云いつけは絶対だ

 云いつけは絶対だ。こと恋愛に関して、母さんのアドバイスが間違っているとは考えられないし、それに母さんはある種の予言者なのだ。いまやらないと、ぜったい後悔するよ、と云われればほんとうにあとから後悔するし、それあんたがほんとにやりたいとは思えないけど、と云うときには実際そんなにやりたくなかったことにあとから気がつく。でも最高なのは、否定的な予言は決してしないこと。無理とかいいことないとか、そんなことはぜったいに云わない。否定的な予言は、偶然たった一度そのとおりになっただけでも、もうものすごい力を持ってしまう。こちらの人生を支配する。強固な理論となって(狂人はそういった理論に取り憑かれているやつらのことだ)、自分を取り囲んで、がんじがらめにしてしまう。それとは逆の予言は、当然逆の力を持っている。人間の魂を鼓舞し、自信になる。でも、そういう予言をするひと、そしてそれを心から信じるひとは、悲しいくらい少ない。
 クラウドは母さんのことばを全部信じている。盲目的すぎるように思うこともあるけれど、でも母さんの云うことを信じて、悪い結果になったことは一度もない。最初から悪いことなんか云わないから、当然だ。母さんが、今晩片をつけなきゃ一生彼女なんてできない、と云うなら、それはほんとうにそうなのだ。つまり、それくらいの覚悟と勢いがなければ、恋愛なんて最初からしないほうがいいのだ。うじうじは、いつまででもやっていられる。そしてうじうじが続くかぎり、人生はなにも進まないし、なにも変わらない。一大決心が必要だ。崖から飛び降りるような覚悟。それが必ず状況を変えると、信じられる勇気。母さんのことばにあるのは、結局それなのだ。未来への、際限ない信頼。なりゆきに身を任せること。
 ベッド改造計画はとてもすばらしいプランだった。クラウドはそれに最近ほとんどかかりきりだったのだ。毎日設計図とにらめっこして、書き加えては消し、加えては消して、できあがったものにクラウドはほんとうに満足だった。スラムにある廃材を扱っている店に何度も行って、がらくたを山ほど買ってはセフィロスの部屋に運んだ。自転車で。自分で組み立てた自転車。立ち上がりがちょっと遅いけれど、軌道に乗ればものすごくスピードが出る。廃材屋のおやじは鉄でできたものについてはなんでもかんでも知っていた。学者だってこうはいかないくらいなんでも知っていた。仲良くなって、ギアの調整方法を教えてもらった。「あんなあ、おしなべて乗り物ってのは、じゃじゃ馬が一番なのさあ」とおやじはにかにか笑って云った。「征服しがいがあんだろお。女と一緒だよ」そうして声を上げて笑った。いいか坊主、おまえなかなか色男だからな、アドバイスやらあ。女なんてのは、やっちまえばこっちのもんだ……とも。
 まったくみんな、やればわかるようなことばかり云う。セックスはそんなにすごいのか? それで世界のすべてがクリアになってしまうのか? クラウドはでも、そうかもしれないと思う。未知の領域。性欲、快楽。一応そういうものについてひと通りは知っているけれども、それはほんのちょっと。たぶん、もっとずっと奥が深いのだと思う。想像するよりずっと。その出だしが男相手になるかもしれないのは、相当イレギュラーなことなのだろう。クラウドは自分がそっちの趣味だったのかどうか、しばらく考えてみる。否。当たり前のように結婚するなら女の子だと思っていた。でもそれは、そういう固定観念に取り憑かれていただけなのだろうか。しょっぱなから普通じゃないというのは、それはそれで実に自分らしいような気もする。
