
「いつもそうだ。肝心なときに、おれがどうしたいか、結局まともに訊いてくれたことない」
 彼はうつむいて、目を伏せた。燃えるような怒りが急速に押しこめられ、閉じこめられて、見えなくなっていった。それはセフィロスをひどく不安にさせた。
「やっぱりあんた、ぜんぜんわかってないよ、おれがなんで怒ってるのか。きっと一生わかんないだろうな。あんた、おれのこと信じてないから」
 ああ、この子は傷ついている。確かにセフィロスは彼を裏切った。彼に、愛を与える代わりに、死を与えようと思った。そうすることで、思い出は永遠になり、彼は美しいままにとどまることができる。なにも知らず、なにも見ず、苦しむこともない。そしてふたたび会う日には、お互いに、まったく別のものになっているはずだった。彼は相変わらず美しく、自分は破壊と創造をくりかえし、ついには、彼に楽園をひとつくらい、くれてやれるはずだった。そこまで行こうと思っていた。楽園ができたら、彼をそこへ呼ぼうと思っていた。そしてそこで、彼は永遠に聖なる美しいものになる。楽園を作るための破壊と終末の苦しみとは、自分が身に受けるもので、彼にはふさわしくなかったから。
「信じていないというのとは、少し違う。それこそ、おまえが信じてくれるかどうかわからないが」
 長い話しあいになりそうだった。セフィロスはベッドに腰を下ろした。少し先に、クラウドの足が投げ出されている。足首から先は服に覆われているが、皮膚がむき出しの足は白くて美しい。つい見つめていると、それに気がついたのか、クラウドが膝を抱えて足を引っこめてしまった。セフィロスはそこから目をそらした。
「なにから話せばいいか……」
「なにも話さなくていい。どうせあんたにはわかんないから」
 クラウドは恨みがましく、非難をこめた目でセフィロスを見やった。
「あんたは絶対訊かないし、云わない。おれがどうしたいか、おれにどうしてほしいか。あんたが考えてるのは、おれのことじゃなくて、あんたが傷つけちゃいけないと思ってるおれなんだ。あんたが後生大事に守らなきゃって思ってるおれ。どこにそんなやつがいるのか知らないけど」
 クラウドは静かに、しかし決して話を遮らせない決意のようなものを秘めて、話しはじめ、いきなり核心に触れてきた。
「そんなんで、おれとやり直したいなんていい度胸してるよ。願い下げだね。絶対にいやだ。目の前のおれじゃなくて、自分の頭のなかにいるおれのこと考えてるようなやつとつきあうなんて、おれはいやだ」
 ……クラウドはいつもそうだった。こうやって、いきなり問題の核心に踏みこんで、つかみ上げ、投げつけてくる。おまえのやり方は斬りこみ隊長のようだ、とセフィロスがあるとき真顔で云い、クラウドが笑い転げたのをセフィロスは思いだしていた。ふたりのあいだになにかがあって、クラウドは怒ってむくれていて、散弾銃でもぶっぱなすかのように、もう我慢ならないというように、矢つぎ早に言葉を並べたてた。感情的になると、クラウドは信じられないほどあからさまになり、直接的になる。彼があまりにも問題のど真ん中をひと思いにえぐってくるので、セフィロスはふと斬りこみ隊長のようだ、と思ってしまったのだった。そしてそれを口にした。そのときの光景がよみがえって溢れ、クラウドのむくれ顔から笑い顔に切りかわった瞬間のことを、その笑い方のことを、あのときの彼のまだどこか幼い顔つきのことを、体つきのことを、そこに流れていた空気のことを、色を、重さと軽さを、セフィロスはつぎつぎに思いだしていた。
「おれ傷ついた。あんたのせいで。あんたが傷つけないようにしようとか考えるから、死んだほうがましなくらい傷ついた。あの日、あんたは訊かなかった、どうするって。訊かれたら、おれは答えてた。一緒に行くって。それか、一緒に来いって云ってくれたらよかった。おれは一緒に行けると思ってた。どこでもいいし、なんでもいいから、あんたのいるとこにいて、あんたの見るものを見るんだと思ってた。でも違った。あんたはおれのこと置いて、自分だけ出ていった。おれ、信用ないんだなと思って、いらないんだなと思って、あんたの気持ちなんてその程度なんだと思って」
 クラウドの目は、悲しげに暗く、沈んで、しかし奇妙にぎらついていた。抑えようのない憎しみと怒りと悲しみ。あの日の自分は、もしかしたらこんな目をしていなかったろうか、ニブルヘイムでのあの日、あの日、クラウドのことを、セフィロスは置いていった。いや、違う、置いていったというのとは違う。一時休止にしようとしただけだ。こんなはずではなかったのだ。こんなに彼にあれこれ背負わせるつもりはなかった。みんな自分が引きうけるはずだったのだ。ああ、なぜあのとき、彼を殺しそこねたか? なぜ彼を眠らせて、隔離しておかなかったのか。
