母さんは一族の墓には当然ながら

 母さんは一族の墓には当然ながら入っていない。家出娘である母さんは、どんな状態で死んだのであれ、それを望まなかったに違いない。一族の方でも、一緒になるのをあえて望んだかどうかわからない。
 ストライフ一族は奇妙だ。生粋の放埒の血筋だ。クラウドはちょっと興味を起こして、暇つぶしに(なにしろ時間は腐るほどあった)母の生まれ故郷を訪ねてみた。セフィロスは無理矢理つれてきた。彼はほんとうのところ、長雨続きで畑が気になって仕方なかったのだけれど、黙ってついてきた。ストライフ一族には、実は前々から興味津々だったから。
 昔ニブルヘイムがあったあたりからいくらか南下したところにある小さな村。ここは、あらゆる田舎がそうであるように、根本的なところが何百年たってもかわらない。教会、畑、地主の大きな家、村のはずれにある集団墓地。近所づきあい。むやみにたくさんの親戚。あらゆる人間関係のしがらみ。田舎では、なんでもすぐに知られてしまう。お互いがお互いに興味津々だからだ。田舎では、どんな人間も関心の対象になる。他人に無関心でいられるのは、都会の特権だ。田舎ときた日には、どこにでも視線がある。それをくぐって行われるランデブーはだから、都会とは比べものにならないほどに甘美で、背徳的だ。クラウドは自分の田舎が嫌いだった。そこに住む人間が嫌いだった。ミッドガルへ出ていったのを後悔したことは一度もない。彼はそこで、ささやかながら自由を手に入れたからだ。自分が自分であることと、そして自分がちょっと変だけれども、ぜんぜん気にしなくてもいいこと。
 酒場で聞いたところによると、ストライフ一族は、長年の放蕩の末ついに途絶えたらしい。表向きは。というのも、ストライフ一族は秘密裏の妊娠や隠し子の数には定評があったから。男はというとあちこちに水しぶき並みに種をばらまき、女といえば隙があればベッドの世話になってしまう。あるいは、誰かにべた惚れに惚れた末に行方をくらましてしまう、母さんのように。増えるのと同じくらい、痴情のもつれによる犯罪の犠牲になった人間も多い。その数がちょうど折半したときが、一族の終わり。
 それはおおよそ十五年ばかり前のことだったらしい。村で最後のストライフは、意外にも女だった。ひとり娘で、生まれたときから両親の喧嘩に巻きこまれて育ったので、結婚生活に絶望を抱いていた。加えて、小さいころにやけどを負っていて、顔が醜かった。彼女は生涯、恋愛感情の片鱗すら知らずに、呪いの中で過ごした。自分を含めたあらゆるものを呪い続け、恨み続けた。最後の最後にずいぶんなへそ曲がりが生まれたものだ。恋愛に命を懸けてきたストライフ一族の、最後の人間がこれとは。その話をしてくれた男は、子どものころストライフ姓の人間を知っていたというふれこみのクラウドに、思い入れたっぷりにこう云った。
「あの一族とちょっとでも近づいたことがあるなんて、おまえさん光栄の極みだよ。ありゃあ、正真正銘のいかれたやつらだった。田舎特有のな。わかるか? 何代にもわたって、どんな血とまじわっても、出てくるやつがみんないかれてる。そういう家が、どこの田舎にも必ずあるもんさ。ああ、あの家の! とか云われるやつがな。放蕩者続出の家系とか、精神薄弱続出の家系とか、暴力沙汰を起こすやつしか生まれてこない家系とか。血が濃いんだろうな。じいさんの話じゃ、じいさんのじいさんがガキのころから、あいつらは色恋沙汰にかけちゃ右に出る者なしの状態だったらしい。いなくなって、なんだか寂しいよ。なにしろ、村中に楽しい娯楽を提供してくれた」