 セフィロスはまだ部屋に来ていなかったから、クラウドはひとりでベッドの改造をはじめた。まずは全部ばらしてしまう。ばらすのはとても大事だ。構造がわかるから、手を加えてもいいところ、ぜったいに手を出してはいけないところがわかる。既存のものを改造するのは、とても繊細な作業なのだ。それは制作者との間接的なやりとりになる。作り手の意図、こだわり、そういうものと、自分の感性とのぶつかりあい。だからクラウドは、大量消費のために大量生産される安物なんかに興味はない。セフィロスが好きにしろと云ったのをいいことに、クラウドはおそろしくいいものばかり買いそろえている。母さんが云ったものだ。あんたはあれだね、いいものを見わけられるやつだね。自分にもこだわりがあるから、相手のこだわりがわかるっていうやつよ。それはたぶんほんとうだ。
 昼ごろに未亡人がやってきて、ばらばらになりつつあるベッドを見て、うれしそうな顔をした。まあまあ、ベッドってそんなに細かくなるの、わたし、大きいものとばかり思ってたわ! そう云ってキッチンでごそごそやりはじめた。セフィロスが来たのは、もうベッドを完全に原子レベルくらいばらばらにしてしまったあとだった。この部屋でセフィロスを迎えるとき、おかえり、なのか、おじゃましてます、なのか、もっと別のことばを云うべきなのかいつも迷う。そうして結局なにも云わない。ただ笑いかけて、それでおしまいだ。セフィロスは必ずなにをしているのかと訊いてくる。興味津々の顔をして。
「ベッド、ばらしちゃいました。手伝いいらなかったです」
 セフィロスは部屋中に散らばったネジや板切れにひととおり目をやって、ちょっと肩をすくめた。このひとがどうやって都会に出没し、また田舎に戻るのか、クラウドは実際のところを知らない。いっしょに移動したことはないからだ。もしかしたらほんとうに数日前から歩き通しに歩いているのかもしれないし、流しのチョコボだかなんだかを拾っているのかもしれない。文明的な乗り物を使用しているという可能性だけはないだろう。そういうのにはぜったいに反抗するひとだ。でも瞬間移動しているとか云われたら、たぶんクラウドは信じる。やれそうだからだ。セフィロスはそういう雰囲気のひとだ。現代的なものとは反りが合わないけれど、かわりにうんと神秘的なものを持っている。
「ではおれは無駄足だったのか」
「たぶん。ごめんなさい」
 口では謝りながら、クラウドは彼を振り回した自分にどことなく満足する。普通なら怒り出しそうなものなのに、セフィロスはそうしない。クラウドも、セフィロスが怒りはしないだろうと思いながら謝っている。おかしな話だ。このひとに甘えているんだな、とクラウドは思う。母さんに、あるいはザックスにそうするみたいに。そんなことができるひとは貴重だ。
「別にいい。いい運動になった」
「あ、でも組み立てたあととか最中とかに、必要になるかも」
「無理して用事を作らなくてもいい。おれは元来怠け者だ」
 クラウドは笑った。セフィロスが怠け者なのは、もしかしたらほんとうかもしれなかったから。

 クラウドのベッド改造はこだわりがありすぎて、夜になったってちっとも終わらなかった。未亡人はとっくに帰ってしまった。彼の理想はなんでもかんでも収納できる最強のベッドを作ることだった。読書用ランプからオーディオまで、ぜんぶベッドのどこかしらに収納されていて、あまり身体を動かさなくても使用できる。発明、発見は本質的に不精のやる仕事なのだ。楽をしたいから、そのために頭をひねる。誰だって寝転がったままサイドレールにちょっと手を伸ばし、ひと押ししたら棚が飛び出す、なんてベッドがあったら欲しいはずだ。頭上に手を伸ばせばランプがつき、枕元のボタンを押せば音楽が聞こえてくるなんてことになったら楽しいはずだ。だから、そのために工夫する。
