ともにベッドに入るということが特別な意味を

 ともにベッドに入るということが特別な意味を持っている関係に、戻れるのかどうか、セフィロスに確信はなかった。クラウドがこちらを好きなこと、ありがたいことにそれはほとんど間違いないのだけれど、それと以前のように戻るということとはまったく別の問題だ。セフィロスにはわからない。クラウドのことを、理解できるなどと云うつもりはないし、実際理解できない。理解できないことの魅力。なにをするかわからない。感情の幅が大きくて、よく怒るしよく笑う。根本的なところは押さえているつもりだけれども、クラウドを動かしているのは、論理性など軽く飛び越えた、ひとつの情念だ。それが自分に向かっている。自分だけに向いている。そのことで、たぶん満足するべきなのだと思う。クラウドを動かす情熱を作る自分という立場。ずいぶん長いこと、それだけが自分を動かしているようにも思う。
 雪深い森の中の空き小屋に、ベッドは、ひとつしかない。クラウドは泣くだけ泣くとふいに彼から離れて、あとはずっと無言だった。照れているというのとは違った。クラウドの中に、セフィロスにわからない感情があって、セフィロスにわからない理論があって、彼はそれに従って動いている。いつまでも甘くない。かと思えばとんでもなく甘味の強い日もある。セフィロスは正直なところ、その身体の熱をもう少し、感じていたいと思った。なにしろ、何年ぶりかわからない。クラウドの身体は大人のそれに変わってしまった。そんなに劇的な変化はないけれども、すこし背が伸びたし、余計なものが落ちた。子どもであることの甘さみたいなもの。いまではほんとうに、美しい青年になってしまった。少年から青年への変化を、つぶさに見られなかったことは悔やんでも悔やみきれないものがある。新しくなった彼の身体。その変化、その熱、そして媚態。彼の身体に触れてしまったから、思考は急速にエロティックな匂いを放ちはじめている。そんなことが許されるか否かは、別にして。
 お互いに無言のまま夜が来た。クラウドはただマットがあるだけというベッドに毛布を敷いて、寝心地を確かめてから、起き上がった。
「ベッドひとつしかないしいっしょに寝てもいいけど」
 そう云って首を傾け、剣呑な調子で目を細める。
「手出すなよ」
 セフィロスはわかったと云った。ふたりひとつのベッドで、そしてなにごともなく眠ること。そういう夜は、幾度もあった。クラウドが眠いとき、その気がないとき、なおりかけの喧嘩中だったとき、いろいろ。それでも、ふたりひとつのベッドの中には、生暖かな楽園があった。クラウドはあの小生意気な目と口を閉じると、とたんに純粋に、ただ純粋に美しくなる。折りたたまれ、ときに小さく震える長いまつげ。ゆるく結ばれた唇。ちょこんとした、という以外にどう形容したらいいのかわからない、穏やかな斜面の先にまとまった鼻。振りかかる金髪。それが真摯に眠りの中にいるさまは、まるで自分が眠っているかのように、セフィロスの中のなにかを打った。眠りの中にある、あの吸いこまれるひとつの魔力。眠りのさなかにいるクラウドの中にある、ひとつの魔力。
 クラウドが生意気に鼻を鳴らして横になる。セフィロスはその横に、おそるおそる近づく。クラウドが足で自分の横の毛布を蹴り上げて寝場所を示す。彼はそこへ、身を横たえる。クラウドはそっぽを向いた。もう目を閉じている。セフィロスはひとつ息を吐いて、横にある身体が、確かな体温を放っているのを感じる。この身体から熱を奪うこと。そして自分自身の熱も死に絶えること。いろいろなことがあった。ほんとうは、ふたりいっぺんに、死にたかったかもしれない。セフィロスもクラウドも、お互いにこの数年間、どういう気持ちで過ごしたのか、なにも語っていない。それを云い出すには、時間がかかるかもしれない。そしてそれと並行して、となりにある身体に触れることもまた、時間のかかることかもしれない。クラウドをめっぽう傷つけた自覚があるから。