おれには駆け落ちの遺伝子が

 おれには駆け落ちの遺伝子が組みこまれているのだ、ということに、ふいに気がついたのだ。久々に母親の夢を見て、クラウドは感傷的になっていた。夢の中で、彼女は笑っていた。顔は見えなかったけれど、たしかに自分の父親らしいひとと手をつないで、ゆっくりと前を歩いていた。ああ、このひとが父さんか……そういえば、昔はよく父親の夢を見たのだ。姿は覚えていないけれど、母親から聞いた情報をもとに、自分の中で自分なりの父親を、想像していたのだ。……両親。母さん。そんな単語を、気ままに頭の中で転がす感傷的な気分。目を閉じると、まだ母親のぬくもりを思い出せる。よく作ってくれた料理、寝かしつけるときの、甘ったるい手の感触、叱りつけるときのつり上がった目。母親を嫌いな子どもなんて、いるだろうか? 憎しみだって愛情の裏返しなのだ。彼は気づいてしまった、こんな歳になって、否こんな歳になったからこそ気がついた、母親と、自分との共通点。
 セフィロスがそっと隣の椅子に腰を下ろしたのがわかる。クラウドはテーブルに突っ伏して、ぼんやり外を見ていた。外は雪だ。昨日から絶え間なく降っている。クラウドは首をぐるりと回して、隣にやってきた男を眺める。いい顔だ。正真正銘の美形。物憂い、印象的な目と、薄くて締まった唇。そうだ、きっと母さんだって、こんな男に惚れただろう。よくわかる。なぜって、母さんの息子だからだ。
「……なんだ」
 ずっと見つめ続けていたら、セフィロスが視線を向けてきた。クラウドは小さく笑い返した。
「うん……おれって面食いだなって思って。それで、それも当然だなって」
 セフィロスは続きを促すような顔をした。もうすこし説明が欲しかったのだ。クラウドは、一瞬セフィロスの前で母親の話をしてもいいのかどうか考えたが、そういう気は回さないことにした。一切。徹底的に。そのほうがお互い対等でいられる。変な気の遣いあいは、歪みを作るだけだ。
「今朝、母さんの夢見たんだ。それで、いろいろ……思い出して、すごいことに気づいたんだ、おれ、母さんの子どもなんだよ」
 整った顔が怪訝な表情に歪む。当然だろうという顔だ。
「おれには、駆け落ち族と面食いの血が流れてるんだよ。母さん、駆け落ち族だから。父さんと、十六のときに家出して逃げたんだ。父さんは、写真でしか知らないけど結構な美形で、母さんの話によると、もう見た瞬間にくらっときちゃったんだって。で、燃え上がっちゃって、一緒に逃げちゃった。父さんは母さんより七つだか年上で、二年後に子どもが……おれだよ……生まれて、で、父さんはすぐ事故で死んだ」
 クラウドは身体を起こし、頬杖をついてセフィロスを眺めた。母親が父親の写真をなでながら云っていた、あたしはねえ、自分を不幸にするような男しか好きになれないみたいよ。このひとは、正解だと思ったんだけど。でも、死なれるっていうのは、すくなくとも家庭崩壊よりはひどくないわよ。だから、たぶん母子家庭ったってそんなに悪い状況じゃないのよ……そしてこうも云っていた。まあ、あんたの癇癪は、たぶん父さんに似たのね。うちの家系には、そんなひと知ってるかぎりいないから……それじゃあ、父さんが早くにいなくなったのも悪いことじゃなかったかもしれないわね、だって、毎日あんたとふたりでかんかんになられた日には、あたしだってニブル山で身投げしたくもなるでしょ……。
 ああ、母さんは明るいひとだった。どんなことでもユーモアにくるんでなんでもないことにしてしまう。話によると、母さんの、母さんも美人だった。宿屋だか雑貨屋だかなんだかを経営していて、そして当然ながら男にもてた。三度ほど結婚したようだけれど、どの男も顔は最高で性格はろくでなし。おじさんには飲み屋の女と逃げたのがいるらしいし、小さな会社を経営していたという遠い親戚は、商売女に惚れこんで、自分の会社を潰してしまった。自分を不幸にするような相手に惹かれてしまう遺伝子、恋の情熱にがむしゃらに従ってしまう遺伝子は、確実にストライフ一族に流れていて、母の中にも宿っていたのだ。ある日理想の美形の男に出会ってしまったために、一切合財を捨ててきたのだから……そして、このクラウド・ストライフ。遺伝子は、その揺ぎない継承を、とても立派にあかししている。彼はいまでは駆け落ちで仲間の元から逃げてきたも同然だ。そして、相手は信じられないほどの美形。さらには、たぶん、自分を不幸のどん底に導いた。