 セフィロスはいつものごとく、クラウドのやっていることを横でじっと見ていた。でもそれは半分が改造ベッドへの興味で、半分がそれを作っている人間への興味だ……それはわかる。クラウドは彼の視線の意味を完璧に理解しているつもりだ。自分の身体が、相手にとって魅力的に映ること。指先だとか、唇だとか、目線だとかそういうものが。そこに性的なものを感じること。別に、そういう扱いは嫌じゃない。自分もセフィロスにそういうものを感じているだろうか? クラウドは何度か自問した。たとえばあの薄い唇が、こちらの同じところへやってきたらどうなるか。あの身体の熱を直に肌に感じたらどうなるか。考えてしまう時点で、すでにセフィロスの欲求、より直接的に云えば欲望に、感応している。そういうことを想像できてしまう時点で、もうなにかがはじまっているのだ。なにかの化学反応。しかもそれがただ流れていってしまうだけの想像ではなくて、繰り返し、やってくるような想像なら。もしかしたら、そういう状態を、世間一般では好きだというのかもしれない。だとしたら、誰かを好きになるということは、想像以上にハードルが低いことのように思われる。恋愛というのはもっと、爆発的なものなのだと思っていたけれど……ああ、でもそれも、やっぱりこの現象にぶちあたったときに変わるのだろうか……セックス。謎。てんで謎だ。
「ところであんなふうにベッドをばらしてしまって、おまえは今日どこで寝るつもりなんだ?」
 予告なく、いきなり事態は展開するのだ。いつだってそうだ。そろそろ寝る時間が近づいていたことだけは確かだ。そうしてクラウドのベッドはまだばらされたままで、今晩どうやって誘いをかけるかということだって、ぜんぜん見えていなかった。でも、きっかけは向こうからふいに投げられた。こういうものは、きっとうまく活かすべきなのだ。タイミングというのは、絶対に逃さずに掴まなくてはいけない。なんにしても、ぐずぐずが最大の敵だ。
 だからクラウドは云ってみた。もしかしたらセフィロスだって、誘いたがっているかもしれない、という可能性を、大急ぎで考慮に入れながら。
「マットの上で寝ようと思ったけど」
 そこでちょっとことばを切って、どうしたものかというふうに首をかしげる。
「あのでかいベッドのはじっこ、もし借りていいなら借ります。一度寝てみたかったから。寝心地よさそうだし」
 直球すぎただろうか。でもこれは、なにも暗示していない。甘えの、わがままの延長で通るのだ。あとはセフィロスの解釈ひとつにかかっている。そうして、もしもセフィロスが、このことばをそういう方向に解釈するのなら、その段階ではじめて、そういった艶かしい話題へ進むことが許されるのだ。同時に、セフィロスの視線の意味を取り違えていなかったこともはっきりする……すべての鍵を握るセフィロスは、眉根を寄せてすこし複雑な顔をした。
「おれと同じベッドで寝るということに抵抗はないのか?」
「んー、別に気にしない」
「……おれは正直、おまえの意図を疑う」
 セフィロスの目が真剣になる。まっすぐにこちらを捉えて、そうして例によってじっと見つめてくる。そこにあの熱はない。冷静な、真摯な視線だ。真剣にものごとを見極めたいと願っているときの視線。クラウドはふいに、確信した……このひと、本気なんだ。こちらをちゃんと扱おうとしている。流してしまうとかからかって終わりにしてしまうとか、そういうのはなしにして、ちゃんと扱おうとしている。それはつまり、彼の感情の真摯さをあかししていることになる。
「疑いたいんじゃないですか?」
 クラウドは自分でも意外なことだったけれど、このとき唐突に強気に出た。そうすることが、なぜかとても自然なことのように思えたし、そうしたかったのだ。投げかけたことばに、セフィロスが眉をつり上げた。
「先週、おれが云いかけてやめたのもそれなんですけど。意味わかります?」
「……ああ、わかる」
 セフィロスはしばし逡巡するような顔を浮かべて、そうしてまたすこし物憂い、真剣な顔に戻った。