自分の中にある傷よりも……実際、それはどうということもなかった、彼はなにしろ、自分の中の狂気、あるいはそもそもそれが自分の使命だったかもしれないもの、それを吐き出せたことでもうすっかり満足だったから。吐き出したから、それはもう心底自分のものなのだ。自分の一部として、自分の中にあるのだ。彼は自分の存在には、もう満足しきっている。彼は役目を終えた。だからこれから先の人生はおまけみたいなものだ。神が長い長い旅に、つかの間与えた休暇。そこにクラウドがいることは、とても意義深い。感動ですらある。だから、先を急いではいけない。どれだけ長い時間をかけても。それでも自分が、そしてとなりで眠る青年が、お互いから離れるなんてことはありえない。彼の怒りがおさまるまで、彼から奪ってしまったたくさんのもの、それを、受け入れられる日が来るまで。責任は重たく激しい。なくなることはないけれども、クラウドの感情に整理がつくまで、自分のあらゆる欲求に、蓋をする覚悟はある。
「……あんたさあ」
 ふいに不機嫌な声が響く。セフィロスは首をそちらへ曲げた。
「どういうつもり?」
 クラウドはそっぽを向いたままだから、その顔がどうなっているのかはわからない。
「どういうつもり、とは」
「このまま寝る気?」
 セフィロスはすこしだけ、ことばを、つまり思考を失った。
「本気で? ふざけてんのか?」
 クラウドは起き上がった。起き上がって、ベッドから抜け出た。不機嫌極まりない態度でそのままドアめがけて歩いて行く。
「クラウド」
 彼は呼んだ。呼ばれたほうは、金髪を揺らして、振り返った。怒っている。頭に血がのぼったときの、すこし上気した顔をしている。ああ、クラウドの怒り方だ。とても懐かしい気持ちが去来するのを、止められない。彼の怒りはいつだってふいにやってくる。爆発して、でもすぐにおとなしくなる。尾を引かない。思わず笑いそうになる顔を押しこめて、怒りの理由さがしを優先する。
「なにを怒っている」
「なにを?」
 盛大にしかめられる眉。こんなに彼の機嫌を損ねているのに、理由のひとつも思いつけない自分はばかなのだ。セフィロスはいつもそう思っていた。そしてその感じは、感情は悪くなかった、ちっとも。
「もういい。おれ傷ついた。あんたなんか、万年ひとり寝してろよ」
 これは。これはとてもばかなことをした。セフィロスはベッドから出て、大股で歩いて、出ていこうとするクラウドに追いついた。
「こら、待て」
 腕をつかもうとするが、押しのけられた。それでも強引につかむと、抵抗はなくなった。でもクラウドの場合は、油断するとすぐ家出する。すぐ戻ってくる家出。昔からそうだ。だから、後ろから腕を回して拘束する。
「離せよ、ばか」
 口調こそ不機嫌だが、離してほしそうな身振りはない。セフィロスはとても安堵して、クラウドがクラウドであることに、昔のように怒ることに安堵して、そして例の「傷ついた」というせりふにすら安堵して……なぜならそのことばには、内容とは裏腹の甘えた響きがあるから……金髪の中へ頬を埋めた。
「手を出すな、と云ったのはおまえだ」
「だからなんだよ」
 この場合、どうあってもセフィロスは怒られることになっている。手を出すなと云ったのに出した場合も、云うとおりに出さなかった場合も。でも、それでも前者のほうが正解だったのだ。なんということだろう。クラウドが求めていたのはそれだったのだ。手を出すなということばの裏に隠されたもの。それを、読み解けなかった。彼がわざわざそう口にしたほんとうの理由を。それは、その行為をほのめかしていたのだ。それを思いださせるためだったのだ。ふたりのあいだには、行為に至るという関係性がまだ継続している、あるいはふたたび築かれる可能性があるということ。それを、暗示するためのことばだったのだ。
「云うとおりにしただけなんだが」
 クラウドの頬に血の気が増す。脚を蹴られた。割合に本気で。セフィロスは嬉しくなる。昔ザックスに、あんたさあ、マゾだったの? と云われたのを思い出した。閣下にさ、ののしられて足蹴にされて喜んでるってマジ?
