彼に関する噂は全部散々な

 彼に関する噂は全部散々なものばかりだ。変な憶測が、まるで真実みたいにまかり通ったりする。女たちは、使っている日用品、くせ、好きなもの、それから、つきあっている女、なんてものを知りたがるみたいだ。軍の連中は、彼の経歴やら女性遍歴やらに、興味を持つらしい。英雄セフィロス。ばかばかしい話だ。そんなのは、どこにもいない。
 クラウドは友だちがいない。入寮初日に同期のやつをぶん殴ってしまったせいで、要注意人物の烙印を押されたついでに、殴った相手が悪かった。どこの集団にもよくいる、ボス的タイプだ。ひとを従わせて、そうしないやつには意地悪をする。でもこういうやつは、ほんとうはとても弱いのだ。ひとりでいることに耐えられないから。そんなやつにへこへこしているより、殴りとばしておいてよかったとクラウドは思っている。おかげで総スカンをくらっているけれど、でも、別に気にしない。よかったな、と思ってさえいる。こんなことになってしまったいまでは。こんなこと、というのは、セフィロスとおかしなことになってしまったということだけれど。
 セフィロスとこんなことになったのはたぶん偶然だ。ほんとうにただの偶然。クラウド・ストライフではなくて、別の誰かだったという可能性もあったのだ。もっと美人。もっと頭がいい。もっと優しい。そういう誰か。でもそんな比較は、なんの意味もないことだ。人間は、自分が置かれた状況を受け入れなくてはならない。セフィロスが、クラウド・ストライフがよくて、気に入っているのなら、ほかの誰かのことなんて考えるだけばかだし、考えたってひとは自分以外にはなれない。クラウドは自分が気に入っている。性格が悪くて、片づけができなくて、すごくだめな子なのはわかっているし、まだまだ欠点を探せば腐るほどあるけれど、でも、自分が自分でいることが好きだ。自分が好きだから、自分を丸ごと好きでいてくれる、そんなひとが好きだ。もしもそんなひとがいたら、自分以上に大切にしてしまう。そしてセフィロスは、そんなひとなのだ。なんの因果かクラウド・ストライフが好きで、つきあうことができて、セックスができる。
 クラウドはそれをぜんぜん、特別だなんて思わなかった。セフィロスだって、恋人を作る権利がある。それが自分だったということについては、確かにうれしいことではあるけれど、でもそれはたとえば相手がもっともっと平凡な、学生とか平社員とか、そんなひとだって同じことだ。うれしいのは誰かに好きだと思ってもらえること。自分が存在することに、肯定的でいてくれるひとが、同じ時代、同じ時間に、存在すること。これはすごいことだ。クラウドはだから、そういう意味での特別な意識はあるけれど、でもセフィロスがあのセフィロスだからって、特別だと思っているわけじゃない。だいたい、そんなことでひとを判断するのは失礼なことだ。セフィロスはセフィロス。クラウドが煮ても焼いても隅から隅までクラウドであるのと、同じことだ。
 だから、最近寮の居心地がますます悪い。まず、同室のやつに、どうしようもないセフィロスオタクがいて、そしてまたセフィロスオタクなんてのは軍の中にいっぱいいて、セフィロスを、神かキリストみたいに崇めている。やつらは、セフィロスについて、本人よりも詳しく知っている。何年の何月に、どこでどういう戦いをして、どれくらい敵を倒して(それはつまりセフィロスのひと殺しの数だ。そういうのを無神経に話題にできるやつの神経にうんざりする)、そのときのとった戦法はこうで、いっしょに戦ったのは誰と誰で、以下エンドレス。これはでも、まだまじめに軍人としてのセフィロスを、つまり職業人としてのセフィロスを崇めているほう。ひどいのになると、完全にゴシップ専門になる。これがまた本人以上に詳しくて、使っているシャンプーだとか、服のブランドだとか、女の数だとか、そんなことを延々見てきたようにしゃべっている。クラウドが初日にぶん殴ったやつは、セフィロスファンでどちらかというとこのタイプ。何年だか前に、生セフィロスを拝んだことがあるのを誇りに思っていて、なにかっちゃあ食堂あたりで自慢する。「セフィロスはな、身長なんかこんなにあって、顔は写真のあのとおりで、なんかすげえオーラだった……」