「おれ、あんたのためならなんでもするって云わなかった? そういう話になってなかったっけ? おれはそう思ってたよ。それで、それが誇らしかった。あんたが世界を相手に戦争でもおっぱじめるなら、あんたが負けるとは思えないけど、でもともかくあんたと一緒に戦う気だった」
 クラウドの言葉は鎖となって、セフィロスをぎりぎりと締めあげはじめていた。魂が魂につかみかかり、戦いを挑もうとしていた。彼の魂が、この魂に、じかに触れようとしていた。
「おれは信じてたのに。信じて疑ってなかった、あんたの行くとこに、自分も行くだろうって。小難しい話をあんたがああだこうだしゃべって、おれがふーんて云って、まあなんでもいいよ、復讐でも破壊でもなんでもすればいいよ、おれつきあうよ、って、こうだろ、こうじゃないの? おれはそういうことだと思ってた。なのにあんたが置いてくから、おれわけがわかんないことになって、自分がどこにあるのかわからなくなった。おれのこといろいろ、あんたに話したから、あんたが覚えてるからいいやって思ってたこと、いっぱいあって、思いだそうにもみんな忘れてた。やりすぎた。あんたのこと信じすぎた。バカだった。もう二度とやらない。おれのこと返せ。あんたのなかにいるおれのこと返せ」
 異様な静けさがあたりを覆った。クラウドは膝を抱え、丸まって、震えていた。セフィロスは口を開き、なにか云おうとして、閉じ、しばらくそのまま云うべきことを探してさまよった。
「……相手にあれこれ預けすぎたのは、おまえだけじゃない」
 丸まって震える痛々しい背中を、セフィロスはじっと見つめた。
「こんなことになったのは、そのせいだったかもしれない。おれが墜ちた場所は、おれの場所だが、おまえの場所ではなかった……だからおれは作り替えようとした、おまえを迎えるのにふさわしい場所を、うち壊し、うち立て、整えて」
 自分のなかから、あのときと同じように、ある異様な力が、熱がこみあげてくるのを、セフィロスは感じた。破壊と創造の喜び、その力のあることの喜び、変容する喜び。望むなら、いますぐにも、この震える背中のために、それをなぐさめるために、いまいる世界のすべてを変えることもできる。そして作りあげた世界の最奥で、彼を迎える喜び。セフィロスは自分の両手を眺めた。ここには力がある。墜ちてゆくための力が。そしてクラウドには、昇るための力が。そのふたつでもって世界を、引きあいたかった。たわむれに、遊びのようにして。
「そしておまえを迎えるまで、おまえを巻きこむ必要を感じなかった。おまえはそのままでよかった。おれがすべてを整えるのを、ただ待っていてくれればよかった」
「それが最悪だっての。その思考回路、ほんと、脳味噌かち割ってやりたいよ。おれのこと勝手に決めるな。勝手におれのことのけ者にするな。妄想してないで、おれに希望くらい訊けよ。おれをなんだと思ってるんだ。こんなやつによりを戻したいとか云われてると思うと、泣けてくる。自分がかわいそうで」
 クラウドの声は震えていた。彼の悔しさが、腹立たしさが、セフィロスを打ちつけた。
「……わかっている、いまは。おまえの云いたいことはよくわかった。だがほんとうに、こんなことになるはずではなかった。おれはまったく別のことを考えていた……おれの正気はおまえに預けてあった。ほかにもいろいろなものを。失えないものを、いつかとり戻さなければならないものを、精神のもっともうるわしい、聖なる部分を」
 クラウドが顔を上げた。涙ぐんだ目のふちにたまっている涙を、セフィロスはすすりたかった。その目をなめとって、そこにある水気を、泉の水を飲むように、くみとりたかった。
「おれはそれを無傷のままに保ちたかった、おまえと一緒に、おまえごと、美しいままに」
 クラウドがまばたきをした。その拍子に、目から涙がひと雫、こぼれた。
「じゃあそれあんたに返すから、あんたはおれのこと返せ。もういやだ、こんな妄想野郎とつきあうの」
「気持ちはわかる。でも返せない。おれにはできない、それだけは。おまえのそれを消すこともできない。それは誰にもできない……ああ」
 クラウドが立てて抱えている膝に、セフィロスはくずれるようにもたれかかって、額を押しあてた。クラウドの匂いが近づいた。楽園の木々のように、いつまでもかぐわしい、澄みきった風のような匂い。