 ああ、それはほんとうだ。正確には、クラウドに翻弄されることに喜んでいる。彼の非論理的な論理に、無秩序な秩序に、放りこまれ、もみくちゃにされて、自分の中の秩序が崩壊すること。それが彼の快楽、忘我なのだ。たとえばこんなふうに、どんな行動を取るにせよ結局はクラウドが機嫌を損ねることとか、云うこととやってほしいことがぜんぜん乖離しているとか、そういうすべて。そこに含まれる云いようのない甘さ。正確に云えば、その味に囚われている。
「悪かった、おれが抜けていた」
「抜けてるどころじゃない。ただのアホだ。離せよ」
「スランプなんだ」
「はあ?」
「何回か、おまえのことをつかみそこねるかもしれない。感覚が、まだ追いついてない。おれはいま、実際ふるえているところだ」
 クラウドがぎょっとした顔で仰ぎ見る。セフィロスは目を細めて笑う。
「わかるか? わからないだろう。おれはもっと、時間が必要だと思っていた。おれのしたこと、おまえのたどってきたもの。失ったもの、得たもの。そういうことを考えるとき、たとえばおれは、おまえに憎まれるという可能性もあるわけだ。もっと取り返しのつかない感情を抱かれる可能性、そういうことを、考えていた。だがおまえときた日には、いつもそうだが予想のはるか先を行く」
 クラウドがセフィロスの身体を乱暴に振りほどいた。セフィロスはほんとうにぎょっとした。なにしろ彼はすっかり感慨に浸っていたのだから。
「ああもう、腹立つ!」
 クラウドは頭をかきむしった。
「あんた、ぜんっぜんおれのことわかってないな。いくら責任感じてるからって、履き違えるのもたいがいにしろよ。あんたのそういうとこ嫌いだ。あんたがニブルでどうこうした日におれがなに考えてたか云ってやろうか? おれ、あの日人生の絶頂だと思ってたんだ。あんたがとうとう真逆にふっきれたんだと思って、こんないかれてるなんてぞくぞくすると思って、おれあの日、今日でおれ死ぬんだと思った。あんたも死ぬんだと思った。あんたはきっとおれのこと殺すから、おれがあんたのこと殺してやるって思って。ふたりして地獄に行ってさ、男色だか反逆だか冒涜だか殺人だか、とりあえず何十も犯した罪をつらつら並べられてさ、あんたが殺したやつらひとりひとりの前で頭下げて、石ぶつけられたりしてさ、白い目で見られて、追い立てられてさ、あとでふたりして慰めあいっこしようなって思って。おれそういうの好きだよ。おれそういうやつなんだよ。でもなんの罪だか罰だか死ねなくてさ、そのあとのことよく覚えないけど、死にたいなって思ってた気はする。おれもう燃え尽きてたから。おれの命がけ、なくなっちゃったから。あのとき死ぬべきだったのになって。ほんとに、あの日で止まってたかった。あんな興奮、たぶんもう二度とないから。あんなにあんたのこと好きだと思えるの、もうないかもなくらいあんたのこと好きだったからさ。好きっていうか、もう嫌いなのか好きなのか、おれもぶっ飛んでてよくわかんなかったけど。それくらいのものすごい感情。わかる? なのにあんたときたら、ぜんぜん見当違いの方向に責任感じてて、ほんとなんにもわかってない。母さんのこと? 母さんがいなくなったのは悲しいけど、でもいいよ、わけわかんない病気で苦しんで死ぬより、あんたに殺されたほうがまし。母さん、歳とるの嫌がってたし。ザックスのこと? これはあんたのせいじゃない。どっちかって云ったらおれのせい。エアリスのこと? 殺ったのあんたじゃないし、だってしょうがないだろ、死んじゃったんだから。世の中にごめんなさい? いいよ、変な会社がのさばってて、一回つぶれたほうがましだった。あんた、いい仕事したよ。ほら、ぜんぶなんでもないことなんだよ。ぜんぶなくなって、あんたしかいない。おれそういうの、好きだよ。絶望的だよな。あんた以外誰もいないなんて話。でもおれ、そういうの、結局楽しんじゃうんだ。ほんと云うと、興奮しちゃうんだよ。ひどいよな。最低だなって思う。でもさ、わかってよ。おれの気持ち。あんたそういうおれが好きなんだろ? ほんとはおれ死のうと思ってたんだよ。でも、死ぬつもりで出かけたら、あんたのこと拾っちゃった。おれが怒ってる理由、ほんとにわかる? あんたが、申し訳なさそうな顔とか態度とかしてるからだよ。おれが欲しいの、そういうのじゃない。そんなのぜんぜんいらない。おれのこと好きだろ? だったら、そういう態度しろよ。押し倒すくらいしろ。さっきからおれ、ずっと待ってたのにさ。わかった? このニブチン。次そういう態度とったら、もうぜったい仲直りしてやらないからな」
