週末のたびに入り浸る部屋の主は

 週末のたびに入り浸る部屋の主は、正真正銘の都会嫌いなのだけれど、最近よく都会にやってくるようになった。月に二度ほど。クラウドはそれをちょっとだけ期待している。セフィロスがいると面白いから。
 セフィロスが自分に気を遣って訪問しているようには見えない。そもそも、そういう気を遣う必要なんてなにもない。クラウドに、ひとりになれと云ったのはセフィロスだから。ひとりになって、休めと云った。実際、クラウドはたまにひとりにならないとなにかがおかしくなる。視線、ことば、音、全部が圧迫感を持っているから。けれども最近、クラウドは別にこの部屋にいて、ひとりきりでなくたって楽しいという気持ちになっている。理由は、セフィロスが面白いからだ。彼はいま、クラウドが毎週見ている動物のドキュメンタリー番組をソファでいっしょに見ている。いっしょに見てくれとたのんだつもりはないのだけれど、彼は割合なんにでも興味を持つ。そして真剣に、じっと見つめる。あの印象的な瞳孔の目で。今回のターゲットは北の万年雪エリアに住んでいる、すごく毛深くて大きなシカ。角がとてつもなく長く大きくて、体重は一トン近くある。群れで行動するが、当然、のそのそ移動する。これとライオンが勝負したら、たぶんシカのほうが勝ちそうな気がすると云うと、セフィロスはライオンは実際そんなに強くない、ことにオスは面倒くさがりでたいがいぐだっとしている、あのたてがみは、間違って与えられた象徴に違いない、と云った。
「ほんとうはそれにふさわしくない者に、象徴的な意味が与えられるというのはどこの世界にもよくあることだ」
 セフィロスはこういう云い方をするので、クラウドはいつも頭を回さなくてはならない。今回の話は、自分をちょっと皮肉ったのだ。それくらいは、クラウドにもわかる。けれどもこういう話題は、返すのが難しい。クラウドは一度は英雄という地位の彼に憧れを抱いてしまったので、すこし負い目を感じている。本人がそんなに嫌がっているとは知らなかったから、しかたがないことなのだけれど、それでもなにか、一度彼を侮辱してしまったのだという気持ちが消えない。セフィロスは、クラウドが自分に憧れていたなんてことを知らない。云っていないから。だからなにも問題はないのだけれど、こういう負い目の感情は、相手に認知されているかいないかなんて、ぜんぜん関係がない。むしろ、相手に知られていないこと、相手に確認のしようがないようなことほど、長く尾を引く。自責の感情は、究極に自分だけの問題だから。それは、相手がほんとうのところどう思っているのかわからない、確信が持てないというところからくるものだから。
「ライオンと戦ったことなんてあるんですか?」
 結局、クラウドはセフィロスのことばに内包されている皮肉に気がつかないふりをする。頭の悪いやつだと思われているかもしれないけれど、セフィロスを前にすると、自分の頭なんて所詮回転数が違うのだということがわかるから、特に気にならない。
「直接対峙したことはない。見たことはある。炎天下で、情けない顔でへばっているやつだ。だが狩りをするメスは美しかった。躍動する肢体の美しさ……身体を、運動能力を自然に使いこなせるということは、実に美しいことだと思う」
 ここでテレビ画面が、真っ白な雪原を駆け抜けるシカをスローで映しだしたので、クラウドもその脚の、そして全身が連動するダイナミックな動き、躍動感からあふれ出す美しさを、感じることができた。美しくて腹が減った。なにかが動くところを見ていると、自分のエネルギーも一緒に消費しているような気になる。なんだってこうすぐ腹が減るのだろう。
 彼はソファを飛び越して、台所へ侵入する。冷蔵庫の中やカウンターの上に、未亡人がおやつをたくさん用意してくれている。クラウドは冷蔵庫の中から未亡人手作りのチーズケーキをホールごと引っぱり出す。これは酸味が効いていて、とてもおいしい。フォークを持って、またソファに戻る。セフィロスはじっと画面を見つめている。生まれて間もない子ジカを待ち受けるあまたの試練について、番組は感傷的な方法で訴えかける。クラウドはチーズケーキにフォークを突き刺す。そうして画面に見入る。雪原の森は、すごくきれいだ。朝日を受けてきらめく雪を乗せた木々、夕暮れの印象的な色に染まる風景、満天の星が輝く夜。すこし故郷を思い出す。自分の田舎は嫌いだけれど、田舎の風景は好きだ。クラウドはふいに、セフィロスに頼みごとをしたくなった。
