セックスと彼のこと

 クラウドは、セックスが好きだ。それがない日々のことなんて考えられないし、考えたいとも思わない。幸い、セックスしてくれる相手が天国からだか地獄の底からだか、まあそれはどっちでもいいが、戻ってきてくれたので、クラウドはせっせとやる。その気になったら。ちょっとした視線を送ったり、ほんのわずかな身振り、それに空気でそのことを伝えると、セフィロスはだいたい乗り気になる。ふたりとも、しばらくお互いの身体から離れていたので、まだ補給が足りないように感じている。それに相手が生きていて、自分のそばにいるんだということを、感じ足りないような気もしていて……なにしろあんまり長いこと離れていたし、そのあいだにあんまりいろいろあったので……それを確かめたい気持ちが、心の底にこびりついている。要するに、後遺症だ。ちょっとばかり不安。またセフィロスがいなくなるかもしれないこと。あり得ないのはわかっているけれど、不安というのは大概あり得ないことに対して生じるものだから、この場合正当なものだ。
 ベッドの上で、ふたりはなんとなくじゃれあいはじめた。セフィロスは小鳥かなにかかわいがるみたいに、クラウドの顎を持ち上げ、唇を吸い上げては離し、髪の毛を触ったり、頬を撫でたりした。クラウドはそういうのを楽しみながら、やっぱり話のわかるやつとやるのはいいなと思った。セフィロスがいないあいだ、クラウドは何人かのひととセックスしてみた。欲求不満だったからだ。でも、どれもぜんぜん満足できなかった。はっきり云って、かなり不満だった。
 セフィロスがクラウドの耳たぶにちょん、とキスしたとき……ふたりは視線を合わせて、微笑んだ……クラウドは、ふとセックスするときって、こうじゃなきゃなあと思った。やることだけやって満足みたいなセックスは、大嫌いだ。クラウドはふざけるのが好きだ。本番以外だって全部楽しみたい。でも、運が悪かったのかなんなのか、クラウドが赤の他人と試みた何回かのセックスは、だいたいみんなつっこむのが目的みたいな感じがした。
「あのさ」
 クラウドはセフィロスの首にしがみついて、ちょっと甘ったれた声を出した。
「ん?」
 セフィロスはクラウドの耳元で云った。セフィロスの尻上がりの「ん?」がクラウドは好きだ。ちょっとかわいいから。
「おれ、あんたがいなかったあいだ何回か浮気してるんだけど」
「……ああ、それは聞いた」
「それがさあ」
 セフィロスの手が背中を撫でる、その心地よさにうっとりしながら、クラウドは云った。
「そろいもそろってみんな、へっ…………」
 そう云ったきりクラウドはものすごく顔をしかめて呼吸を止めた。そのまま数秒が過ぎた。セフィロスがいぶかりかけたとき、
「ったくそだったんだ」
 といまいましそうに続きを口にした。セフィロスは案の定、数度目をしばたいて、しばらく考えこむ顔をした。
「……へたくそだった?」
「そう」
 クラウドはセフィロスの首にしがみついていた身体を離して、唇をひん曲げた。
「ほんっとにへたくそ。ぜんっぜん気持ちよくないんだ。ほんとなんだよ。びっくりした。ポイントからタイミングから全部ずれてる。おれ腹が立って、そいつらみんな壁に投げつけた。おれの中ではさ、セックスってこう、すごく気持ちいいもんだっていうのがあるわけ。すっきりするし、リラックスするし。ひとの体温って気持ちいいし。おれはさ、楽しみたいんだ。セックス大好きだから。ただ準備してつっこんでズコズコやって出しますみたいなの、いやなんだよ。そんなのつまんない。なんでそんなやつばっかりなの? せっかくさあ、全身いたるところに感覚ってものがあるんだから、そういうの、楽しまなきゃ。おれおかしい? 普通男ってこういうこと思わないの?」
 セフィロスは口を開いて、一度閉じた。
「……いや、別におかしくはない。と思う」
 そうしてため息をついた。
「なに? あ、やっぱおかしいとか思ってるんだろ」