 ここしばらくの無言の時間を取り返す勢いで、なにかの熱に浮かされたかのようにぶちまけると、クラウドはきつい顔のままセフィロスを押しのけて、ベッドに座りこんだ。セフィロスは自分が、いささか呆けていることに気がついた。そうして、自分の犯した罪の重さに気がついた。クラウドのなにかを奪ったことでもない、星ごと破壊しそうになったことでもない。そういうものよりも、本質的にはるかに重要なこと。クラウドの奔放な情念を、彼のひたむきな、命がけの情熱を、自分が惹かれたはずの彼の本質を、結局信じていなかったこと。そういうものよりも、表面的な(あるいはより常識的な)罪に固執したこと。彼のいろいろなものを奪ったことへの責任、というのは、クラウドに関するかぎり、ほとほと筋違いだったらしい。なぜなら、そうされることはクラウドにとって一種快楽にすらなり得るから。そういうことができる男こそ好きになってしまう。おそろしい性質だ。彼の情熱に、通常の気遣いなど意味をなさない。相手のために死ぬこと、破滅的な状況に陥ること、すべてを失うこと、そういう悲劇のさなかにあって、彼の情念はほんとうに生きてくる。そして究極には、相手といっしょにくたばることの中に。地獄へ落ちることに。
 その愛し方、激しい情熱。それがこちらに向けられることの恍惚を、欲したのは自分ではなかったか。だから彼を、求めたのではなかったか。だが自分のやり方が、信頼の仕方が、はなはだ不十分だったのを、クラウドにとって歯噛みするほど生ぬるいものでしかなかったのを、セフィロスは知った。クラウドの情念は、誰が何度死のうが、世界がどうなろうが、そのたびに燃え上がって、膨れ上がる。悲劇のたびに。自分が傷を負うごとに。そして同じ傷を、相手にも与える。それがクラウドのやり方だ。それこそがたったひとつの、彼にとっての命がけの情熱だ。
 クラウドが試すような視線を向けている。冷笑的だけれども、その奥に秘められた期待の色は、隠しようがない。応えなければならない。なにより、セフィロスはクラウドが好きだ。彼はいつでも予想外のとんでもない存在だから。それに惹きつけられる。期待をこめて歪められた唇を、どうあっても摘み取らねばならない。
 セフィロスはベッドに歩み寄る。クラウドを見下ろす。真っ暗な部屋の中でも、彼の目は際立っている。頬に手を伸ばす。子どもらしい丸みを完全に失った頬。白くなめらかで、金髪とよく調和している。クラウドは表情を変えない。どうする気か見てやる、という顔。頬のラインを確かめて、髪の毛の感触を確かめる。ふいに過去の記憶が蘇る。おれなんでこんな猫っ毛なんだろう、ばしっと決めるのに、えらい時間がかかるんだ。そう云って、鏡の前で不機嫌な顔をしていた彼。髪がへたっとしてるなんてセンス的にありえない。でもセフィロスは、別に悪くないと思っている。セットされないクラウドの髪だって悪くない。ふにゃふにゃで、とんがっていなくて、ずっとやわらかい印象になる。
「髪型に対するこだわりは、変わらないのか」
 クラウドはばかにしきった顔になる。
「あんたにはわかんないよ、めんどくさいって理由で髪伸ばしてるようなやつには」
 セフィロスは笑って、身を屈める。目を閉じかけのクラウドの顔が一瞬見える。とてもエロティック。唇が触れる。ゆるやかに。穏やかな波に揺られるように、揺れ動き触れあう。唇の熱さは、感触は、ぜんぜん変わらない。なつかしい弾力でもって、こちらの唇をあるときは跳ね返し、あるときは引きこむ。ちょっとした、めまいを起こしそうになる。いくらか年月が過ぎても変わらないもの。同じように触れる唇。指で覚えている耳先の冷たさ。まつげの感触。