「おれ、田舎の家に行きたいんですけど。できたら」
 セフィロスが画面から視線を外した。
「連れてってくれませんか? それともおれ家まで自力で行っていいですか?」
「自力でもいいが、村から遠すぎないか」
 セフィロスが微笑する。
「来週末、招待する」
 クラウドはフォークをくわえたまま目を細める。セフィロスは寛大なのか優しいのか、たぶんその両方なのだろうけれど、滅多なことでひとの提案を拒絶しない。なるだけ、相手の意向に沿おうとする。そういうことがわかって、そして追加でどんなことがセフィロスにとって苦痛なのかわかってきたから、クラウドはセフィロスに頼んでいいことと、だめなことを自然と区別できるようになった。田舎に行きたいというのは、これは一番いいお願いの例だ。セフィロスは、自分のボロ屋を誇りに思っている。間違いない。そこには、自分の意志で自分の住処を決めた男の、人間の誇りがある。誰からも強制されていない、自分自身による自分自身のための決断。人間の尊厳は、結局のところ、それにかかっている。自分で自分とつきあえること。自分の機嫌をとれること。
 そしてクラウドもセフィロスのボロ屋が好きだ。そこは、この都会の部屋よりうんとセフィロスらしい。彼の人間性があらゆるところに感じられる。彼のまとう空気が、隅から隅まで満たしている。穏やかで、調和的で、きらめく水面みたいな揺れ動く繊細さ。クラウドはそれが好きなのだ。うっとりするような居心地のよさを感じる。このひとが刀を振るうところを、クラウドはどうしても信じられなくなっている。一般に知られた例のいかつい戦闘服を着て、うんざりするほど長い刀を振り回しているところなんて、想像できない。実際、あの長さは反則だ。あんなもの、ぜったいにまともに振り回せるわけがない。そういえば、彼の例の刀をまだ見たことがなかった。どこに置いているのだろう。もう捨てたのだろうか。そうだったら、残念だけれどちょっといいな、とクラウドは思う。なぜならそれは、セフィロスにとって計り知れない自由を意味するはずだから。
 ……ふいに温かい指先が唇の横をかすめた。
「食べかけのままにやついたり、考えごとをするな。ものがこぼれる」
 頭のななめ上から苦笑交じりの声がする。いま触れたのは、セフィロスの指だった。知らないあいだに距離が近くなっている。もっとも、最近クラウドはセフィロスが至近距離にいても気にしない。よくいるからだ。このあいだ自転車を組み立てていて、気がついたら真後ろにいたことがある。ソファに座っていると、横に座ってくる。はじめ、クラウドはザックスみたいに、友だちと仲良くする感覚なのかと思ったけれど、セフィロスのそれはどうも気配が違う。彼はじっと見ている。クラウドの作ったもの、そして、たぶんクラウドそのものを。彼はよくいろんなものをじっと見つめるから、それが彼なりの興味の対象に対する接し方なのかと思った。けれども、やっぱりなにかが違う、と本能的な部分が告げている。自分に向けられる彼の視線の中には、なにかことばにしようのない、ひとつの熱がある。クラウドはその眼差しの熱に気がついたとき、正直なところ驚いた。その熱の意味は知っている。それは母さんが、そしてその男が、ふたりで交わす視線のそれ。映画の中で、あるいはドラマの中で、恋人たちが交わす視線のそれ。美しい情念。その先に求めているものがなんであるか、クラウドだって知っている。興味はある。かなりある。けれども、セフィロスとそういう情熱が、そしてそれと自分とが、うまいこと結びつかなかった。顔の問題でいけば、たぶん自分は悪くない。それにひっかかったのか? セフィロスはゲイなのか? ミドルティーンあたりの男が好きなのか? けれどもまた、自分に近づいたのがそういう目的だったとも思えない。彼は親切だ。それは本心からのものだ。心から、クラウドの神経を案じてくれている。たぶん、セフィロス自身も似たようなところのある、過敏な神経を。同類に対する同情。それはとてもありがたくて、心地よいものだった。いつの間に、それがそういう感情になったのだろう。クラウドは自問する。ところで、自分の中にそういう感情はあるか?