「おまえもわかっているなら訊くが、正直なところ、どう思う」
「おれ? そりゃ、はじめて気がついたときはちょっとびっくりしたけど」
「いつから気がついていた?」
「たぶん、結構最初のほう。仲良くしたいだけなのかと思ったけど、でもそれにしては視線の意味が違ったから」
 セフィロスは苦笑を浮かべた。
「違ったか」
「途中から割とあからさまだった気がするけど。だいたい、普通じゃない視線送られたらみんな気づきません?」
「普通じゃなかったか?」
「なかったですね。おれ、自分の全身鏡で見ちゃいました。最終的に、顔だろうなって判断したけど」
「それは短絡的すぎる」
 セフィロスの腕が伸びてきて、指先が髪の中に差しこまれた。そのままゆっくりと撫でられる。いつもされるのとは、微妙に感触が違った。もっと繊細な動きだった。なにかとても小さなものを、探り出そうとするかのように。
「この顔が一級品なのは事実だが」
 その一級品の顔に、すこしからかいを帯びた視線が向けられる。先ほどよりも、その目の中にはなにか生ぬるい熱がこもりはじめている。
「おまえは自分が提案していることの意味がわかっているのか?」
 クラウドは鼻を鳴らした。
「ばかにしないでください。なんにもわかってないふり、やれって云われたらできるけど、そこまで純情じゃないし、そういう鈍いやつ嫌いだし」
 セフィロスは小さく喉を鳴らして笑った。髪の毛の中に収まっていた指が、ゆっくりと耳の形をなぞり、顎へと伝い降りてきた。その微妙な触れ方に、身体の奥のほうがひとりでに小さく反応する。クラウドはそれをしっかり意識して、観察しようと試みる。なにしろ、はじめてのことなのだ。
「……おまえは面白い」
 セフィロスの目が細められた。
「おまけに危険だ。今日のことで確信した。おまえは自分の価値をちゃんと心得ている。それを皿の上に乗せて、駆け引きできるわけだ。いざとなれば」
 唇の上を、セフィロスの指が撫でている。女みたいになにか塗っているわけじゃないし、特に気をつけて乾燥から守っているわけでもない。ただのあるがまま。でも、着飾っているなんてことは、最終的にぜんぜん関係がないことみたいだ。欲情するためには。
「別に、駆け引きしてるつもりないけど」
 さすられている唇が、くすぐったいようなじれったさをともなって、ぴりぴりした感触を持ちはじめている。
「そうかもしれない。結局、そんなものは不真面目な連中のものなのかもしれない。あるいは本気で相手を欲しない生ぬるい段階の連中の」
 なにかの予感を感じて、クラウドは目を閉じた。この反射神経は実に正しかった。セフィロスの唇が自分のそれに重なったから。相手の唇を意識した瞬間の身体の変化は、細かな電流が走り抜けるのに似ていた。ここにある唇は自分とは別のものなのだ、別の人間のものなのだ、というのをふいに強く意識する。弾力があって、熱を持っている。おそらく相手にも、自分の唇はそう思われているはずだ。ふたつの唇が、ちょっと触れあって、離れて、その繰り返し。ただそれだけなのだけれど、身体のほうの反応は劇的だ。頭のてっぺんから足の先まで通る、ひと筋のなにか細かな流れができて、それがぶつぶつ泡だって存在を主張する。快楽の芽生え……そうだ。まだ本流にならない、快感のかけら。心地よい程度の。
 クラウドはちょっと微笑む。これがきっと前触れのキスというやつなのだ。こういうのを積み重ねて、大きな快楽になるわけなのか? たぶん違う。セフィロスは、きっと様子を探っている。ふいに唇が離れた。急に、すぐ目と鼻の先にあった温度が失われたような気がする。クラウドは開いた唇から、感慨深げに息を吸いこんだ。その空気の中に漂う快楽の破片を吸いこもうとするみたいに。目を開けると、セフィロスが穏やかな、どこか眠たげな顔をしていた。満足したような。こちらと目が合うと、急にからかうような調子を帯びた。