 唇が小さく音を立てて離れる。視線がぶつかり、目と目のあいだに生じるあの熱を、誰が正確に描写できるだろう。それはことばにしようのないものなのだ。渦を巻き、ふたりを引きこむあの熱。クラウドの目は、抜群にそれを誘発する。どういう目線が一番効果的なのか、彼は本能で実によく知っている。気だるい視線。まぶたとまつげの生み出す陰影。そこにある性の匂い。自分が、欲情の対象として見られること。
 続いての口づけはもう穏やかでもなんでもない。貪り、奪いあい。唇と唇のあいだにある見えないものを、必死に食い尽くそうとしている。やってくる高揚感、そして切実な欲求。絡ませて、吸い上げる。だらしなく、あるいはみっともなくベッドに転がる。衣服の下を、どうあっても手さぐりしたくなる。だから衣服がじゃまになる。肌と肌が、呼びあうからだ。正確には、そのさらに奥にあるものが。セックスがほんとうの意味で求めているものは、肉体の融合、そしてその先の、魂の融合であるとセフィロスは思う。ふたつのものが熱を帯びて融けあう。まじわり、こぼれる。
 記憶にあるものよりも、すこし大人びた身体。あまり変わっていないと云ったら、彼は怒るだろうか、それとも喜ぶのか。反応はまったく予測できない。クラウドはいつも予測不能だ。未知。引き起こされる困惑、歓喜。あらゆる感情。彼がいなければ、何度蘇っても、たぶん人生はてんでつまらない。彼はこちらを突き落とし、すくい上げ、翻弄する。ときどきは、根底にある感情が爆発する。今日のように。好きじゃないの? 好きだろ? 彼は不安になるのが嫌いだ。いつも満たされていなくてはならない。当然のようにされる要求はとても高い。けれども、それに見合ったものをちゃんと返してよこす。全力で受け入れる。こうして、身体で。全身を、こちらのために開く。そこから発せられる感情の中に溺れる瞬間の恍惚を、セフィロスはたぶん永久に手放せないと思う。開放と、受容と、快楽。そのすべてがあわさった行為、ともにベッドに転がること。時間をかけて、お互いの身体を探求すること。唇で、舌で、手で、全身で相手の身体を、皮膚を、造形を、感じること。そして体内。熱く、絡んでくる肉の感触。快楽に歪む顔は、もとがいいだけに実に美しく、そして官能的だ。金髪と上気した頬との彩りは鮮やかだ。引き起こされる快楽を、無心で味わっている。唇が開いて、そこからかすれたような、ときに高い、あるときはくぐもった、熱っぽい声が漏れている。クラウドだ。正真正銘。セフィロスはふいにそれを確信する。誰でもない。どんなものにも影響されていない。彼の知る、彼のための、そしてすなわちあるがままの、クラウドだ。それ以外ではありえない。ここに、この腕の中に、自分のそばにいないときの、あるいは自分の存在から離れたクラウドは、実際のところもう彼ではない。なぜならクラウドは、それ以外のすべてに、さほど興味がないから。本気にはなり得ないから。彼がほんとうに心から感情をあらわにし、態度を大きくし、地に足をつけ、君臨するのは、この場所でしかあり得ない。自分の横でだけ。この場所でだけ、彼はみずみずしく、自然で、美しい。その悦楽。自分だけだということ。自分だけが選ばれているということ。それ以外は跳ねのけられ、見向きもされない。極端すぎる。実にいやなやつだ。でも、クラウドはそういうやつだ。ひとつのことにだけ、ひとりの男にだけ、全力だ。分散されない、ぶれないすさまじいエネルギー。そしてだからこそ、惹かれる。