 おそろしいことに、クラウドが出した答えは、「興味津々」だった。男どうしなんて未知数のくせに、未知数に対する興味が不快感や、困惑を上回っている。なにより、セフィロスだ。超美形だ。きれいな顔が嫌いな人間なんていない。恋愛感情で、セフィロスのことが好きかどうかはわからない。でも、少なくとも一般的な意味でとても好きだ。いいひとだし、優しい。こちらを否定しない。一緒にいると面白い。なんとなく、なんでも云えるような気持ちになる。彼ならわかってくれそうな気が。否定せず、話を聞いてくれる気が。それはクラウドの中では、とても貴重なことなのだ。自分はちょっと変だから。母さんが云っていた、あたしも変だけど、あんたも変なのよね、うちの一族はみんな変。どっかのネジ、ないと思うわ。よくわかっている。ちょっと変わり者。おんなじ人間なんていないけど、それにしたって、どこのカテゴリーにも当てはまらなさすぎる。セフィロスもどこにも所属していないから、わかってくれるかな、とは思うけれど。だから、いろいろ聞いてほしい。そして聞きたい。彼のことを。これはもう憧れじゃないのだ。ほんとうの興味。ザックスにそうするみたいに、相手の懐へ潜りこみたいから生じる、興味。セフィロスの場合は、ついでに腕の中に潜りこんでみてもいい。そういう態度を示してるのは本人だから。でも、どうことを運ぶべきなのかわからない。

 セフィロスのボロ屋へ行くときは、一番近くの村まではバスで自力で行く。クラウドの乗り物酔いは、窓が開いていさえすれば大丈夫だ。彼は、よたよた走るバスに乗りこんだとたんに、窓を全開にしてしまう。そうしてそこに首をつっこんで、じっと外の景色を見る。ミッドガルが、どんどん遠ざかっていく。くたばれ大都会、とクラウドは上機嫌で生意気な気持ちになって思う。もう帰ってやるもんか、と云えたらいいけれど、自分の夢を叶えるには、都会にいるしかない。ちょっとしたジレンマだ。遠足の定番キャラメルを口の中に放りこむ。こんな気分のときにはとなりに陽気なザックスが欲しい気がするけれど、彼は三日前から急にミッションで遠出していて、ミッドガルにいない。ザックスは実は、えらいひとなのだ。責任者級の人物なのだ。よく忘れそうになる。別に忘れたっていい。でもセフィロスとのことに、ザックスを引っぱりこむのはやってはいけない気がする。はじめは、ちょっとした秘密だった。それが思った以上の秘密になりそうな気配がある。
 流れていくゆるやかな草原の景色。蝶が飛んでいた。はるか上空を見れば、鳶かなにかが、弧を描いて舞っている。なんてきれいなんだろうと思う。鳥が空を飛べるのは、ほんとうに不思議だ。しかも、彼らの描く正確な軌道。どんな熟練パイロットもかなわない、急降下や急停止、風に乗る技術。昔羽根がほしいと思った。自分の身体で、宙に浮いてみたかった。空を飛んでみたかった。でも、こんな身体を持ち上げるための翼、飛んでいるとき以外はきっと重たくて重たくて、どうにもしようがないのじゃないか、と思ったとき、その気持ちは消えた。そんな夢みたいな自由じゃなくても、もっと人間にふさわしい自由があるはずだ。たとえば、こんな景色を見ているときに感じる自由。自分がこの世界に、ちゃんと存在してそれと対峙していることについて、いま、この瞬間、刻一刻死を免れて生きていることについて。