 こういう連中に関しては、クラウドはものすごく云い返したくてたまらない。セフィロスのシャンプーなんて、いまおれがネットで買ったやつそのまま使ってる。服だって、あのひとはどうだってよくて、このあいだたまりかねて買いそろえたんだ。女の件に関してはよく知らないけれど、少なくとも二桁いくほど器用にいろんなひととつきあえるとは思えない……ほんとうのほんとうに好きだと思えたのは、おまえで二人目なような気がする、とセフィロスはこのあいだすごいことを云っていた。クラウドは不意打ちすぎてどうしていいかわからないくらい照れたので、ふざけるなと云ってぶったたいた。そこはおれがはじめてって云わなきゃだめなとこだろ、デリカシーのないやつ……。
 セフィロスはたぶん、基本的には恋愛を繰り返し楽しむような性格じゃない。秩序を愛していて、同じ時間に起きて、同じ時間に寝るのが好きだ。セックスはたぶん好きだけれど、性癖はよく云われるようなSじゃないし、たしかに情熱的ではあるけれど、普通だ。普通。結局それを叫びたいのだ。セフィロスは、別に特別なんかじゃない。普通だ。特別になんて、扱ってもらいたいと思っていないし、そんな環境には耐えられない。でも、みんなまったく逆のことを思っている。特別なセフィロス。クラウドはそれを痛いくらい感じる。寮の部屋の中で、廊下で、食堂で、軍の中にいてはどこでだって。もっと階級が上のひとたちが、実際のところセフィロスをどう思っているのかは知らない。でもクラウドが所属するような底辺の底辺では、セフィロスはとにかく崇拝の対象だ。誰も彼も、セフィロスが好きだ。否、中には嫉妬しているようなやつ、もっと複雑な感情を抱いているやつもいるだろう。でも基本的には、セフィロスは熱烈に愛されていて、切望されている。あるひとつの、象徴として。彼は、究極の目的だ。軍隊に入ってくるやつらの。浮かれたような熱に包まれて、いつももやもやしていて、そのくせひどく、はっきりしている。そういう存在だ。みんなにとってのセフィロスは。だからクラウドは毎日毎日、そんなやつらの中で呼吸するだけで、ひりひりする。友だちがいないから、どうせいつだって浮き気味だったけれど、いまではもっともっと、とてつもなく大きな壁を感じている。自分と、ほかのやつらとのあいだに。だから、寮の居心地は、最低だ。

 アクアリウムの中で、美しい魚が尾をきらめかせて、ゆったり泳いでいる。クラウドはそれを見ている時間が好きだ。無心になれる。きれいなものは好きだ。そういうのは、世界がいいものだってことを、信じさせてくれる。セフィロスも、アクアリウムが好きだ。ふたりはよく黙って水槽を眺める。アクアリウムの前にはソファがあって、そこにふたりして座って、ぼんやりする。なにもしないということをする時間。絶えずなにかしていなければならないなんて思うのは苦痛だ。いっしょにいるけれど、なにもしない。なにも語らない。そういう時間には、相手の存在そのものが、不思議なことにうんと濃厚になる。触ってもいないのに、その身体がここにあることを感じる。「ある」というのは不思議なことだ。肉体があって、ふれることができて、でも存在というのは、目で見てさわれるものだけじゃない。その身体のまわりに、確かになにか、そのひとが存在する雰囲気というのがある。クラウドはセフィロスのそれが好きだ。割でやわらかくて、穏やかだ。これまた、巷にあふれる噂なんかとはぜんぜん違う。噂では、セフィロスというひとは、なんだかわからないけれどオーラのすごいひとということになっていて、近寄りがたいひと、ということになっている。ぶん殴ってやったばかも云っていた。でも、ぜんぜん、そんなことはない。