 それにしたって、この村で最後のストライフは、あまりに哀れな女だ。これまで恋の情熱の赴くままに歩んできた一族は、ついに神に見放されたか、呆れられたかしたのに違いない。クラウドはどうも自分が神への不敬罪という点について、とどめの一撃を与えたのではないかという気がした。となりでだんまりを決めこみ、酒をなめている男。いつ見ても美形。この男のためなら、星ごとぶっつぶしてもかまわないと思う。どんな中傷も、あざけりも、そして孤独も平気だ。昔からそう思っていた。なにをしてもされてもいい。なにかを失ったってちっとも問題ではない。この男がいるならば。神と、生命への、なんたる不敬。不道徳、退廃、ぞくぞくする。この男のためになにかを堪え忍ぶことには、あやうく達してしまいそうな甘美さがある。その不徳の美味に気がついたのは大人になってからだが、自覚なく、十代のときから好きだった気もする。たとえば、彼のために殴られたりなどしたときの甘さ。あれは、快楽だったのだ。自分の男を守ることの、それが自分の男であるということの、めまいのする快楽。まぎれもなくこれは血筋だ。この身体の中のいかれた細胞も、ストライフ一族の直情的な血の前には歯が立たないに違いない。
 酔っぱらった男はほかにも数々のストライフ家の伝説を聞かせてくれた。確かに、滅ぼすには惜しい愉快な一族だ。伝説の隅から隅までこの現象に満ちている。男と女。セフィロスがひそかに笑っているのがわかる。分析的な彼の頭の中では、目の前で語り継がれる伝説と、彼が知るストライフ一族の末裔との共通項が洗い出されているに違いない。
 酒をおごってやったことでますます機嫌よく饒舌になった男は、ストライフ家のあった場所と、墓の場所を丁寧に教えてくれた。偶然とはいえ、いい人物に教えを請うことができた。彼の村での役割は、きっとお祭り男だろう。絶対に必要な人材だ。そしてとても役に立つ。色恋沙汰専門のストライフ一族が娯楽担当だとしたら、この男はそれよりもはるかに実際的な役割で、役に立っている。どちらも村の生活には欠かせない。

 いくつかの御影石の墓石に、重々しい文字でストライフ、と刻まれている。なんとか・ストライフのオンパレード。墓はそろいもそろってろくに手入れもされずに荒れている。砂埃に汚れている。クラウドはかがみこんでそのうちのひとつに指先を滑らせた。墓碑銘をなぞる。その墓の下の人物が生きた年代をなぞる。かれこれ二百年近く前の人間だ。当然、ここにはある夫婦が一緒に眠っているが、墓に刻まれたいくつかの名前からうかがえる歴史がおもしろい。この墓の王、リチャード・ストライフは、手始めにマリアという女に手を出した。続いて、彼はアニーという女に手を出し、生涯獲得数は都合五人。全員死別だ。同じ墓に眠っているから。現代版青ひげのにおいがする。これにはセフィロスも苦笑していた。
「きっと、美男だったんだよ。おれみたいにさ」
「そして多情だった」
「おれみたいにね」
 セフィロスは鼻を鳴らした。
「おまえは、とっかえひっかえタイプではないだろう」
「そうだけど。ていうか、あんたが悪いんだよ。そういう顔してるから。あんたに会ってなかったら、おれたぶんいろんなひとと恋愛したのに。すごいはちゃめちゃな人生、送れただろうなあ」
「それ以上の破滅的な人生はよせ。それはいいが、おれは顔で選ばれたのか?」
「もちろん」
 クラウドはセフィロスの腕を引いて、移動した。墓を順繰りに見て回る。知っている名前はない。当然だろう。母さんは、ストライフを名乗っていたが、実質家とは縁が切れていた。親戚との交流はゼロだった。母さんのきょうだいすら、クラウドは知らない。訪ねてきたこともなかった。そんな母さんが旧姓に戻ったのはただひとつの理由からだ。つまり、再婚だ。母さんは真剣にそれを考えていた。クラウドがはっぱをかけたためでもある。母さん、まだあのひとと結婚しないの? ときどきそれを云った。母さんを、自由にするために。母親は自分と別の人間であり、別個の人格と、意志を持っている。ずいぶん小さいときからそれを知っていたから。クラウドは母さんが好きだったので、母さんに、母さんの思うように、生きてもらいたかった。心配しなくても、自分のことは自分でできる。母さんは、クラウドを子どもとしてでなく、大人の友だちのように扱った。クラウドにある程度の分別がついてからは、ふたりはなんでも相談したし、された。母さんの男のこと、クラウドのくだらない同級生たちのこと。それは、ちょっといびつな関係だったのかもしれない。もっと子どもらしく扱われるべきだったのかもしれない。けれども、クラウドはそんな関係に満足していたし、いまでもしている。少なくとも、ふたりは心の底から信頼しあっていたし、対等だったから。