 ひたすらに、恍惚。身体を駆け抜ける快楽。ここ数年忘れたかに思われた。リユニオンは、実際のところ、快楽など伴わない。それはアメーバの、バクテリアの、下等動物の分裂と融合にすぎない。結びつこうとする本能的な力は強力だが、そこに意思はない。感情もない。本能的な、破壊と殺戮の欲求。ジェノバ細胞は、大ばか者なのだ。それを繰り返した先のことを考える能力を持ちあわせない。プログラムのバグとしか思われないが、きっと目的はあるのだ。存在意義のないものなどこの宇宙には存在しない。その意義はなにか。セフィロスはなんとなく知っている。それはひとつの、乗り越えるべきものとして必要なのだ。ハードルや壁みたいなもの。より調和した存在となるために、より深く高い存在となるために、越えるべきひとつの障害。自分の役割は、破壊者だ。すべてをゼロに戻す役目。ライフストリームの、あの中で、セフィロスはそれを認識したのだ。行きすぎて、ふりきれかけている世界の、その根底を覆すために。それが役目、この人生の目的だ。そしてもう終わった。支払った多くの犠牲のかわりに、支払われたもの。目の前の存在。アフェニティ。自分のためだけに存在するもの。大変な任務だったが、これでトントンだ。貸し借りはなくなった。あとは、ふたたびお呼びがかかるまで、好きなだけ満喫する。彼とふたりの時間。じゃれあうこと、お互いを満たすこと、心底満たしあうこと。悲しみも絶望もない。嘆きも、不安も。なぜなら、完全だからだ。ふたつのものが、しっかりとひとつであるということは。
 クラウドはこちらの髪の毛を引っぱり、しがみついてくる。この次に無断で離れたら、たぶんクラウドに殺されるだろう。彼は今日はとても素直で、そして敏感だ。あらゆる刺激に対して、受け入れる覚悟ができている。味わう覚悟ができている。金色のまつげで閉じられた目から涙がこぼれ落ちる。彼の感激を、歓喜を、全身で感じ取れる。だからセフィロスも、それに応えるように、強く押しこむような刺激を与える。クラウドの身体が跳ね上がる。しなやかに、美しく。こちらを包む場所も、それに応えて奥へ誘いこむような動きをする。誘惑者。その強力な引力。
「セフィロス」
 絶え絶えに、呼ばれる。そこに引き寄せられるように唇を寄せる。吸い寄せ、摘みあげる。中で絡む。クラウドが積極的に絡んでくる。求められていることを、強く意識する。口の中と連動するように、彼の中も動いている。別の生き物のよう。快楽をともなって心地よく、離れられない。唇が離れる。唾液が長く糸を引く。クラウドは薄く目を開けた。もうすっかりゆるみきっている目。思考を失っている目。セフィロスは彼の頬をなでてから、またゆるやかに続きにかかる。クラウドは目を閉じて、それを味わう顔になる。
 頂点は、もうすぐそこだった。それはお互いにわかっていた。なんとか引き伸ばして、先送りにして、また近づけて、そうして、劇的な終わりを迎える。小さく痙攣するクラウドの、その中で絞め上げられる感覚が、終わりを促す。クラウドは自分が達したときよりも、こちらが吐き出すのを感じるときのほうが、溶けそうな顔になる。快楽ばかりでなく、どこか甘えたような印象を漂わせる。その顔がぜんぜん変わらないので、セフィロスはきっといつまでもこいつは本質的に甘ったれなのだと思う。自立しているのに、放っておかれるのは好きじゃない。彼はいつも全身で主張している。与えろ、注げ、全部。
 クラウドはセフィロスの肩に鼻先をうずめて、長いこと動かなかった。セフィロスはだから、彼の身体をさすった。そこへこめたのは謝罪でも、感謝でもなく、ただ単に感慨、そしていとおしさだ。そういうことを感じる時間は、とれるものならたっぷりとったほうがいい。ちゃんとそこへ浸ることは、大切だ。そうすれば普段は少々ぶっきらぼうだって、根底でちゃんと信頼しあえる。
 クラウドが身じろいだ。そろそろこの時間もおしまいかと思ったら、ふいにぐっと力をかけられて、セフィロスはベッドに仰向けになった。クラウドに抵抗など、いつからだか、していない。まだ、クラウドの中に収めたままだった。クラウドはその上に乗るようなかたちで、彼を見下ろしてきた。いまの行為に充足感を感じているような、でもいくらか不安げな、あるいは寂しげにも見える表情を浮かべている。繊細な表情。そして目つき。目の中にある光のうつろい。
 ふいにクラウドがゆるやかに動き出した。セフィロスは少々、驚いた。腕を差し伸べようとすると、拒絶された。