 優越感がないなんて云ったら、きっとうそになる。ほかのやつらが知らないセフィロスを知っていること。彼がこちらを好きなこと。大事にしてくれること。セフィロスといることの、その面を考えると、とても誇らしい気持ちになる。でも、それは同時に苦しいことだ。誰も知らないセフィロスと、誰もが知っていると思いこんでいるセフィロスとのギャップの、そのあいだに立つことは。ほんとうのセフィロスは、とんでもなく優しくて、とてつもなく感じすぎて、ひと殺しなんてしたら本来は、一発で神経が参ってしまいそうなひとだ。でも彼は、自分をうんと抑圧することができる。自分に、見ないふりができる。たいがいのことには耐えられる。それはほんとうは、いけないことだ。けれどもそうやって、生きてきたひとだ。
 だから、セフィロスは、軍の仕事を好きでやってきたわけじゃない。ひとを平気で殺し回れるほど、無神経なひとじゃない。誰よりもそれを深く深く、脳味噌に刻みこんで、考えて、自分の人生なんてぜんぜん生きてこなかった。でもようやく、自分で、自分の足で、歩きはじめた。田舎にひっこんで、目立たず、地味に、好きなことをする。自分の人生。自分のための人生。ほかの大勢の人間が、当たり前のようにやっている、自分として生きるということ。それをようやくはじめたセフィロスに、彼の功績は、地位は、重く重くからまっている。誰かが英雄であるところのセフィロスを話題にするたびに、クラウドは神経を逆撫でされる。もうみんな、セフィロスの過去の業績なんか話題にするのをやめてくれ。彼にあこがれを抱くのもやめろ。もうこのひとを、ほっといてほしい。クラウドは、ある日きれいに整列した軍の真ん中で、いきなり叫びだして、銃を乱射する自分をよく想像する。みんな死ねばいい。みんないなくなればいい。そうしたら、セフィロスは心から、すっきりとセフィロスになれるはずだ。軍のない世界。神羅のない世界。戦争のない世界。みんなが力を求めない、そういう世界で。くやしい。自分がくやしい。下手をしたら、ほかの連中とおなじようにセフィロスのうわさをして、鼻水たらしてあこがれていたかもしれない自分。結局、それも偶然の産物だ。セフィロスが、うっかりクラウド・ストライフを好きになったりしたからだ。だから、こちら側に……セフィロスを知る側にいるのだ。もしもそうじゃなかったら。そうじゃない人生を考えたら、ぞっとする。でもそれは、ほんのわずかな差でしかない。だからクラウドは誰よりもセフィロス崇拝者を憎むけれど、誰よりもやつらの気持ちがわかる。身体を、引き裂かれそうな気がする。セフィロスと、英雄のあいだ。その、超えられない、埋まらない溝。自分にも腹が立つし、みんなにも腹が立つ。いつか、ものすごいことをやってのけそうな気がする。腹が立ちすぎて。セフィロスを好きになってしまったからには、それはもう避けられないことのような気がする。なんだって、あのひとはこうままならない人生を送らないとならないのだろう。ほんとうは、もう寮に帰りたくない。セフィロスのセの字も、見たくないし聞きたくない。軍の連中の口からは。
 ……鼻をつままれて我に返った。セフィロスが笑っている。
「考え事をしながらだんだんむくれていく顔というのも面白い。はじめて見た」