 だから、まだ子どもだったあのころ、別の姓になったってよかった。母さんが選んだ男の姓。なにもなかったら、十六のうちか、遅くとも十七のあたりで一度ストライフ姓を捨て去り、ひと皮むけたような気分を味わっただろう。セフィロスにこう云っただろう。おれ、名字が変わったから。母さんが、再婚したんだ。そうしたら、セフィロスがなんと云ったか。どんな気分になったか。知りたかった気もする。たぶん、冗談でさらに姓が変わる可能性をほのめかしただろう。信号みたいにころころ切り替わるやつだよな、おれ。父親の姓から、母親のになって、母親の再婚相手のになって、それから、結婚相手のになるかもしれないんだ。セフィロスはきっと、最後のくだりで眉をつり上げたに違いない。ここでだめ押しの一撃をくらわす。あんたのことだけど。セフィロスは例外なく固まったはずだ。
 密かな夢だったのだ。母さん並みにすばやく身を固めてしまうこと。結婚に抱いていたのは、正確なところ希望ではなかった。結婚がイコール幸せというわけではないことくらい、誰でも知っている。ただ、固めたかったのだ。自分を、自分の周りを。しっかりと、地に足をつけて生きたかったのだ。自分が存在するということ、そして家族があるということ、幸せに、ならなくてはいけないということ。結婚したのなら、意地でも幸せにならなくてはいけない。相手を幸せにしなくてはいけない。雨も嵐も、切り抜けて。それは大いなる冒険だ。勇気と、意志とを必要とする冒険だ。そういう波にさらされながら、生きたかったのだ。より正確に云えば、結婚生活が、人生が与えてくる意地悪を楽しみたかったのだ。もちろん、はじめのうちは、当然だけれど相手の希望は、女の子だった。美人で、料理が上手で、明るい。ちょうど幼なじみの彼女みたいな。なにが悲しくて、図体のでかい男になってしまったのかわからないけれど、でも、すこしは先のことだって考えていた。母さんが再婚したら、時機を見てこっちも結婚するかなにかやらかす。母さんは、息子が男と結婚したいと云いだしたとたんに、笑い転げてしまうだろう。どんなことにでも笑える理由を見つけてしまうひとだから。あんた、そっちの趣味だったのねえ、知らなかったわ、これだから、うちの家系なのよ。そして間違いなくこう云う。でもあんたは、どっちにしたって顔がいいのを捕まえてくると思ったわ、なんせあたしの息子だから。そうしてセフィロスを、しげしげと眺めるだろう。それからたぶん、また大笑いする。ほんとうの見ものはそのときのセフィロスだ。たぶん決まりが悪くて、ちょっと身じろぐだろう。それから母さんは、盛大に酒盛りに入る。酔っぱらって、自分の男と間違えてセフィロスに抱きつくかもしれない。いずれは、その男、つまり父親になる男にもセフィロスを引き合わせる。これはうんと気まずいから、とっとと終わらせてしまう。
 人間的な生活に片がついたら、潔くなにもかも手放して田舎に引っこむ。隠者みたいな生活。ときどき、都会にでてきて、ザックスをからかう。元傭兵クラウドの所属カテゴリーはヒトヅマ。仕事はできたら、バイク屋。浮気は適度にする……つまり、ばかなのをからかう程度に。セフィロスは農業専門家にする。大地から命を生産。ひとの腹から命を生産することはできないが、それにまつわる行為は積極的にしてもいい。セフィロスのほうがきっと先に死ぬから、六十手前になったら、次の相手(男女は問わない)を捜しておく。でも結局いいのがいなくて、おとなしく寡婦ならぬ寡夫になる。死ぬ間際に、こんなことをつぶやく……ちくしょう、セフィロスを知る前にもっとよりどりみどりにつきあえばよかった。おれの顔なら、選び放題だったのに、疫病神め。そんな人生。