「だがおまえの云う通りだ。おれはおまえを信じなかった。おまえの不滅を信じなかった。おまえの魂を信じなかった。そうするかわりに、おれは自分の力を信じ、おまえを外へと追いやった。悪かった。おれが悪かった。つぐないをさせてほしい」
「つぐなう? どうやって?」
 だがクラウドは乱暴に足をふるって、セフィロスをふり払った。
「罪の告白でもして? おれに? それでおれが赦すまで続ける? 冗談じゃない、どこまでおれに丸投げにすれば気が済むんだよ。おれは教会じゃない。他人の罪の面倒なんかみられない。教会なんて、村で聖歌隊にいたとき以来一度もまともに行ってない」
「……聖歌隊員だったのか」
「うるさい。いまのあんたになんか、おれの思い出、なにも話したくない。おれを信じてないやつになんか」
 ああ、かつて彼が思い出を物語るとき、なんという甘い思いがしたことだろう。相手から記憶をわけてもらい、また自分のものをわけ与え、そうして互いのなかに相手をとりこむ、あの瞬間、記憶から、互いが流れ出て、交わった。それは楽園を作るようだった。楽園を彩る草花をふたりで植えてゆくようだった。語りあう言葉から草花が芽吹き、共有された記憶は養分となり、そして彼らが抱きしめあうとき、互いに腕を回しあうとき、楽園は呼吸を止めて、門を閉じた。開かれた目で見つめあうとき、楽園はさらに奥まった庭へ続く門を開いた。彼らは庭へ続く階段を、ひとつずつ降りていった。会話をしながら、相手を手さぐりしながら、交わりながら、手をとりあって。深みへ入ることは、ちっともおそろしいことではなかった、待ち受けている場所が美しいと知っていたから。
 あの楽園は神聖だった。あの場所では、すべてが聖なるものの息吹につつまれているように見えた。セフィロスは戻りたいと思った。彼と交わる楽園へ、ふたりで作ってきた、これから作るところの楽園へ、戻りたかった。互いの手をとり、まろび出て、追いかけ、追いかけられる。あの楽園の温かな息づかい。あのなかに、至福が見えていた。たちあらわれていた。木々のかげからさす木漏れ日のゆらめき、花の香り、永遠にめぐり続ける風の描く、見えない豊かなマチエール。そのなかでこそ、すべては聖なるものだった。
 ああ。自分が彼にどんな仕打ちをくらわせたのか、セフィロスはいまわかったような気がした。彼は楽園を守ろうとして、それを破壊した。クラウドを楽園に置いておこうとして、自分は立ちさった。それが凍えるような監獄に彼を置きざりにすることを意味するのだとも知らないで。そのとき楽園の木々は枯れ、泉は湧きあふれるのをやめた。門は口を閉ざして、荒廃と、滅びへ向かった。残された魂は、荒れ果てた、砂っぽい風のなかに吹きさらされた。そんなことになるくらいなら、ふたりで楽園を破壊したほうがよほどましだということに、なぜ気がつかなかったか。楽園のことなど、クラウドは微塵も気にしないことを、なぜわからなかったか。楽園にいてもいなくても、クラウドはいつまでも、こんなに美しく燃えるかたまりのようで、相変わらず楽園の聖なる空気を、失わずに保っているというのに。
 クラウドが冷たく、表情のない顔でセフィロスを見下ろしていた。裁きの場に、その正念場に、セフィロスは立っていた。ここで彼に赦されないのなら、もう二度と、つぐないの機会はなかった。セフィロスは目の前にある、ベッドの上に投げだされたクラウドのむき出しの素足に、顔を寄せ、口づけた。
「頼む、おれに話をしてくれ。最後に会ってから、なにをしていた? なにを考えていた? どんなことがあった。誰となにを語り、なにを知って、なにを見た。おれに教えてほしい。離れていたあいだのことを。自分が枯れかけているのがわかる。おまえの記憶と血がほしい。おまえの頭と体がほしい、クラウド」
 その名前を口にしたとき、セフィロスは自分のなかに、その存在が呼び起こされ、舞いもどってきたと感じた。自分のなかにしまいこまれていたクラウドの記憶が、呼びかけに応じ、彼のうちから応えた。その感覚のなつかしさに、自分のうちに確かに彼がいることの感触に、セフィロスは安堵し、ふたたび白く、細身で美しい足に口づけた。
 クラウドは、自分にぬかずくようにしている男を、じっと見下ろしていた。
「……最初からそう云えばいいんだ」
 クラウドはぞっとするほど満足げな声で云った。
「バカセフィロス。最初からそう云っておれのこと襲えばよかったんだよ。そしたら、こんなにごちゃごちゃ無駄なこと話さなくてもよかったのに。ほんと、おれがどんなやつだか、あんた、ぜんぜんわかってないんだな」