「いや違う。おまえの云いぶんは正しい」
 セフィロスはゆっくり首を振った。
「責任を感じているだけだ」
 今度はクラウドが口を開け、そして閉じた。
「……忘れてた」
 クラウドはちょっと赤くなった。
「無駄にあんたのことほめちゃった」
 セフィロスはいや、と短く云って、口をつぐんだ。ちょっとした、気まずい時間だった。性体験の、出だしの相手はとても重要だ。本人の資質も大いに関係しているけれど、そいつがへたくそか、思いやりがないか、あるいは思い上がっているやつで、最低なセックスしかできなかったとしたら、下手をするとトラウマになる。でも、そのひとがもし最高だったら……まあそんなことはなかなかないが……ひとはセックスが心地よく、楽しいものだってことを感じられるし、それが好きになる。クラウドはまだ覚えているのだが、ほんとに生まれてはじめてセックスを体験した日、それは目の前の相手とだったけれど、ものすごく楽しかったし、気持ちよかった。セフィロスはまだ触れられたことのない、外に向けて開かれたことのないクラウドの身体の、繊細な感性の手綱を、実に優しく、辛抱強く、引っぱったり緩めたりした。臆病で怖がっている馬を手懐けるのと同じだ。そいつは心を開くまいとして、頑固に踏ん張る。身体はこわばって、がちがちで、震えている。だから手綱を握ったひとは、怖くないよ、と話しかけて、少しずつ距離を縮めて、そいつの心に慎重に触れなくてはならない。馬がちょっと緊張を緩めたら、身体に優しく触れて、ゆっくり手綱を引いて、少し一緒に歩く。馬が完全に安心したら、もう少しくらい強く手綱を引いても平気だ。その気になれば、そいつを暴れ馬みたいにすることだってできる。クラウドの場合は、手がつけられないようなやんちゃな馬になったわけだけれど。
「おれのせいなんだろうな、たぶん」
 セフィロスは苦笑しながら云った。
「違うよ。あんたがおれにろくでもないこと山ほど吹きこんだのは事実だけど、セックス好きはおれのもともとの資質だと思う。あんたは……なんていうのかな、それを焚きつけたって感じ」
「……そうかもしれないな。おまえは純粋に、楽しんでいた」
 そうだ、楽しんでいた。ほんとうは毎日だってしたいくらいだった。でもそれは、体力的に無理だったのだ。昼間はしごかれてずたぼろだったから。それから、最近まではセフィロスを追っかけるのに必死だったから。そういうものが終わって、セフィロスがいなかった時期の欲求不満ときたら、死んだほうがましなくらいだった。やってもやっても、だめなのだ。みんなクラウドのことがわかっていない。セフィロスみたいに手間暇かけて、クラウドの身体を探求しようなんて気は、持ち合わせていなかったのだ。それにクラウドだって、セフィロスとするときのように熱が入らなかった。セフィロスの身体は好きだったから、どこに触っていても楽しかったけれど、目の前にいるのは別にそこまで好きじゃない、なんとなくいいな、くらいのひとであって、おまけにがっついているだけで、へたくそなのだ。クラウドはほんとうに泣きたかった。叫びだしたかった。死のうとしたのは、八割くらいそのせいだ。欲求不満のせい。
 でもいまは、クラウドはすっかり満足だ。自分の身体を隅から隅までわかっているひとがいること。相手の身体のことも、隅から隅まで知っている。クラウドがほんとうに気持ちよくなったらどうなるかも知っているし、そこまで持っていく方法も知っているし、そのときの対応も知っている。クラウドにとっては、それはとても大事なことなのだ。