「いいから」
 クラウドがぶっきらぼうに云い放った。すこし、声がふるえていた。
「黙っててよ」
 そうして動きを再開する。ゆるやかな快楽がふたたび生まれようとしている。クラウドは唇を噛みしめ、泣き出しそうな顔になる。そうしてそれを押しつぶすみたいに、唇を歪めて笑う。でも、泣いている。これは泣いている顔だ。けれども、笑っている。ゆるやかに動きながら、小さな快楽と、大きな感情とのあいだで。
「クラウド」
 彼はたまらなくなって呼びかける。クラウドの目から涙があふれた。
「気持ちよかったんだよ」
 クラウドはぐずぐずの声になって云う。
「欲求不満だったんだよ。誰のせいだよ。あんただろ」
 左腕で、乱暴に目の周りを拭う。
「……クラウド」
 彼はもう一度、腕を伸ばした。今度は、振り払われなかった。上体を起こして、涙で濡れている頬に触れる。クラウドの嗚咽が激しくなる。セフィロスはたまらずに、彼の身体を抱きこんだ。
「おれ好きだよ。あんたのこと好きだよ。わかってる? ほんとにわかってんの? もう謝らない? 昔みたくする?」
 セフィロスは感慨深げに息を吐きだす。いろいろなものが、変わってしまった。でも、クラウドはぜんぜん変わっていない。甘ったれた爆発のしかたも、なにもかも。
「ああ、そうする。スランプはたぶんもう終わりだ」
 クラウドが本格的に泣き出した。大声を上げるわけではないけれど、代わりに涙がぼたぼたと溢れて止まらない。抑えられない、あふれだす感情。ふるえる身体から、伝染する。彼をめいっぱい傷つけた。でもクラウドは、それを誇りに思うと云うだろう。お互いの傷。どうにも隠せないほど深い傷。作って、修復する。そこに潜む甘さ。倒錯。いま、ふたりはめいめいの傷を修復している最中だ。実際には、ほとんど完了しているといえる。明日になれば。明日になれば、また昔みたいに戻るだろう。なんにもなかったみたいに。クラウドはいつもの尊大な態度で、あれこれ云うだろう。セフィロスはそれを、待ち受ける。引きずられる。ときどきふたりして転覆。笑いながら元に戻る。
 変わったのは、ふたりを取り巻く状況だけだ。セフィロスは神羅のものでなく、クラウドは傭兵ではなく、この世の中に、ほんとうにふたりきりになった。どこもかしこもふたりきりだ。いかれた身体も、精神も、肉体も、魂も、ふたりきりだ。誰も入りこめないし、当分はいらない。とても自由だ。かつて、欲しかったもの。注目されないこと、ひっそり暮らすこと、余計なものを、視界に入れないこと。そういうことがすべて、叶うのだ。ふたりはひっそりやるだろう。ここでもいいし、きっと田舎に住むだろう。セフィロスはたぶん、また大地と戯れる。クラウドは暇を持て余して、なんでも分解する。すばらしいことだ。これは。いろいろと支払った代償への、見返りのほうが大きいくらいだ、これでは。でも人生はいつもそうだ。必ず、報いのほうがすこし大きい。それを信じれば、行動を起こすことは容易だ。
 クラウドの涙で、その感情で、結局あっけなく全部解けてしまう。わだかまり。すれちがい。軋み。そうしてまたひとつになる。同じところに立って、歩きはじめる。これまでのことなんて、もうなかったことになる。冗談にする。クラウドはきっと云うだろう。あの日のあんたときたら。締めすぎたネジ並みにいかれてたよ。セフィロスは笑って、こう云い返すだろう。おれがそうなら、おまえは緩みすぎのネジだった。クラウドはたぶん、大笑いする。そうかもね。楽しかったよ、なんか、いろいろ。あんなでかい感情、また味わえないかな。
 それでいい。それでいいのだ。いつまでも、引きずらない。先を見て、笑う。過去は、もうないのだ。ここには存在しない。だから、そんなものにいつまでも縛られているのはばかげたことだ。人生はもっと自由だ。ふたりはさらに自由だ。なんだってできるし、なんでも笑ってしまう。乗り越えてしまう。明日からはそうなる。失われた数年間の、その前からの続きを。たぶんこの先、ずっと。