 嘲笑するような、揶揄するような口調で、クラウドはそう云うと、セフィロスの頬を足の甲でなでた。
「ほら、どうする? おれはここにいるけど、来る?」

 答えはもちろん、決まっていた。ベッドの上に転がったクラウドを見下ろし、頬の輪郭を、髪の感触を確かめ、生意気に微笑む唇をなぞり、先ほど芽ばえた欲望にしたがって、みずみずしい体液をすすりとった。首に歯を立て、そこが確かに脈動するのを、定期的に波うって、赤く澄んだ血を体じゅうへめぐらしているのを確かめた。白くなめらかな皮膚の下で、心臓が動き、内蔵が動き、彼の体を生かしていた。その中心に、自分がつけた傷があった。そこをなぞられると、クラウドは敏感な反応を見せた。そしてセフィロスの体にも同じ傷がないのをくやしがった。
「あんたはずるい」
 クラウドはすねたように云った。
「おればっかり、傷ついて頑張ったみたいで、あんただけ無傷で」
「おれはその逆にするつもりだったんだが。おまえもよくよく不運なやつだ」
「あんたのせいだろ。しくじるなよ。不器用。ろくでなし。肝心なとこで抜けてるやつ。…………あんたのそういうとこ好き」
「それはありがたい」

***

 月はもう盛りの輝きを失って、消えかけていた。さんざん転げまわったあとで、寄りそっておとなしく横たわるときの、不思議な静けさと充足とに満ちた時間が、夜の終わりのなかに沈もうとしていた。
「……聖歌隊はすぐやめた」
 クラウドがふいに云った。セフィロスはちょっと顔を上げ、クラウドの頬にまだどこか汗に濡れている金髪がひと筋、張りついているのを見て、かき上げた。クラウドは眠そうな、穏やかな顔をして、相変わらずどこかむくれたように、甘えたように唇をつき出し気味にしていた。
「牧師の奥さんが、母さんのいないときに家に来て、むりやり練習に連れてったんだけど、その人、ぶくぶく太ってて、変な猫なで声で、いつもおれのことなでまわすんだ。気持ち悪かった。最初はよかったんだ、いろいろ食べさせてもらえて。練習のあととか、聖餐式のあととか。おれいつも腹が減ってて」
 クラウドが無意識にすり寄ってきた。
「だから、食料にありつけるからやってるって感じだった。でも、テノールのいやなやつと喧嘩してやめた。だいたい聖歌隊置くなんて、旧教みたいなことやってるのが悪い」
 セフィロスは苦笑を禁じ得なかった。
「おれ傷だらけで家に帰って、母さんをぎょっとさせた。母さんが、あとでテノールのやつの親と、牧師の猫ババアに謝りに行ってた。おれ、すごくいやだった。母さん、人に頭下げるの嫌いなのに。もうちょっといい子でいたかったけど、無理だった。世界があんたに狭すぎるのかもね、って、母さんなぐさめてくれた」
 クラウドの頭をあやすようになでながら、セフィロスは物語をなぞり、反芻し、想像して、飲みこんだ。小さな少年のクラウドが、あの村の教会へ走って行くところを、あるいはその中で、すごいしかめっ面で、いやいや歌に参加しているのを、セフィロスは思い描いた。クラウドが打ちあけたから、物語は共有され、ふたりのあいだで交わって記憶になり、セフィロスのうちにも宿った。お互いのあいだにたまってゆく記憶を、セフィロスは愛した。クラウドから思い出を打ちあけられるたびに、セフィロスはクラウドを摂取しているような気がしていた。彼の話はいつも、甘く、うるわしい味がする。セフィロスがそれを吸いあげると、それは自分の中に入ってきてうずくまり、そしてそこで息づく。それを果てしなくくりかえしたなら、きっとお互いに相手の記憶をすべてとりこんで、完全になるだろう。
 ……だが聖歌隊のクラウドとは初耳だった。彼と歌とは、あまり結びつかないのだが、そもそもこんな協調性のない人間に、合唱のような芸当は無理だ。彼は野生のように生きていたほうがいい。決して飼い慣らされないで、気の向くままに、気まぐれに、ここで、自分のとなりで。
 クラウドはセフィロスの上に乗っかるように寝そべって、顎の下に腕を敷いて、ちょっと挑発するような、いたずらっぽい目つきでセフィロスを見ている。笑みを浮かべ、ゆがめられた唇。小生意気な鼻先。水流のような肌。その姿はいかにも自分を愛しそうで、ふり回しそうで、なぐさめそうで、傷つけそうだ。聖なるものよ、おまえの聖性は、この世ではときに悪魔のように見える。楽園から墜ちてきたもののように。だがそれは見かけだけだ。彼はいつまでも、永遠に聖なるものであるだろう。決して墜ちず、穢れず、そしてこちらを聖にするだろう。その笑みで。そのあまりにも一途で、真摯な熱情で。