 また鼻をつままれた。別にどうということのない鼻だと思うのだけれど、セフィロスは好きらしい。個人的には、もうすこし鼻梁がすっと通って整っているのがよかったけれど。つまんでいる手がうっとうしいので、払いのける。
「勝手にひとの顔で面白がるなよ」
 セフィロスは小さく肩をすくめて、視線をアクアリウムに戻した。
「なにを考えていた」
 水泡が、水槽の中をゆらゆらと揺れながら上っていく。クラウドは別に、と云った。
「最近、おまえは基本的に機嫌が悪いな」
「そうでもないよ。デフォルトでキレキャラなんだ」
 見ぬかれていたのが、嬉しいのか恥ずかしいのか腹が立つのかわからない。ふてくされたように返すと、セフィロスは苦笑した。
「かっとなりやすいのは事実だが」
「そこがかわいいんだよ、おれは」
「自分で云うな」
 腕が伸びてきて引き倒され、セフィロスの膝の上に転がる形になる。唇を持ち上げたセフィロスが見下ろしている。
「なんだってそうご機嫌ななめなんだ。なにかあったのか」
 あんたのせいで悩んでるなんて、口が裂けても云えない。なぜならこれは、セフィロスには関係のないことだからだ。世に流通する英雄なんて幻想を、このひとの前にだけは、持ち出しちゃいけない。
「しつこいな。あんたのこと愛してるなあって思ってただけだよ」
「そういうことを考えながらしかめっ面になるのか、おまえは……まあ、悲しい顔をして愛について考えるとか、怒りながら恋愛を語るとかいうようなことも、なくはないか」
「そうだよ。なあ、恋愛って複雑だね。っていうか、人間って複雑だね」
 セフィロスは吹き出した。
「十五の身空で云うセリフか」
「ガキ扱いすんな」
 腹に蹴りを入れてやろうと思ったけれど、足首を掴まれた。
「別にしているつもりはない」
 セフィロスはそのまま脚を持ち上げて、足首にキスしてきた。なんとなく変な感覚だった。クラウドはぐひ、とおかしな声をたてて笑った。
「そうだね。あんた、やっちゃったから、一生おれのことガキ扱いできないよ」
「……事実なんだが、何度云われても妙にみじめな気分になるな」
 かすかに眉をしかめたセフィロスに、もうすこしいじめたい気持ちが湧いた。
「甘いね。性欲に負けたおっさん、ってもっとはっきり云わないだけありがたいと思いなよ」
「いま云った」
 もっと眉根が寄せられて、セフィロスが複雑な顔になる。そういう顔をさせた満足感と、同時に生ぬるい感情がやってくる。いつもそうだ。いつだって、こういう顔で困らせてみたいと思う。でも、そうしたあとで、そうする前の何倍も、このひとを好きだと思うから、始末が悪い。感じるのは、許容されているのだということ。わがまま、暴言、暴挙、すべての悪行。それが、いたずら、あるいは甘えというレベルで心地良く相手に響くこと。お上品ぶったしかめっ面を、返されるのではなくて。
 クラウドは上半身を起こして、セフィロスの首にしがみついた。しがみついて、いっしょにソファに倒れる。自分からキスする。腕だけじゃなく脚でもしがみついて、唇をあわせるだけじゃなく噛んだり舐めたりしていたら、セフィロスはほんとうにその気になったみたいだった。そろそろと服の中にやってきた手をつかんで、なでてみる。でかい手だ。そして温かい。この手が刀を握って、それでたくさんのひとをぶち殺してきたなんてことは、信じられないし、実際そんなことはどうでもいいことだ。セフィロスには関係ない。いま、ここにいるセフィロスには。