 クラウドは、笑ってしまった。祖母も母も破滅的だが、一番破滅的なのは自分だと思われたから。けれど、それも理解できる。若いうちに駆け落ちした美形と美形のあいだに生まれた子どもが、まともな道を歩めるわけがない。彼は、なんとなくうれしかったのだ。ひとつには、自分の中に母の痕跡を、一族のきざしを、見つけたから。もうひとつには、こうなることははなから決まっていたことのように思われたから。恋に盲目的な資質。ほかのあらゆる大切なものよりも、男を選んでしまう体質。そんな自覚はまるでなかったのだが、いまではみごとに証明されてしまった。それはたぶん、世間で云うほど悪いことではないのだ。自分を幸福にしそうにない相手と恋に落ちたって、これまたぜんぜんかまわない。なぜなら、幸福とは環境で決まるのでも、相手で決まるのでもないから。幸福とは、意図的に作り上げてゆくものだから。自分の考えを、気分を、そちらへ導いてゆくことだからだ。だから、どんな相手と恋をしても、そのためにどんなに破滅的な人生を送っても、幸福はその中に毅然として存在する。
 クラウドはそんなことを考えて、自分の一族がいかに破滅的な気質を持っているかを、そしてたぶん、それも自分の代で永久におしまいであることを、セフィロスに説明した。
「おまえの一族の人生を羅列しただけで、第一級の悲劇的文学作品になりそうだ」
 クラウドは笑った。そうして云った、その悲劇的文学作品というのがどういうものかはわからないけれども、たぶん、云いたいことは、わかるよと。
「おまえがそんな情熱的な一族の末裔だとは思わなかった」
 なぜかはわからないが、セフィロスもどことなく機嫌がよさそうだ。
「あんた、おれに騙されてるんだよ。清純派な見た目に」
 クラウドは身を乗り出して、セフィロスの首にしがみついた。
「だいたい、普通のひとは、あんたみたいなやたらと美形であぶない男に、最初から近づかない。恐れをなして惚れない。きりのいいところでやめる、これは自分の手に余る、って」
 そうかもしれない、とセフィロスは云った。まだ十五だったクラウドを、彼は思い出していた。最初から、この子どもは彼の寵愛を受けることを、鼻にかけていたわけではないが平然と受け入れていた。まあこうなったものはしようがない、という漠然としたあきらめのような、覚悟のようなもの。すくなくともセフィロスは、クラウドがふたりの関係の不均衡だとかつりあいだとかいう問題について、悩んでいるのを見たことがない。歳の割におそろしくませていて、おかしな子どもだとは思った。決して多情だというのでも、性欲がひと一倍強いというのでもなかったが、そういうことを、先天的に楽しめる資質は持っていることを感じさせた。教育のためでなければ、それは天与のものだ。それこそ、遺伝子の、血のなせるわざだ。情熱的な遺伝子。恋愛のあらゆる状況を、心から楽しんでしまう。そのために身を投げ出すのも、惜しまない。
 遺伝子の御業。そういうふうに思うのも、たぶん悪くない。あらゆることは予定された必然だった。美形好きで不幸を招く体質の遺伝子が、クラウドをセフィロスのところに送り出してしまった。それからの悲劇は話が壮大過ぎて語るのもはばかられるが、それはふたりが顔をあわせてしまった瞬間に、もう確定していたことなのだ。予定された悲劇。書かれるべくして書かれたプロット。ある種の型にはまったロマンス。
「たぶんね、あんたにそういう匂いを感じたんだよ。おれの中の、駆け落ち族の遺伝子が。なんかおれいま、すごく納得してる。つまりさ、おれのせいじゃないってことだよ。あんたのせいでもないってことだよ。全部、遺伝子のせい。血みどろの歴史が示すとおりを繰り返してるだけなんだ、たぶんね」
 情熱的な、破壊的な遺伝子に万歳を三唱。そうしてセフィロスは、クラウドのその性質を、とことん追求したい気になっている。ふたりが望むなら、とんでもない悲劇を演じることができそうだ。突如ヒロイン(この場合はどうあってもクラウド)に熱を上げ、主人公(どうあってもセフィロス)を刺し殺そうとする間男。地獄へ落ちろと叫びながら、自分自身が一番最初にそこへ落ちていく。あるいは、切れ味鋭い三角関係、中世に戻ったかのような、決闘と奪いあい。クラウドの容姿なら、ありうることだ。ただ問題は、クラウドがそれを欲していないことだが。情熱型遺伝子は、クラウドのところには、さいわいにして非常に一途な型のものしか伝わらなかったようだから。そしてセフィロスはそのことに、心から安堵してもいるのだ。
 セフィロスは満足感を覚えていた。クラウドの中に眠っている、ある血筋。その血に従ってこれまでに数々の男女が、情念の炎を燃やしてきたに違いない。地の果てまでお互いを追いかけて、ともに地獄へ落ちてゆけるような、メリメのカルメンのような、そういう情熱を、持った相手。それこそまさしく自分向きだ。たしかにこれまでのところ結果は悲劇的だった。これはこの種の情熱型遺伝子が組みこまれた相手がいたからには、当然想定されていたことだ。それならばこの先はどうか。悲劇はいつも悲劇のままで終わる。その先の物語は、語られぬものとして沈黙の中に放り出されている。運良く悲劇を生き延びた人間は、その続きを語るべきだ。うんと情熱的に、踊るように。