 二時間以上がたがた揺られて、ようやく小さい村にたどり着く。森がすぐそばまで迫っている村だ。どこか、森の延長上に暮らしているような村。自然と人間が、毅然として分離しない。その融合感が、クラウドは好きだ。セフィロスもそんな感じだ。それはたぶん、根源的な落ちつきなのだと思う。ちゃんと、大地に根を張って生きているということ。大地とともに、この星の自然とともにあること。めぐっているエネルギーの中の、一要素からはずれないこと。それはたぶん、一番しっかりした生き方なのだ。だから、ぶれない。どっしり落ちついて、そんなものに触れると、ひとは無意識にとても安堵する。たくましい漁師、木こり、そんなひとたちに共通する、あの星の営みの一部としての自覚が生み出す確信。自分が不安定な人間だなんて、クラウドは思わないけれど、なにかが足りない気がする。自分を落ちつかせるためのもの。この世界を泳ぐのに、必要なもの。セフィロスみたいな、ああいう安定感があるひとが、いてくれたらいいんだろうか。自分のそばに。そして自分を見ていてくれる。この、あるがままの自分。そうあることを、尊重して優先してくれる。いつでも帰っていいところ。そこでだけは、自分でいられるところ。そんな持ち場は、たしかに欲しい。母さんは、もう遠いし、それにいつまでも母親から安心感を得ているようじゃおしまいだ。母さんはたしかに優しいし、いつまでも母さんだ。いつまでも、息子でいる権利がある。でも、いま欲しがっているのはたぶん、母親の愛情じゃない。もっと、違うもの。この広い世界に思い切り飛び立つための力。母親がくれるのとは違う、存在の肯定感。それはつまり、セフィロスが欲しいということと同じことなのか? いくら考えてもちっともわからない。
 セフィロスのところへは、村からから歩いたら一日仕事になる。まったくすごいところに住んでいる。村を出て、しばらく歩いて行くと、その昔風変わりな夭折の天才画家が住んでいたとかいうふれこみのアトリエと、墓がある。当然、田舎過ぎて熱心なファン(いるかいないか不明だが)すらめったに来ない。セフィロスは、そこまで迎えに来ている。本人は「流しのチョコボ」(これまたそんなものがいるのかどうか不明)を適当に利用していると云っているが、真っ黄色なそいつは明らかにセフィロスになついている。でも、彼が飼っているわけじゃない。ふたりをのっけて、ボロ屋の近くで下ろすと、名残惜しそうに鳴いてから、どこかにいなくなる。クラウドはこのあいだ来たとき、だいぶそいつと打ち解けた。やわらかい羽根をなでて、獣臭いのを堪能していたら、チョコボのほうも自分を好いてくれているのを、わかったみたいだった。大事なことはそれだ。好意を持ったら、ちゃんと示すこと。そうすれば、同じものが返ってくる。
 ミス・メリーウェザーが出迎えてくれる。おっとりと首を振りながら、静かな優しい眼差しで。セフィロスは律儀に彼女の前で立ち止まって、留守番の労をねぎらう。ミス・メリーウェザーは、「いいのよ……」という顔でそっと笑う。クラウドも挨拶する。脇腹をたたいて、首をかいてやる。ミス・メリーウェザーはしっぽを振って歓迎の意を表明する。そうして草を食べはじめる。そういう全部が、クラウドのひびが入りそうな毎日で鬱積していくなにかを、分解してくれる気がする。お湯が沸いたら、お茶。クラウドは買ってきた菓子類をテーブルに全部ぶちまけて食べる。いろいろなことを話す。彼は腹の立つ上官の話をした。
「ふんぞり返って、やなやつなんです。ひとのこと、こき使って喜んでる。なんか、権力が嬉しいみたいです。魚みたいに間の抜けた顔してるくせに」
「ひとの顔を侮辱するのはよくない」
 セフィロスは一応忠告する。クラウド自身も、顔の話題には敏感に反応する人間のはずだから。
「だって、おれそいつより位も下だしなんもかんも下だし、安心して勝てるのっていったら、顔くらいで」
