裸になって、ベッドへ倒れる前に

 裸になって、ベッドへ倒れる前に、クラウドは自分の身体についた傷をセフィロスに見せた。それをつけたときの腕の感触を、伝わってきた内臓の、体内組織の感触を、セフィロスはぼんやり思い出すことができる。ベッドに座るクラウドのその傷に、彼は触れた。指先でたどった。クラウドはなんともいえない顔つきになって笑った。慈愛。強いてなにかをあてはめるならば、それに似ている。目を細め、いま目に映っている対象にたいして、あふれるほどの愛情をあらわにする。セフィロスはそこへ唇でもって触れてみる。背中側の傷も、手のひらで包むように撫でてみる。クラウドの手がやってきて、髪の毛を撫ではじめる。
「おれこの傷割と結構好きなんだよね。残っててよかった。だって、自分がいっぺん死んだんだって思える。あんたのがもうないってわかって、ちょっとがっかりだけど」
 髪の毛をすねたように引っぱられる。
「おれほんと云うと、あんたの正宗くんでぶっ刺されたとき、いくかと思った。あっちのイクほうね。で、おれそういうやつなんだなあってつくづく思った。あんたがいてよかったなあとも思ったよ。あとはフェードアウトしたけどね。それよりあんたに訊いてなかったけど」
 セフィロスは彼の胸元から上を見上げた。満足しきった、満ち足りた目があった。
「二十一のおれ、どう? 十六になったときに、十六のおれどう? って訊いた気がするけど、それよりもっと変化あるだろ? 五年ぶりだし。どう?」
 彼は顔を上げ、ちゃんと身体を起こして、クラウドに向きあった。そうしてまじまじと目の前のクラウドを見た。髪の毛は相変わらず真っ黄色だし、皮膚はなめらかで、目はよく動いて大きい。彼の身体の中で、もっとも雄弁なパーツに入る。すくなくとも、口なんかよりもはるかに正直。いつもわずかに潤んでいて、こちらを見上げてくるときは、ちょっと甘ったれている。唇もそうだ。すこしつき出し気味になっていて、わざとすねているみたいに見える。五年前のクラウドの顔の輪郭を彼は正確に知っている。そこから丸みがいくらか落ちて、喉元はわずかに突起して、完全に成熟した肉体であるのをあかししている……成熟。そのことばに、なにか妙にエロティックな、粟立つようなにおいを感じる。できるならば、成熟の過程を間近に感じたかったけれども。たぶん、それは想像以上にエロティックであったにちがいない。伸びてゆく身長、肉体の、微細な変化。それをじかに、身体で感じること。
「実にもったいないことをした」
 セフィロスは云った。クラウドには通じたらしかった。笑いだしたから。
「まああきらめなよ。おれだって気づいたらこうなってた。すくなくともさ、ほかの誰かがこと細かに詳しく、あんたみたいにエロいやりかたで知らないだけましだと思わないとね。で、おれどうなの? かわいいのかっこいいのすてきなのなんなの」
「しょっちゅう性欲を喚起される程度に美人だ」
 クラウドは笑い転げた。
「魅力増したかな? おとなのおれ」
「それ以上増えるな」
 クラウドはもう一度笑い転げて、そうしてセフィロスに飛びついてキスしてきた。
「まあそれなりに経験積んだしね、おれも」
「……そうなのか?」
 セフィロスは思わず眉をひそめた。
「自暴自棄だった時期に、いろいろね。おれ、才能あるって確信した。よりどりみどりなんだよ、ほんとに。この顔だから当たり前だけど。おれ気がついたんだけど、基本Sだった。いらいらしてくるんだよ、なんか、そのへんのべちゃべちゃしてる男とか見てると。いじめたくなっちゃってさ、蹴りたくなる。まあやさぐれてたのもあるかな。変なのがいてさあ、いくときに、おれに蹴ってくれって云ったのがいて……あれをね……それやられると、興奮が頂点に達するんだって。意味不明だろ? なんかおれそういう才能があるみたいでさ、呼び集めるんだよな、その手の変態」
 セフィロスはため息をついた。相手をののしってよろこばせているクラウドなら、目に浮かぶような気がする。彼は口が悪いし、ちょっと意地の悪い子だからだ。美しい顔立ちの、皮肉げにゆがんだ唇で、ののしりことばを吐いてくれるように願う連中ならいくらでもいそうだし、クラウドは実際そういうやつらの前に、ひどく魅力的に見えるにちがいない。ゆがんだ欲望、恥辱にまみれた快楽。
「で、おまえの相手はみんな男だったのか」
「どっちもだよ。女の子には優しいよ、おれ。男には容赦しないけど。そういえば、それで気がついたんだけど、おれあんたじゃないひとにつっこまれるのは相当抵抗あった。愛だね。おれ、けなげでかわいいなあって思ったよ」
 これはまた実に複雑な心境だ。よろこんでいいのか、悲しんでいいのかわからない。
「でも、ひとつだけわかったのは、ほんとに欲しいもののかわりに、好きでもないひととどうこうしようとしても、自分が虚しくなるだけだってこと。あーあ、おれおとなになって汚れちゃった」
 非難するようにつき出された唇を、セフィロスは笑ってつまみ上げた。
「それは悪かったな」