 ……肩の上に両脚が乗っかっている。おかげで、いつもよりも奥にいる気がする。首の後ろで両脚を交差させて、意識してぎゅっと締めるようにしたら、セフィロスはそれが気に入ったみたいだった。長い髪の毛が上から降ってきて、あちこちにまつわりついて、でもそれもなんだかちょっと気持ちがよかった。ゆっくり、深い刺激を繰り返しずっと。クラウドはそれにすごく弱い。一歩ずつゆっくり坂道を上がっていくみたいに、しだいに頂上が見えてくる感じ。このやり方で来られると決まって涙が出る。なにかが胸の奥からあふれるような気がする。セフィロスの左手がやってきて、流れていた涙を拭いた。ぜったい、このひとはおれがかわいいって思ってる。実際そうでも思ってもらわなきゃ、やってられない……そろそろいきたいな。目を開けて、自分の脚の先の、セフィロスを見る。目があって、笑われた。唇をちょっと持ち上げて、目を細める。これに弱い。心臓をぶち抜かれる感じがする。キューピッドが、心臓を矢で貫くのはうそじゃない。あれはすごく的確な比喩だ。
 要求を口にする。ついでに、ぎゅってしたいけど脚が邪魔、と云ったら、肩から外された。脚を動かすと、中でぬるつく感覚がリアルだ。ちゃんと後ろから、入っているんだということがわかる。邪魔だった両脚がセフィロスの身体の横に移動して、でかくてちょっと汗ばんだ身体をぎゅっとできたから満足した。セフィロスの匂いがする。好きだなあ、と思う。自分より、好きかもしれない。だから、このひとのことで、本気でぴりぴりしてしまうのだ。別に、こういう子どもにやらしいことをするような、ほんとうのセフィロスなんて、誰かに知られなくてもかまわないことなのに。それにほんとうのそのひと自身なんてものは、たぶん限られたひとだけが知ることを許されるものなのに。それを知っていることは、一種の優越感をともなうことだけれど、それでも、それが痛い。世間一般に流通しているセフィロスと、違いがありすぎて、とてもとても痛くなる。せめて、みんなセフィロスに無関心になってくれればいいのに。もう、過去のひととして。
 やっぱり今日はなんだか涙が出る。頬に唇が触れて、吸い取られた。それでクラウドは、セフィロスにますますぎゅっとしがみついた。ぜったいになにかあることがばればれだと思うけれど、でも、云わない。こういうのは、本人に云うべきことじゃない。

 同室のセフィロスオタクは重症末期だ。おまけに、二段ベッドの自分の下に寝ているとくる。彼のベッド横の壁は、セフィロスコレクションスペースで、写真がいくつも貼られているのだ。どれもこれも神羅発行の雑誌の切り抜きだけれど、そいつはセフィロスのセの字があれば必ずその雑誌を買ってきて、貪るように読む。初日から、こいつはちょっといかれていると思っていたけれど、実際とんといかれている。早口で、なにをしゃべっているのかよくわからないし、変な笑い方をするし、とにかく、セフィロスのことをなんでもかんでも知っているみたいに話す。最悪なのは、セフィロスオタク友だちがいて、そいつがしょっちゅう部屋に来て、ふたりでごそごそしゃべっていること。実物を知っているクラウド・ストライフとしては、まったく聞いちゃおれない。同室のそいつはしょっちゅうニキビができるらしい左頬がぶつぶつで、おでこにもぶつぶつできるものだから自前の栗毛で必死に隠そうとするのだけれど、それがさらに皮膚環境を悪化させてニキビにつながるという悪循環の真っ最中。見た目は、申し訳ないけれどあんまりよくない。あいつはゲイで、セフィロスに惚れてるんだなんてうわさを聞いたときには、クラウドは正直気持ちが悪かった(自分は盛大に棚に上げて。でも少なくとも、こっちには顔はいいという利点がある)。そいつが今日もオタク仲間を呼んでお話し合いをはじめたものだから、クラウドはいたたまれなくなって部屋を出た。屋上にでも出ようかな、でも出たらたぶんいっこ上のやつらがいばりくさってたむろしているんだ、などと考えるだけでも憂鬱になる。