少年はベッドに突っ伏したまま

 少年はベッドに突っ伏したまま動かなかった。半分寝ているらしかった。行為のあとの平和なまどろみ、かすかな疲労と開放感がもたらすその幸福をセフィロスは知っていた。だから起こすに忍びなかった。
 少年は下半身をシーツで覆っていたが、上半身はむき出しのままだった。肩甲骨がいまは皮膚と肉の下につつましく沈んでいる。その骨のなだらかな丸みが舌に与える感触をセフィロスは好んだ。やや深い盆の窪も気に入っていた。そのわずかに上に生えている産毛とも髪の毛ともとれぬ毛は、ぱやぱやしてひな鳥を思わせた。背中にぽつんとひとつだけあるごく小さなほくろ、右肩甲骨の斜め下、背骨寄りのところにひっそり生息している褐色の点を見つけたのは、当然だが、昼間のことである。まともな人間なら外に出てはしゃぎまわりたくなるような晴天の日曜日に、同性愛者ときたら! 行き場があるはずもない。週末には、ありとあらゆる場所に、のどかな、飄逸な光景が広がる。親子連れや若い恋人たちがつくり上げる、社会原則や規範や道徳観念にかなった光景。少年はこのところずっと、そういう戸外の光景に背を向けて、なにが楽しいのかうんと年上の、決して面白くもない男のそばに張りついている。自然、ふたりはそういうことになりもする。ほくろを見つけたのは、まぎれもなくそんな日曜日の午後だった。正確には、ほんの数週間前のことだ。服を脱がせた先に見つけた小さなほくろ。それがどんな幼児向けのおもちゃよりも彼を微笑ましい気持ちにさせた。彼はそこへ口づけ、指の先で丁寧になぞった。少年は、自分のそんなところにほくろのあることを、まったく知らなかった。そのことにも、セフィロスは不思議な喜びを得た。少年の身体というものを、最初に見知ったということ。この世の誰よりも早く、母親でさえも知らぬような箇所まで、こと細かに。そういうことを考えるとき、彼の中には背徳と愉悦とが、ほとんど同時に生まれてくる。年端もゆかぬ、とまでは云わなくてもいいだろうが、少なくとも未成年に手出しをしたことに対する道徳的な揺らぎと、このひとりの美しい少年を、自分の一部のように感ずることの喜びと。
 実際、少年は美しい。彼のまったくの猫っ毛の金髪、普段はその柔らかさと対蹠を成すような、硬質なガラスのような目(けれどもその目はまたガラスのように、高熱にとろけるような潤みかたをする)、柔らかい白いまぶた、その先に密生する和毛のようなまつ毛、丘陵を思わせる鼻梁と、その先にちょこなんとしている、なんとも云えない愛らしい鼻先、甘えたようにやや突き出し気味に結ばれている肉感的な唇、どこか理知的な感じのするおとがい、ゆるやかな丸みを帯びた耳の形も微笑ましい。すらりとした首、懸命に生成中の喉仏、夢見がちな曲線を描く肩と鋭利な鎖骨。いま少年の左鎖骨の上には赤い痣のようなものがついている。少年がうつ伏せているので見えはしないが、あることは知っている。いちじるしい媾合のあとである。キスマークってどんな、と少年が云うのでセフィロスは試みにその場所を吸い上げたのだった。吸い上げようとする力に歯向かうことなく、寄り添って来るかのように唇にやわらかな弾力を生じさせた皮膚に、彼は心地よいものを感じた。なんでもやってみなければわからないものだ。少年はきつく吸われるその感触が好きでないと云い、ヒルに吸われるようだと云った。ヒルはこれ以上は己の身体が破裂するというところまで、あくまで貪欲に血を吸う。少年の血を吸い取ってみたいような気もした。血か、あるいはもっとほかのなにか。けれどもたぶん、その若い身体から抽出されたなにかは、セフィロスには合わず、結局戻してしまうだろう。あるいは……あるいは、それは自分によくなじむだろうか。水のように染みこんでゆくだろうか。その思いつきはセフィロスを眩惑する。目眩を感じる。彼は目を閉じてそれをやり過ごし、自分とは反対に顔を向けて眠りかけている少年の、肩のあたりへ鼻先と唇を持ってゆく。そっとキスする。先程までふたりして汗まみれになったのに、風呂上りでもあるかのような、どこか爽やかさを感じさせる香りが広がる。たぶん、若さ特有の香りが。果実からほとばしるしぶきのようなみずみずしさと、若さ特有の驕慢さが奇妙に混じり合っている。自分にも、こんな時期があったのだろうか? 否、そういうものを発散させるべき時期を、自分は永遠に失ってしまった。たとえ五十で初恋という現象があったとしても、その初恋はもはや初恋ということばが定義するような初恋ではない。初恋は、自我の成長に寄り添うようなある一点で、美しい蕾が開くように開かれるものだ。あらゆる事物には、肉体と精神の関係にしたがって、適切な時期がある。それを逃してしまったら、もうそれと同一のものは訪れないのだ。若さということに関して、セフィロスは適切な時期を明らかに逃してしまった。けれども、別段悔いてはいない。思春期などとうに過ぎてしまったこの歳になって、それに替わるようなものがあらわれたから。目の前に横たわる少年の日々の葛藤を、成長を、自分もまた肌身に感じること。役者のように、物語を創る作家のように、まったく別の人生を、たとえ想像の上ででも、体感すること。美しい少年の青春は、おそらくまったく美しくなく、汚泥や腐敗の瘴気にまみれ、その精神をこれでもかとばかりに疲弊させるものであるだろうけれど。それは奇しくも彼自身のたどった道と似てもいて、セフィロスはそこに、云いようのない因縁のようなものを感じる。
 少年がかすかにうめいた。重たいまぶたを無理矢理に開き、怠そうに首を少し動かしてセフィロスの鼻先を払いのける。歪められた唇から発せられたことばは「スケベ」だった。セフィロスは笑ってしまった。
「まだ触り足りないの?」
 首を反対側に捻ってこちらを見るクラウドの目は、いたずらっぽく笑っていた。
「性欲に直結しない愛撫というのもある」
 クラウドは鼻を鳴らした。
「でも、触ってるとやりたくなってくるもんじゃない?」
「そういう説もある」
 クラウドはセフィロスの胸の中に潜りこんできた。背中を丸めて、本格的に寝る体勢に入っている。
「クラウド」
 彼は呼んだ。
「風呂に入れ」
 クラウド少年は、生意気に鼻を鳴らしただけだった。ほとんど眠っている彼を抱いたまま浴槽に沈みながら、セフィロスは表面上いささか不満気な、けれども結局は満ち足りた気持ちで、クラウドの背中の小さなほくろを撫でていた。対面に抱えているので見えはしないのだが、その場所は指先が覚えていた。いま彼に見えるのは、左鎖骨上の小さな赤い痣だ。やや上気したクラウドの白い肌の上で、それはたまらなく愛らしく見えた。