「最終確認だが。法律問題でいけば、おれはここから一歩進んだ段階で、めでたく犯罪者になる」
「知ってます。おれ犯罪者って嫌いじゃないですよ。それにおれだったら、無理やりされたわけでもないのにあとからぐだぐだ文句云うような覚悟のないやつ、死ねばいいって思う」
 セフィロスの目が再び細められた。こちらの返事のしかたに満足しているみたいだった。
「これは責任重大だ」
「どういう意味ですか?」
「とんでもないやつを起こしてしまいそうだからだ……もちろん、それを望んでいるわけだが」

 セフィロスのことばの意味は、ぜんぜんわからなかった。続いて与えられた口づけの勢いに、思考は飛び散った。なにかを、もしかしたらこちらの身体を、えぐりそうなほど深いもの。絡めとられて、こじ開けられる。少々強引に身体を開かされているような感覚だ。けれども、身体のほうはそれを頭から期待していたらしかった。感じ方がダイレクトになる。直接脳に、そして下半身に、響く感じ。身体の中心が渦を巻いているような感じを受ける。混沌。思考によって整理できない。舌のぬるついた感触、その熱さ、顎の裏をなぞられるとくすぐったさをすこし超えたおかしな感覚が身体に響く。呼吸に混じって小さな声が漏れる。快感を、感じるということ。こういうのがそれだ。クラウドは理解した。身体はとっくに理解して求めているのに、思考は実にどんくさいことだ。
 セフィロスのでかいベッドはほんとうにでかかった。そして身体の沈み心地は最高だ。包みこまれるみたいで、生ぬるいお湯の中に浸かっているような……それはきっとあからさまに羊水の記憶なのだけれど……そういう心地よさをもたらす。でも、のしかかってくる体温がそういう平和な快楽をどこかへやってしまう。こちらが要求するのは、荒々しさのある快楽。獣じみた快楽。むき出しの欲望。忘我の境地。がむしゃらななにか。
 セフィロスが身体のどこかへ触れるたびにいちいち反応すること、そしてそうなるように彼が仕向けていることを、感じる。実に繊細な触れ方で。そうして急に少々強引になる。その緩急。このひと、きっとうまいんだな。クラウドは思う。触り方がエロい。舌の使い方がエロい。それに反応している自分をどういうふうに考えたらいいのか、なんてことを、クラウドは考えなかった。身体が自然に反応する、その反応の仕方こそが、たぶん正常な反応なのだ。乳首をいじられたら、たぶんそこは大きな性感帯なので、刺激がダイレクトに身体を駆け抜けて、ちょっと下半身がきゅっとなる。知らぬ間に肌が上気する。かすれる、あるいは声が混じるため息のような、そういう喘ぎ。思わず身をよじること。そういう反応を返している自分を、まともに考えはじめたら羞恥心によって殺されてしまう。だから、そういうおれってちょっとかわいいんだろうな、くらいに思っておく。快楽の前には、実際にそんなことは、どうだっていいことなのだ。理性を持ちだしたらおそろしく恥ずかしいことを、お互いに合意の上でしているわけだから。別に、セフィロス以外の誰に知られるわけじゃない……セフィロスはいいのか。特別なのか。…………うん、きっとそうだ。
 口に含まれて、彼はふるえた。直球の快感。そこから脳髄を直撃。与えられる快楽はこれ以上ないほど明確な感覚なのに、頭はすこしぼんやりする。思考を、ほんとうに失いつつある。いま世界にあるのは、世界を支配しているのは、感じる気持ちよさだけ。そして相手の身体、体温。快楽とともに、身体の奥から、なにかがほぐれてきている。なにか、固く閉じていたもの。かたくなだったもの。しこりになっていたもの。熱で潤んだ目の奥からも、なにか溶け出すような気がした。全身が熱を帯びて、そしてゆるんでいる。これまでにないくらいに。たぶん、気持ちの、感情のほうも、同じように。