「なんだ、自覚はあるのか」
「顔のことですか? 一応。好きでこの顔になったわけじゃないけど、母さんがこんな感じの顔だからしょうがないし、それに少なくとも、いまみたいに、そこで勝ってる自信くらい持てるときあるし。でも、女顔はほんとに心外。云われると頭に血が上っちゃうんですよね」
「中性的、という形容は?」
「まだましだけど、なんか微妙にいらっとする……それセフィロスさんの個人的な意見ですか」
 反射的に眉をしかめる。セフィロスが独特に口角を上げて微笑する。これは肯定の顔だ。クラウドは唇をつき出す。
「整ってるっていうのはいいんです、歪んでるよりか。変な劣等感持たなくていいし。毎日鏡の前で顔見て溜息ついてるニキビ面のやつら見てると、おれまでため息出そうだし。でも、なんで女顔とか中性とか云われなきゃならないんですか? セフィロスさんは? 云われたことあります?」
「記憶にあるかぎり、ない」
「くっそ、不公平だ」
 不機嫌な顔で菓子の空袋をテーブルに放り投げる。セフィロスはテーブルから危うく落下しそうになったそれを受け止めて、そっとテーブルの上に戻した。
「ひとは、美しいものには女性性を感じやすいところがあると思う。おまえは、中身はしっかり男だ。気にするな」
 腕が伸びてきて、髪の毛をひとかきされる。これは、はじめは、当然ながらすこし戸惑った。けれどもそうされることが重なって、クラウドはもう慣れてしまった。ザックスだって、よくこの頭を引っかき回す。朝はセットに全神経を集中させているのに台なしだ。生来の猫っ毛が、クラウドの理想とするところの形への追求を妨げる。不幸な髪質への、飽くなき反抗。この苦労は、もともと立ちやすい髪質のザックスなんかには一生わかるまい。今度、ザックスにワックス代を請求しようと思っているのだが(ザックスにワックス、という語呂のよさに、クラウドは実はしばらく笑い転げた、ザックスに話して、倍笑い転げた)、そのうちセフィロスにも請求するべきなんじゃないだろうか。
 乱れた髪をあわてて立てなおすところを見て、セフィロスは笑っている。頭をなでるのはわざとだ。ぜったいに。それでこちらが不機嫌になるのを、そうしてもっと大きな意味では、それによって生じる接触を楽しんでいる。彼は、触れたがっている。こちらの身体に、そしてたぶん、感情に。感覚で、それがわかる。そのこと自体をどうこう云うつもりはないけれど、どう受け止めるかすこし戸惑う。だからまだ、不機嫌に流すしかできない。
 休憩のあと、クラウドはセフィロスの手になる畑を見に行った。収穫の秋だ。カボチャが重たそうに地面に垂れている。今年はじめてピーナッツをつくってみたのだが、うまくいきそうだ、とセフィロスは実に嬉しそうに云った。ピーナッツは、意外なことに地中にできる。クラウドははじめて知った。採れたら、はちみつを絡めて塩を振って食べていいですか、と訊いたら、栄養素が高いので食い過ぎるなという答えが帰ってきた。それから秋といえば、なんといってもイモだ。これしかない。地面の中から、ごろごろ実っているのを引っぱり出す。田舎でも、秋になるとこれをやるのが楽しみだった。さらさらした温かい土の下から、食料を掘り出すとき、とても温かい気持ちになる。残さずに全部食べようと思う。冬を越すころには、実家の畑で取れたイモはクラウドの食い気のせいでほとんどなくなっていたのだけれど。地下に貯蔵庫があって、イモはおがくずの中に入れて蓋をして置いてあった。寒すぎて、凍ってしまうのを防ぐため。薄暗くてどことなくかび臭い地下に降りていって、おがくずの匂いを嗅ぎながらイモを拾うのが、クラウドは結構好きだった。台所へ持って行くと、母さんがすぐさま調理してくれる。土の匂い、そしてあの地下室の、独特の匂い。イモを引き抜きながらそんなことを思い出した。セフィロスに話した。彼は笑って、嗅覚は記憶と直結しているからと云った。クラウドはとても感傷的な気分になって、いつまでも土まみれの茶色いイモをなでていた。