 妄想だ。全部、ただの。もしも、は存在しない。過去も未来も、存在しないのと同じこと。クラウドは笑った。いまの自分は、その想像上の自分よりもはるかに腹黒く、はるかに意地が悪く、はるかにひどい男だから。母親を殺した男と二度も殺しあいを演じてから、元のさやに収まっている。栄光のストライフ一族が、目の前にある墓の下で諸手を挙げているのが見えるようだ。おまえは間違いなく、われわれ一族の最高傑作だ、とっととくたばれ。
 情念。妄執。執着。それを地獄まで引きずって生きること。罪と背徳とを背負って、それでもただひとつの感情のために生きること。ただひとりの人間のためだけにこの世に存在すること。肉欲と愛情とのあいだをいつまでもさまよう。これは極限のロマンスだ。ロマンスはそもそも、エゴイスティックで不道徳きわまりないものだ。まったく自分向きだ。まったく。
 クラウドは微笑んで、帰ろうよ、と云った。満足だった。一族に、自分にとても満足していた。もういいのか、とセフィロスが云った。
「だって知り合い、いないし」
 クラウドは墓の群れを眺めながら心の中で云う。おまえらもみんな、とっととくたばれ、地獄で待ってろよ、そのうち行くから。きっとみんな歓迎してくれる。
 墓に背を向けて、歩きだした。自分の男とふたりでだ。たぶんもう来ないだろう。定期的に一族の墓を気にかけるほど道徳的な人間ではないから。そんなことをしなくたって、みんな自分の中にいる。この血の中に。
 セフィロスの腕に手をかける。自分の男。自分だけの男。そういうものの甘さ。昔の仲間たちのことを思い出す。いまでも生きているのがふたり。あとはみんな死んでしまった。たとえ世界が灰になっても、自分と男とだけは残るだろう。ふたりだけ。ふたりだけが異物。ふたりだけが同一。悦楽だ。セフィロスは自分を手放せない。なぜならセフィロスは自分にベタ惚れだから。こちらもそれは同じだ。ふたりには、すべてのものが死に絶えた世界で、最後のファンファーレが鳴り響くはずだ。
「おれらって、いつか死ぬの」
 唐突な問いにもセフィロスはいささかも動じない。あらかじめ質問を予想していたかもしれないほどのなめらかさで答える。
「いずれはな」
「それって、あとどれくらい?」
「わからん。すべては、我々の手の届かない摂理にゆだねられている。許可があれば、ふたりとも死ねるだろう。それが十年後か、百年か、それとも明日かはわからない……墓に入りたくなったか?」
 クラウドは笑って首を振った。
「冗談。まだ死にたくないよ、おれ」
「死ぬのは、悪いことではないぞ。たぶん、とてもいいことだ」
「うん……でもさあ、死んで、身体がなくなったら、あんたとやれない」
 セフィロスはゆっくりと、誰が見てもわかるほどに笑った。
「まさしく肉体の奴隷だ、それは。肉体がある人間にはふさわしい思考だな。おれもひとのことは云えないが。そういう意味ではまだ当分、還れそうにない」
「うん、たぶんね。死んでさ、星に還ったら、あんたとどうなるのかな、おれ」
「さあな。融合するとは思えない。もしかしたら、肉体の快楽以上の形で、結びつくかもしれない。それを試してみたいという気持ちはある」
「どんなのかなあ、それ。気持ちいいかなあ」
 セフィロスが苦笑する。しようのないやつだと思っているのだろう。煩悩まみれとでも、なんとでも云えばいい。理屈なく全身で欲するのだ。ただひとりの男を。引き継がれる背徳の血で、細胞のひとつひとつで、愛するに足る男を。
「ニブル山に寄っていい?」
 ふいの投げかけなのに、またも男はあらかじめわかっていたようにうなずく。
「そろそろ、母さんの墓作ろう。あと、おれ用のと、あんたのと。墓の場所、あのへんでいいだろ? 厳密にいえばあんたもニブル出なんだし。おれ、墓は絶対母さんのとなりにする。地獄でさ、真っ先に謝らなきゃ。きっと母さんなら、ほんとにおもしろいことする息子だとか笑ってくれるだろうけど」
 あたりに続く墓、墓、墓。そこが人生の終わりではないことに、いいかげんにみんな気がつくべきだ。でも気がついたって、捨てられないものがある。肉体があるゆえの快楽や、苦痛。まだ捨てたくない。まだ味わっていたい。この男と、ふたりだけが同じだと思える世界を。この血が生み出した背徳の世界を。