 ふたりは中断していたことを再開した。クラウドがセフィロスの髪の毛をひっつかんで、キスするように迫ったからだ。セフィロスはゆっくりクラウドの唇に、自分の唇を押し当てた。お互いに相手の唇をはじくみたいに自分のそれを押し出して、その弾力を楽しむ。それは重なるごとに深くなって、また浅くなる。ときにはすくいとるように、またあるいはつまむように、いろいろな力加減で、圧で、微細な感覚の違いを楽しむ。一緒に相手のまつげの感触や、皮膚の感触、においや、いろいろな情報を、同時に感じ取って味わう。こちらをなでるセフィロスの手の動きは、蜂蜜が瓶を伝っていくみたいにゆっくりで、ねっとりした甘さがあって、クラウドの皮膚の細かいセンサーを、ちりちり刺激する。服がこすれる音や、唇が離れるときの小さな湿った音が、そういうのを後押しする。クラウドも彼の背中や、髪の毛や腕を触って、相手がここにいるってことを、感じる。その体温や質感。クラウドはそういうものを感じるのが好きだ。散々じゃれあってベッドに転がるとき、クラウドのセンサーはもう半分以上開いている。上半身に着ていた服はもうなく、下半身にはまだいろんな覆いが引っかかっている。キスしたり撫でたりしながら、そいつも取ってしまう。ふたりぶんのシャツやズボンなんかが、めでたく床に散らばって、くしゃくしゃになる。人間が身につけていない服は、なんだか変だ。蛇の抜け殻みたいで。

 クラウドはじゃれあう時間が長い方が好きだ。たぶん、本質的に子どもだからかもしれない。身体の中の探求はなるだけあとまわし。まずは全身のいろいろなところを、探ったり探られたりしたい。へそのところにキスされるのは、割と好きだ。それから、太股の裏側を撫でられるのが好きだ。感覚の鋭利な、頂点からわずかに離れたところを触られるのが、その遠回しな感じが好きだ。ダイレクトな刺激は、直接的だから、あんまり長いこと耐えられない。でももう少し間接的な快楽は、いつまでも楽しめる。背骨に沿って指先で撫でられたりなんかするのは、かなり好きだ。それと一緒に唇で身体の表側をなぞられたりしたら、ぞくぞくする。そういう小さな、あまり大きくない快感が積み重なった先に、直接的な大きな刺激があって欲しい。
 セフィロスはそういうタイミングを見計らうのがうまいのだ。クラウドの身体のことを、よく知っているから。こちらの声がいくらかむずかるようになってきたら、セフィロスはもう小さいちょこちょこした遊びをやめて、クラウドに直接手をかけてくる。大きな手で握りこみ、上下させながら、裏側の筋をなぞるように、親指で刺激を与えてくる。吐精を促すみたいに。でもクラウドはまだそこまでいきたくない。それはセフィロスだってわかっている。このころになると、クラウドのセンサーは全開。いい具合にリラックスしている。この後の刺激を、待ち受けている。そうなってはじめて、セフィロスはクラウドの身体の、今度は中から刺激を与えてくる。湿らせた、長い指先で。クラウドは入り口のところを触られるのが好きだ。ゆっくり、円を描くように、あるいは少し押しつぶすように。セフィロスはたまに、もどかしくて蹴りたくなる直前まで、その感触で遊んでいるときがある。もちろん、蹴るところまではいかない、その手前までだ。
 クラウドの中を、セフィロスの指は優しく、ゆっくり探るように動く。ほんとうはどこを触ればいいか知っているけれど、わざとなのだ。指先であちこちの感触を確かめるように、ゆっくり。探りながら、キスする。クラウドは両手が空いているから、セフィロスの身体を撫で回して、耳に噛みついたりする。お返しに首に噛みつかれることもある。そのうちに、セフィロスがクラウドのいいところを狙い撃ちしてくるようになるから、そうなったらもうおふざけはおしまいだ。脳味噌が溶けそうになるまで。つまり身体が溶けそうなくらいほぐれるまで。
 身体の中に彼を迎え入れたときは、ひとつの充足感がある。これからまたあれこれ楽しむので、ふたりはちょっと休憩する。しおれた葉っぱみたいに折り重なったまま、相手の熱を感じあう。クラウドはセフィロスの耳元に、べったり頬をくっつけて、相手の身体をぎゅっとして甘える。セフィロスはなだめるみたいにクラウドの頭を撫でて、身体も撫でて、キスする。もしかしたら、このときが一番幸せな時間なのかもしれない。穏やかで。相手を感じられるので。