 夕暮れが迫ってきた。このあたりの夕暮れはとてもきれいだ。クラウドはオレンジになる空をじっと見ていた。セフィロスはなにも云わなかった。そういう時間の必要性を、彼自身よく知っていたから。すこし風が出てきた。つんつんの金髪が揺れる。オレンジと紫が調和した時間の、景色の中に、金髪はあやうい美しさを添えていた。この金髪が加わると、世界はとてもあやういように思われてくる。もうすでに固定化されていたはずの世界。それが最後に揺らぐのを感じたのは、いつのことだったろう。少なくとも、自分の仕事を放り出すときには、世界は確かだった。彼自身の意志が確かで、それを揺り動かすものがなかったから。こんな揺らぎを感じたのは、そうだ、あるひとと、特別な関係を築いていたときのことだ。セフィロスは、情熱的なものに惹かれる。無秩序なものに惹かれる。狂気とぎりぎりの一線を保つものに惹かれる。それが自分の中にないからだと思っていたが、そうとは云いきれない。もしかすると、自分の中にある狂気、エロス、それが解放されたがっているのかもしれない。それを誘発してくれる対象が欲しいのかもしれない。あのひともそうだった。熱に浮かされたような、ぎらついたあの目。まぎれもなく、それは彼の世界を、揺るがした。ひどく揺さぶった。自分が情熱的になれることを知った。がむしゃらになれることも知った。なにかを必死に求めることができること、なにかを投げ出すことができることを。だからセフィロスは、自分を信じる気になった。神羅から離れても、どうにでもなるという気になった。もうそのきっかけを作ったひとはこの世にいない。セフィロスは、そのことを引きずっていない。自分は生きている。この世界で、自分の意志で、ちゃんと。
 誰かを心から求めるときの、あの揺らぎ。あの恍惚。それが再び、自分の中に芽生えているのを否定することは不可能だ。夕まぐれの中に揺れる金髪。彼の中に、セフィロスは強い情念を感じている。それが自分に与えられることを、欲している。無秩序のエロスの中へ、飛びこみたいと願う。少年の、あの鋭利な美しい顔。冷笑的なくせに、その奥に情熱を秘めた目。それが自分に注がれることの恍惚。欲しいのはそれだ。自分の中の情熱を、呼び覚まし、そして突き動かすあの目。皮肉げな微笑。とんがったくせに、妙に甘えを含んだことばの数々。クラウドはこちらに気をゆるしている。それはわかっている。男との肉体の接触を、本能的に嫌がらないことも知った。きっといかにも美しいだろう。彼が快楽に溺れるさま。それを見てみたいというどうしようもない衝動をおぼえる。クラウドに自覚があるかどうか。問題はそれだ。性への自覚。あるいは知覚。それは世界最大の知と、非知の差だ。性的なものを嗅ぎとる嗅覚があるのとないのとでは。少年には、おそらくあるのではないかという気がしている。だがそれはまだ目覚めかけで、完全ではないように思われる。それを手っ取り早く引きずり出したい気持ちがある。ちょっとした動揺でいい。それだけで、たぶん少年には十分だ。これだけの相手の欲をそそる顔を持っているからには、その手の感度が低いことはありえない。