 登りつめて、切羽詰まった感覚が、一瞬で爆発的な解放を迎える。その落差。突き落とされて落ちてゆく心地よさ。かすかな浮遊感。現実がここにあるのかないのか、重力はあるのか、一瞬不確かになる。我を忘れる、理性を置いてけぼりにする、快楽の正体は、それだ。自分を肉体優位にすること。肉体の感覚スイッチを全開にすること。感じる心地よさの中で、相手になにかを開くこと。明け渡すこと。クラウドはもうすっかりその気だった。たぶん、身体のほうでもそれを期待していた。おそらくは、精神だって感情だって期待していた。相手に……セフィロスに、身体を開くこと。心ごと、開くこと。そのふたつがともなっていなければ、こんなことは無理だ。ただの快楽だけでは。
 指先の侵入を、だから思ったよりもすんなり受け入れることができた。触られ方で、動かされ方で、角度で、感じるものは繊細に変わる。これはぜんぜん知らなかったことだ。思いもよらなかったことだ。自分の身体なのに。そんなところを触られて気持ちがいいと思うというのは。ほとんどの男が、これを一生知らずに過ごすのか。それはそれで、もったいないことなのではないだろうか。もしかすると、人間には最初から、こういう事態に陥ることが想定されていたのではないか? 生殖に結びつかない快楽。もしもぜんぜんその必要がないことなら、快楽なんてなにも感じないはずだ。きっと不快感だけだろう。でも実際、これは気持ちがいいことだ。それなら、たぶんなにも問題じゃない。
 ある一点に触られると身体が跳ね上がる。そこだけはおそろしく強い快楽を全身に送りこんでくる。前と連動している。身体ってすごい、とぼんやり思う。ぜんぶつながっている。ぜんぶつながって、ひとつになっている。
 ふいに引き抜かれて、その感触に息を飲んだ。目を開けると、すこし先にセフィロスの顔があった。美形だ。どうあっても。何色、と云ったらいいのかわからない、印象的な緑の目がこちらを見ている……その中にある熱。それがクラウドのなにかを刺激する。求められているということを、ひどく意識する。彼は手を伸ばして、長い髪の毛に触れた。体温とは違う温度が、すこし冷たく感じられて、心地よかった。彼はそれを唇に押し当てて、握りしめた。
 セフィロスが笑った。とてもやわらかい顔で。包むように、頭をなでられる。クラウドは自分の心臓が、死にそうになっているのを感じる。顔はさっきからずっと上気しているけれど、輪をかけて赤くなるような気がする。ああ、このひとは、おれが好きなんだな。ほんとのほんとに、そう思っているんだ。興味とかおもしろいとか、そういうのを、もう超えてしまっている、このひとの感情は。だってその視線がそれを、あかししている。
 胸がおそろしく苦しくなって、目を閉じる。その事実を、そこから派生する自分の感情を、じっと噛みしめてみる。うん、やられてしまった。ノックダウンだ。やればわかるかもなんて、生意気なことを考えて申し訳ございませんでした。
 口で云うことではないから、態度に出す。セフィロスに腕を伸ばして、しがみつく。先ほどまで指が出入りしていたその場所へ、それよりもずっと熱いものが、あてがわれる。頭はちょっと困惑し、身体は期待でふるえる。この乖離。頭なんて捨ててしまうことだ。身体に任せることだ。クラウドはそう云い聞かせる。ふいにキスされる。どうもおそろしく大事に扱われているみたいだ。こちらがはじめてだから。緊張を解くために、意識して身体の力を抜いてみる。唇が離れた瞬間に、深く息を吐く。