 緩やかに、刺激がはじまる。まだ、短い会話なんてする余裕もある。めったにしないけれど。肉体的な会話に、言語は不要なのだ。強くなったり、弱くなったりしながら、頂点に向かってゆっくり進行する。ときどき、びっくりするくらい強く揺さぶられることがある。もうだめかも、と思うと止む。もうおしまいかな、と思うと、また引き戻される。クラウドは何回も、いきたいような、いきたくないような、もどかしい、矛盾した気持ちになる。頭の中がしだいに白くなってきて、そうなったら、ほんとうにもう終わりが見えてくる。クラウドは顔の横のシーツをぎゅっと掴んで、全身におっかぶさってくるような快楽に耐える。飲みこまれるか、踏みとどまるか。その葛藤は長くは続かない。セフィロスの手がふたたびクラウドにかかったら、もう終わりは決まったようなものだ。全身が飛び散るような一撃に、震える。身体の中が、収縮する。そうしてセフィロスも達したことを知る。身体の中に、どろりとした感触。これは好きだ。時間が経つとすごく気持ち悪いけれど、この瞬間には、とても。
 そうしてクラウドは、生きていてよかったなあと、思うのだ。それから、セフィロスも生きていてよかった。ほんとうに。

「おれって、もしかして、調教されてるの?」
 ベッドでものを食べるのは嫌いじゃない。ドーナツとかクッキーみたいにこぼれやすいものを食べるのが特に好きだ。セフィロスをちょっといらいらさせることができるからだ。クラウドがくずをこぼすと、セフィロスはすぐに蟻が襲いかかってくるとでも思っているみたいに、さっさとそれを取り払う。クラウドは、一ヶ月は前に買ったクッキーの箱を開けて、ぼりぼりやっている。満ち足りた気持ちで。
「なんの話だ?」
 セフィロスは顔をしかめた。クラウドの話の内容と、チョコチップクッキーの大きなくずがぼろりとベッドに落ちたことの両方に対してだ。
「セックスの話。だいたい変だよ。こんなせわしない世の中なんだから、セックスだってやることやって特急で済ませりゃいいってもんなのに、散々ふざけて堪能しないと満足できないなんてさ。なああんた、そういうふうに仕向けた?」
 セフィロスは呆れたように眉をつり上げた。
「それはおれの責任じゃない。たとえおれがおまえの身体をおかしな具合に開発していたとしても、それを好むかどうかは個人の問題だ」
「そうかなあ? まあ自分がエロいのは知ってるけど。でも、そうかなあ?」
「じゃあ訊くが、たとえばおれが加虐性変態性欲の持ち主で、毎晩おまえに鞭でも持って迫っていたとする……笑うな、まじめに聞け……ああ、わかった、笑え。どうせおかしな具合に想像しているんだろう……落ちついたか? では、かわそうなクラウド・ストライフ君がうっかり興味を持ったセフィロスさんがもしそうだったとして、おまえはそういうセックスを好きになるか?」
「ぜったい嫌だ。もしそんなだったら、百年の恋だって零コンマ一秒で冷めちゃって、おれ、あんたのこと毎回撃ち殺してやる。痛いのは好きじゃないよ」
「だろう? 証明終わり。Quod erat demonstrandum」
「そのクオなんとかってなに? でもまあ……そうかもね」
 クラウドはクッキーの箱を放り投げた。明かりが落ちて、いつもみたいにふたりで眠りについてからも、クラウドはちょっとのあいだそのことを考えていた。頭のどこかに、もしかしたらぜんぜん知らない誰かとだって、セックスを楽しめる可能性もあるんじゃないかな、という考えが、まだあったからだ。どうしてセフィロスじゃないと満足しないのか? ……でもすぐに、それはとても不毛な問いだということに気がついて、クラウドは苦笑して目を閉じた。快楽よりも、もっと大事なことを考慮に入れていないからだ。もっと、ずっと大事なもの。
 クラウドはやっぱり、セフィロスが戻ってきてくれてうれしい。涙が出るくらい。セックスからそれを感じるなんて、ちょっとなんだけれど。