 謝って頭を撫でると、素直にすり寄ってきた。おおっぴらに「仲なおり」してからのここ数日というもの、クラウドはずっと甘ったれた態度のままだ。口ではさんざんなことを云うけれども、肉体はずっとセフィロスのそばにあって、いつでもどこかがかすかにまじりあっているようだった。口調だってずいぶん甘ったれている。十五くらいの彼を、思い出す。そのときに戻っているかもしれない。そこからやり直そうとしているかもしれない。それとも、もしかしたら彼は、十六くらいから、ずっと止まっているのかもしれない。たぶんほんとうにほんとうのクラウドは、そのあたりからずっと引っこんでいたはずだから。
 噛みつくみたいにキスする。ベッドに倒れる。クラウドのキスの合間の呼吸と、そのさらに合間にこぼれる鼻にかかった声が彼は好きだった。行為の最中も、彼はずっと甘ったれたままだ。唇を甘ったるく結んで、鼻に抜けるようなぐずっているときみたいな声を出す。セフィロスは必然的になだめるようなやりかたになる。全身を丁寧に撫でてやって、欲しい刺激を、欲しいときに優しく。その身体の中にわけ入って、ひとつ息を吐いたとき、クラウドはとても満ち足りた、泣き笑いみたいな顔になる。しがみつかれる。やりにくいくらいに。セフィロスはまたなだめにかからなくてはいけない。快楽も半ばにさしかかれば、クラウドはそちらに夢中になりはじめて、すこしくらい身体の距離が離れても、怒らないけれど。
 クラウドの中で、ちょっとした混乱が起きているかもしれない。自分の位置感覚、あるいは時間経過と精神とのかねあい、いきなり五年ぶん成長した身体と、セフィロスがいなかったこと、いまセフィロスがいること。たぶん、クラウドは深刻な愛情不足におちいっている。誰も自分を愛してくれるひとがいないくて、自分を確認してくれるひともいなくて、ひとりで生きていかなくちゃいけないこと。クラウドはそういうのに耐えられない。不毛地帯では、彼は生きていけない。誰か自分を心から求めるひとがいて、からかったり甘えたりできるひとがいなくては。
 セフィロスは、そういう責任を全身で感じていた。クラウドのためにここにいなくてはいけないということ。彼を力のかぎり愛さなくてはいけないこと。正確に云えば、それは責任ではない。けれどもセフィロスは、それを自分の責務としたかった。義務としたかった。生きることの、存在することの、確たる理由としたかった。そして実際、それ以外に彼は自分の存在を満たす方法を、あまり思いつけない。この甘ったれに、ついていてやらなくてはならない。なぜならこんな大量の愛情を必要とする甘ったれを、ほかの誰も、この世の中の誰も、きっと自分ほどうまく受け止められはしないだろうから。そうしてその甘ったれが真に欲するのも、結局はこの自分だけなのだ。

 クラウドは、あんたを軟禁してるんだ、と云った。おれの許可なく、どっか行ったり、見えなくなったりしたらだめなんだよ。セフィロスはそれを苦笑しながら受け入れる。いつも必ずクラウドのそばにいることを、物理的にも心理的にも分かち難く結びついていることを、全身全霊をもってあかししなくてはならない。一時的にEを指していたクラウドの愛情メーターが、Fのところへ戻るまで、かたときも彼から離れてはならない。
 今日も今日で、クラウドとふたりしてベッドに倒れる。このところ毎日だ。たぶん食事みたいなものだ。クラウドはせっせとセフィロスを補給している。五年ぶん。そうして、傷つけられた傷のぶん。裸になって倒れる前に、セフィロスはクラウドの身体に残る傷に、あらゆる感情をこめて口づける。クラウドは満ち足りた顔になる。そうして満を持してばたんとベッドに転がる。
 甘ったるく絡みついてくるクラウドは、悪くない。こんなに彼が長いこと素直に甘えてくるのは、もしかしたらもう二度とないかもしれない。そういう意味で、実に貴重な時間をすごしているわけだ。なんにせよ、貴重だ。クラウドが自分を再構成している最中なこと、五年ぶんの幅を、あちこち動きまわっていること、そうしてそんな中にあって、セフィロスは絶対的に彼の中に、ひとつの核としてあること。
 二十一の、おとななクラウド。でもおとなであることは年齢の問題ではないし、クラウドは「永遠に子ども」連中のひとりだ。間違いなく。ばかばかしい楽しいことが好きで、ひとをからかうのが好きで、意地が悪くて、でもとびきり素直で、そして欲望に正直だ。五年経ったところで、クラウドがクラウドであることはなにも変わらないし、セフィロスだってなにも変わっていない。経験が増えただけだ。そうして結果より繊細なものを、己のうちに抱えこめるようになったという、それだけだ。クラウドの愛情補給はほどなく完了して、そうしていつもみたいになるだろう。二十一歳の、そこそこおとなになったクラウドとして、以前のように彼の前で好きに暴れるようになるまで、たぶんもうすこし。そのときには、もうこの五年間のいろいろなことが、すべてただの笑い話になっている。そうやって、人間は前に進む。でも全部忘れるわけではない。経験を、記憶として持ち続けるために。そのために、ひとはよく象徴を用意する。この場合には、たとえばクラウドの傷あと。だからふたりして裸になって、ベッドに倒れこむ前に、過ぎてしまった出来事に愛情をこめて、そこへ口づけなくてはならない。