どこにも居場所がない。同室のセフィロスオタクはセフィロスが大好き。その友だちもまたしかり。クラウドを目の敵にしている、初日にぶん殴ってやったやつもセフィロスに憧れていて、自分の実力なんてものは顧みずに、とっととソルジャーになりたがっている。まったくばかばっかりだ。なんだか、誰も彼も、セフィロスのことを話題にしているような気になる。本物なんか、ぜんぜん知らないくせに。あれはただのおっさんで、おまえらが思ってるような力強い、男の中の男みたいなやつじゃないんだ。望んでソルジャーなんかやってるわけじゃないんだ。ほんとは土いじりのほうが好きなんだ。牛といるほうが絵になるんだ。なんにも知らないくせに、セフィロスの虚像なんて崇拝するな。おまえらみたいなのがいるから、セフィロスはどこにいたって居心地が悪いんだ。でもわかるよ、おまえらの気持ちもわかるよ。おれだって、あのひとに間違ったイメージを抱いてた。それを、真実だと思ってた。憧れた。あんなふうに、なりたかった。でも、わかってほしい。それは、自分の理想を投影しているだけだってこと。理想、あるいは夢想。妄想。思春期のばかばかしい夢。それを全開にしてぶつけられる対象が、どうしてセフィロスじゃなきゃいけない? どうして、ほかのソルジャーじゃだめなんだろう。ザックスなんか、そんなことされたって毛ほども気にしないのに。思春期の少年少女には夢が必要よ、とか云って、鼻で笑うのに。
 ひとりでまた腹を立てながら歩いていたら、ひととぶつかった。よりによって、初日に殴りつけたやつだ。これは面倒だぞ、と思ったら、案の定因縁をつけられた。こいつは、クラウド・ストライフを徹底的に嫌っている。まず、小柄だと思ってバカにしていたら殴られてノックアウトされ、プライドをずたずたにされたし、のちのちただでさえいけ好かないのにソルジャーのザックスと知りあいだってことがわかって、そこでまた減点だ。媚びを売らない、おもねらない一匹狼のクラウドくんの、なにもかもが気に入らない。だから、なにかっちゃあちくちく云ってくるし、集団をまきこんでクラウドくんを無視する。でもそんなのはぜんぜんこたえない。いざとなったらいつだって殴り飛ばせる。でも、ひとの顔を侮辱するな。女みたいな顔しやがってなんてセリフは聞きあきたけれど、でも母さんが、誇りを持てって云った顔なんだぞ、この顔は。セフィロスだって、この顔が気に入っている。
 ……クラウドはふいに思い出した。この阿呆が、いつだか食堂で大声で、セフィロスってどんなのがタイプなのかなとか、下世話な話題を飛ばしていたのを。
 おれだよ、よく見とけ、この顔だよばかやろう。それ以上なにか考える前に、クラウドは相手の鼻っつらをぶん殴っていた。

「閣下あ~もう~謹慎なんてシャレならんよ君ぃ。おまえのことだから、なんか云われたんだろうけどさあ。ま、しょんぼり会しようや。飯食お。今日ひま?」
 ザックスは、ほんとうにいいやつだ。ソルジャー1stなんて特別待遇なんだから、いちいち末端兵士の情報にまで気を配っておくことなんかないのに、こちらにちょっとなにかあると、ザックスは必ず電話を入れてくる。問題児なのは自覚がある。でも、気をつけていい子になんてできない。
「ひまじゃない。おれ旅に出るから」
「旅い?」
「うん。ちょっと傷心旅行。おれザックスんちにいることにしといて」
「それひとにもの頼む態度? どこ行くわけ?」
「都会の喧騒から逃れて大自然の中で自分探しの……」
「ああーはいはいはいはい。好きにしてちょ。おれは、その昔謹慎を利用して彼女を作ったね。ま、おまえもそれくらいのことしろよ。じゃなきゃ、やってらんねえしな。とりあえず謹慎明けの門限は死守しろよ。おれ、遅れそうになってまじ心臓止まるかと思ったことあるから」