 タイミングを見計らっていたみたいに、身体の中に、入ってくる。痛い、最初に感じたのは違和感だ。でも、それはすぐに気にならなくなった。身体の中に、他人のものがおさまっている。感覚的には変だ。でも、嫌じゃない。熱い。そこにある形を、大きさを、すごくリアルに感じる。つながっている場所をすごくリアルに。なだめるように身体をさすられた。大丈夫かどうかなんて聞かれるより、よほどましだった。そんなことを訊ねられたら、きっと殴ってしまっていただろう。これは望んでしたことなのだから。
 身体の中で、セフィロスが、ゆっくり動いている。はじめのうちだけすこし違和感があったけれど、でもとても気持ちよかった。入り口のところとか。中で当たるところとか。これまでよりずっと鮮明で、強いけれども、でも、波みたいに穏やかな快楽。つながっているなあと思う。それにつられて気持ちもつながったりするんだろうか。たぶんそうだろう。だって、このひとのことをとんでもなく好きになりはじめている。
 緩く刺激を与えられて、それがふいに強くなって、そういうからかうような、じゃれあうようなことを繰り返し、そうして、いつの間にかもう後戻りできないような快楽の中にいるのを意識する。どっぷり浸かってしまっている。快楽のまっただ中。セフィロスの動きが容赦ないふうになってきた。まずい、やばい、これはすごい。細かくずっと声が漏れるのを、止められない。全身がずっと気持ちいい。無意識に、自分の中が収縮している。誘いこむみたいに。あるいは、吐き出したいのか。どちらかはわからないけれど、セフィロスの動きに繊細に連動している。ついていっている。身体は。そしてそれがおそろしく気持ちいい。頭のてっぺんから足の先まで、しびれるみたいだ。思わず目の前の身体にしがみついた。がっしりしていて、ぜんぜん揺るがなかった。それにとてつもなく安堵した。もういいや。ふいにそう思った。もうなんでもこい。どうにでもなれ。このひとなら、別にいいや。
 与えられる快楽で、身体中むちゃくちゃにされる感じだ。その荒々しさに、身体はほんとうに野獣そのものみたいに興奮して、そしてさらに先を求める。頂点に昇りつめようとする。わけがわからない。快楽が、猛烈な勢いで、出口を求めてかけずり回っている。あとすこし。でもまだすこし先。そこへ達しそうになるのを何度か裏切られる。たぶん遊ばれているかもしれない。それとも、やっぱりセフィロスも快楽を長引かせたいのか。終わりたいけれども、終わりたくない。その狂おしい感じ。
 そうしてふいに、しびれるような最後の一撃がくる。全身に。頭の中が白くなる。なにかが爆発したみたいに。全身がふるえる。身体の中が、吐き出す反動で収縮する。そこにいるセフィロスにも促しているみたいだ。ちょっとかわいいなあ、おれの身体けなげ。ぼんやりした発想は、身体の中で起こる変化に中断される。そこに出されている。ちょっと脈打つ感じ。ものすごく気持ちいい。
 ……すごいことを知ってしまった。これはたぶん、くせになる。

 クラウドは異様に眠かった。疲れているとかいうときの眠さではなくて、心地よく、なにかが解放されたときの、これまでたまっていたものが出てきてすっきりしたときの、あのどうしようもないだるさ。身体ではなくて、精神が眠りたがっている。心が休憩を欲している。そういう眠さ。クラウドはセフィロスの腕の中にもぐりこんで、目を閉じた。いろいろなものの考察は、潔くぜんぶ明日にまかせることにした。いまはただ、その腕の中にいるのが心地よかったから。誰かと寄り添って眠るなんて、いつ以来だろう。母さんと一緒に寝たのがたぶん最後。ほんとうに、子どものころ。もう子どもじゃないとか云って強がって、ひとりで寝るようになって、それから結局寂しくなって、誰かと寝る生活に戻るんじゃないだろうか、人間は。クラウドは満足していた。とても満ち足りていた。セフィロス。その体温。髪の毛の感触。優しい手。優しさ。