 いい加減暗くなってきたので、セフィロスはクラウドを引っぱり上げて立たせた。少年がぼんやりした顔で仰ぎ見る。無防備に少し開いた唇に、強い衝動をおぼえるけれども、笑って、家に入れと云うついでに頬を軽くなでるだけにする。少年は、首をかしげて少し不思議そうな顔をする。服に土がこびりついている。それをはたいて落としてやる。ついでに少し、いかにも成長期の身体の変化に興味があるという体を装って、むき出しの少年の腕を取り、親指でたどってみる。腕とつながった身体が小さく身じろぐ。
「ちょっと腕、筋肉ついたんですよ」
 平静を装うための会話だ。それくらいはわかる。
「力を出すために必要なのは筋肉じゃない。身体の使い方だ。明日教えてやろう」
「ほんとですか? おれ自分がガタイよくないから、結構気にしてたんです。身長も思ったより伸びないしなとか」
「身体つきも身長も問題じゃない。おまえはもともと、線が太くなるようにできていないのだろうな。それなら、それなりの身体の使い方をするまでだ」
 そうして目の前の身体を一瞥する。少年が顔をしかめた。
「なんだ?」
「前から云おうかどうしようか迷ってたんですけど……いや、やっぱいいです」
「なにがだ」
「いいです」
 クラウドはちょっと顔を赤らめて、あわてて家に戻っていった。セフィロスはひとり残されて、眉をつり上げた。こちらが思っていた以上に、彼には自覚があるのかもしれない。意識があるのかもしれない。性的対象としての自分、という意識。そういう目で、見られること。そこに居心地の悪さを感じるか、否か。クラウドの云いかけたことが気になっている。彼の性格を考えれば、性的な意味をこめて見られるということに腹を立てたら、その瞬間に怒り狂っているはずだ。そうでない態度を取られた、あるいはこれまで取られていたとすれば、未来はずいぶん明るい。あとひと押しを、どのタイミングで、どうするか。これは狩りに似ている。男の本能を、どうしようもなく刺激する。セフィロスは笑う。この感じは嫌ではない。むしろ楽しい。なにかを求める情熱。それが全身を包んでいる。
 家の中で、クラウドはせっせとイモの皮を剥いていた。ナイフを扱う器用な手。その繊細な白さと形。その指の一本ずつに、唇で触れたい気がしている。セフィロスは無言でその前を通り過ぎ、鍋の物色をはじめる。互いに無言。さっきの曖昧に濁された会話は、一見もうなかったことになる。でもセフィロスはちゃんと覚えている。今度それを確かめようと思っている。クラウドが、自分の視線にどんな意味を感じとっているか。
「おれ思うんですけど」
 クラウドが唐突に会話をはじめる。
「最近、なんかほぼ毎週末セフィロスさんといる気がしてきた」
 セフィロスは思い返して、そうかもしれないと云った。
「そろそろひとりになりたいか?」
 からかい気味に訊ねると、クラウドは首を傾けて、まあ、別にいいです、と云った。
「ザックス、最近忙しいから遊びにいけないし」
「ほかに遊びに行くような知りあいはいないのか」
「いないですね。別にいいです。いないならいないで、ひとりで楽しいし。あ、おれ来週末、ベッドの改造しようと思ってて、あれ動かすの重いんで、手伝ってくれませんか?」
 これは、意識しての発言か、そうでないのか? セフィロスは判断に迷う。彼が無自覚であるという神話は、先ほど崩れ去ったばかりだ。こうなると、こちらもさらに意識せざるを得ない。彼のことばのひとつひとつ、行動のひとつひとつを。セフィロスは了解した。都会に行くのが、ほんとうに急速に嫌ではなくなっている。これは実際、大したことだ。ほんとうに、大したことだ。