 イエッサー、と陽気に云って、電話を切った。ほかのやつらはみんな、訓練に行っている。すごく静かだ。いつもの騒がしさがうそみたいだ。世界ごと死に絶えたみたいにひっそりしていて、この建物が、こんなに静かになれるなんて知らなかった。いつもこれくらい静かなら、ここのことだってうんと好きになれるのに。
 クラウドはひとつため息をついて、荷物をまとめて寮を出た。セフィロスに、さっき電話をしてある。奇跡的なことに、彼はミッドガルの部屋にいて、謹慎くらったから泊めて、と云ったら、因果関係がめちゃくちゃだ、と云いながらも断らなかった。クラウドはまっすぐに彼の部屋に行った。ややこしい儀式をクリアして、玄関のドアを開けると、セフィロスが立っていて、目を細めて笑っていた。
「どうも、近日中におまえがなにかやらかしそうな予感がした。帰らないで正解だった。いらいらして、爆発しそうだったからな」
 クラウドはふいに、泣きそうになった。セフィロス。彼はちゃんと見ている。でも来たとたんにめそめそやるなんてできないから、唇をぎゅっと噛んで、体当たりを食らわせた。セフィロスはぜんぜんよろけなくて、逆にこちらの身体をしっかり受けとめて、また微笑した。
「なにをやらかした」
 前髪をつかむようにかきあげられて、頭をなでられる。母さんみたいだった。母さんも、よくこうしてくれた……誰かとケンカをして、帰ってきたときには。あんた、どうしたのよ。相手、そんなにむかついたの? またいつもの子でしょ。なに云われたのよ。まあ、あんなブサイク、殴られたって自業自得だけどね。ますます気色悪い顔になればいいのよ……母さんは、いつだって味方だった。だからクラウドは、自分が、ちゃんと信頼されているってことを、そして愛されているってことを、いつも感じられた。母親に愛されるのは当たり前みたいに思われているけれど、ぜんぜん当たり前じゃない。すごいことだ。自分の子どもだってだけで、隅から隅まで愛してくれることは。同じように、恋人だってだけで隅から隅まで理解して、受け入れてくれるのも、かなりすごいことだ。
 クラウドはセフィロスに抱きついた。このひとのためだったら、拷問にかけられても、串刺しにされてもかまわない。毎日毎日いらいらして、ぴりぴりするけれど、でもそれだけの価値があることだ。このひとを好きで、このひとに好かれているってことは。どうしたって、守らなくちゃいけない。こんなにこちらを想ってくれる、生身のこのひとを。そのためなら、なんだって相手にしてやるし、何度だって、誰かを殴ってやる。評判を落としたって、クビになったって、かまうものか。
「白状する気はないのか」
「ないね。おれの個人的な気分の問題だから」
 ゆっくりと頭をなでる手の感触が気持ちいいから、目を細める。セフィロスはそうかと云って、しがみつくこちらを抱えて部屋の中へ移動した。キッチンを見て、クラウドは腹が減っていることに気がついた。セフィロスから離れて、冷蔵庫へ一直線。山羊さんミルクをコップに移して、一気飲みする。未亡人手作りのオレンジゼリーが入っていたから、大きな塊のまま取り出して、セフィロスが座っているソファに飛びこむ。
「食う?」
 セフィロスは首をふった。
「謹慎は何日間だ」
「んーと、四日。週明けから出勤」
「四日か。じゃあまだ大したことはない。もっとも、入隊一年で謹慎処分をくらうだけでも大したものだという意見もなくはないが」
「おれもそう思うよ。両方とも同意。おれ、もっといい子になったほうがいい?」
 スプーンを口に入れたまま、セフィロスを見上げる。彼は唇を意地悪いかたちに持ち上げた。
「いい子のおまえなんて想像もつかないし、想像したら寒気がしそうだ」
 クラウドは笑った。そのうち、セフィロスの前でうんといい子のクラウドを演じなくちゃならない。寒気がするセフィロスなんて、ちょっと見てみたいからだ。
「でもさ、四日もぶっ続けで休むなんて、なかなかないよ。おれ謹慎明けに出社拒否起こしそう」
 セフィロスは小さく首を傾けた。
「おれはその常習犯だから、アドバイスはできないな。やるなとも云えない」
 クラウドは大笑いした。セフィロスの出社拒否に比べたら、自分のそれなんて、ちっぽけなものだ。別に、クラウド・ストライフひとりがいなくなったからって、軍にはなんの支障もない。毎年腐るほど入ってきて、腐るほどいなくなるやつらのうちの、ひとりだ。組織としては。でも母さんにとっては、そしてセフィロスにとっては、クラウドはクラウドでなくちゃならないし、どうしたっていなくちゃあ困る。セフィロスは会社にとってもいなくちゃ困るけれど、でもそれは押しつけられる立場だし、クラウドにとってのいなくちゃ困るセフィロスのほうが、よっぽど大事だ。何億倍も大事だ。ふいに、セフィロスはそれ、わかってるのかな、と思う。こんなにあなたを想っていますよなんて云うのはばかげているけれど、でもセフィロスがセフィロスでいることを、こんなに望んでいるひとがいるってことは、示さなくちゃならないかもしれない。釘を、刺しておかないとならないのだ。セフィロスが、またかぶりたくもない英雄の仮面なんかかぶらないように。クラウドは、そのストッパー役をする。これは、かなり重要な役目だ。
「おれ、もう寮に帰りたくない」
 クラウドは、意識してはっきりつぶやいた。セフィロスはゆっくり首を動かして、こちらを見つめた。
「どいつもこいつもセフィロスセフィロスうるさいんだよ。おれ毎日毎日他人の口からあんたの名前なんか聞きたくないし、神さまみたく祭り上げられたあんたなんて笑いすぎて腹筋死ぬし。クラウドくんによくない環境だね、あれは」
 わざとセフィロスを見ない。せっせとゼリーを切りくずして、口に運ぶ。
「だって、実物のあんたなんか、ただのおっさんだもん。ギャップありすぎ。毎日笑いすぎておれそのうち死ぬよ。笑い死になんてやだし、集団生活は苦痛だしね。謹慎明けも、普通にここに戻ってくるかも。あんたは別に、好きにしていいけど」
 少しの間のあと、頭に手が置かれた。さっきみたいに、ゆっくり大きく、なでられる。クラウドはようやくセフィロスを見た。小さく笑っていた。
「そうか」
 セフィロスもはっきりした口調で云った。
「帰りたくないか」
「うん。ぜんぜん帰りたくない」
 クラウドはゼリーの皿を床に置いた。
「いい?」
 セフィロスをまっすぐに見る。
「寮の規則は知らないが……」
「そんなのいいんだよ。おれが法律なんだ」
 セフィロスが吹き出した。
「おまえ、普段からそう思ってるだろう」
「思ってる。この世で一番自分がかわいいし」
「幸せなやつだ」
 セフィロスは唇に、ちょこんとキスしてきた。
「普通のことだよ。自分は大事にしなきゃ。あんたには声を大にして云いたいね。むかついたら相手ぶん殴るくらい、したほうがいいよ、たまには」
「……ということは、おまえはこのたび誰かを殴ったわけだな」
「あは。ばれた。まあね。おかげですっきりした。おれもう帰んない。決めた。週明けから徐々にお引越しする。クラウドくんは、もっと広い部屋でのびのび育たなきゃ」
 床の上のゼリーを取り上げて、また食べはじめる。セフィロスを見ると、ソファの背もたれに肘を置いて頬杖をつき、にやにや笑っている。クラウドはそのにやにやに向かって、盛大に顔をしかめてみせた。