窓を閉めてくれ

「窓を閉めてくれ」
 とセフィロスが云うので素直に閉めた。真冬に窓を全開にするのはよくなかっただろうか、でもこの男は寒かろうが暑かろうがそんなに問題はないはずだ。分厚くて重たいガラス窓を閉めると、夜景に一段透明のフィルターがかかったように見える。遠くでネオンがきらめいている。それを見るとなぜときどき、ほんとうにたまに泣きたくなるのかはしらない。考えたこともない。たぶん気分のせいだ。
 窓辺を離れてソファに戻ると、どこかぼんやりした顔のセフィロスがじっと窓を見ている。彼がそういう無防備な顔をしているときは、なんとはなしに甘えたくなるのだ。擦り寄ってもいいような気がするのだ。普段は、蹴り飛ばそうとしたり、どうやってひと泡吹かせるか考えてばかりいるので。
 大柄な身体のとなりに腰を下ろし、腕を伸ばしてへばりついた。青みがかった翡翠の目が向けられた。やはりどこかぼんやりとしている。
「だっこ」
 片腕の力だけで胸元まで引き寄せられた。セフィロスが微笑んでいるのがわかる。ねだる口調は自分でもすこしそっけないと思うのだけれど、相手は満足しているようだからそれでいいのだ。だいたい、女のようにねっとりしたおねだりの声なんて、出そうにも出せない。あれは下手に出るということだからプライドに傷がつく。女は大変だ。
 胸にぴたりと頬をくっつけて、相手と同じ方向に視線を向ける。外は夜だ。夜なのに明るい。ネオンのせいで、店やマンションについているあらゆる照明のせいで。セフィロスは人工的な明かりを好かないだろうと思う。だいたい彼は都会嫌いだ。都会の空気が、というよりも独特に汚れたミッドガルの空気が、きっと嫌いなのだ。どことなく漂っている腐敗の香り、享楽の香り、快楽の香り、そして血の匂い。……ああ、窓を閉めろと云ったのは、そのせいか。
 ほんとうは、彼にこの部屋に無理に戻ってきてもらわなくてもいいと思っている。あのうそみたいなボロ屋で、ミス・メリーウェザーと楽しく土にまみれて暮らしていればいいのに。大地を感じて、そして誰もいない自由の空気を感じて。大自然の中に、ひとりきりでいることの自由。すべてが自分自身にかかっているのだという自立を前提とした自由。精神の自由。このひとは、自由になるべきだ。ずっと前から、そう思っている。
「ボロ屋に帰んなくていいの」
 長い髪の毛で遊びながらなんでもないように云う。
「いまのところは」
「ミス・メリーウェザーが寂しいんじゃないかな」
「そろそろおれが邪魔になってきたのか」
 苦笑を浮かべて、ようやくクラウドに目をあわせた。
「そんなことないけどさあ」
 わざとらしく高い声を上げる。
「都会の空気は、たぶんあんたに合わないよ。あんたは土いじりでもしてるほうが似合ってる。おれ、ひとりでも別にいいよ。あんたは気つかってんのかもしれないけど。したいようにすればって話」
 外の物音が完全に聞こえない静かな部屋で、空調と、時計の針の音だけが小さく聞こえている。一度分解されて、もと通りにされた時計。ここは広すぎるし、静か過ぎるし、都会的に洗練されすぎている。洗練されるということは、自然の荒々しさを、捨て去るということだ。なにもかもが肌触りがよく、見目良くなるが、人間にはもっと激しいものが必要だ。放っておけば肥大化する情念のために。デカルトの云う情念のために。だからある種の人間は恋愛に、性欲に、殺戮に、犯罪にのめりこむ。都会の人間は退屈している。荒々しさを求めて、洗練された生活の中にわざと粗野なものを持ちこむ。便利な生活を可能にしているものが、人間自身の首をしめている。そういうことが、セフィロスにはばかばかしい。彼は都会ではひどく重苦しく物憂い。だからあまり好きではない。その空気も、雰囲気もだ。この部屋はどうだろうか。壁に、クラウドが打ちつけたメタリックな時計がかかっている。中で動いているギアやパーツが丸見えの時計。見るたびに興奮するとクラウドは云う。それから、彼愛用の自転車。これはまだ自転車のかたちをなしていない状態で購入されて、クラウドの手によって組み立てられ、ペンキで塗り直された。あと一年ばかりしてバイクの免許を取れるようになったら、お払い箱になるだろうか。それからクラウドが組み立て途中の機関車モデル。細かい部品がまだ周囲に転がっている。さっき脱ぎ散らかした上着が床に丸まっている。そういうものは、この部屋とは大いに不調和だ。けれども、その不調和が、この部屋の味気なさを打ち消している。
 この部屋は、好きなのだ。嫌いなのは外の空間だ。この部屋からでないかぎり、そしてふいに窓の外の空気を嗅いでしまわないかぎり、なにも具合の悪いことはない。だから彼はこれからも云うだろう、窓を閉めてくれ、と。ほかには、同居人になにも求めない。夜中に壁に釘を打ちはじめるとか、のこぎりを持ち出すとかいうことは例外としても。
「この部屋も悪くないからな」
 セフィロスは笑ってつぶやいた。クラウドはなにを思ったか、にやにやしている。
「わかった、あんた、ひとりでいるのが寂しくなっちゃったんだな」
 おおよしよし、とばかりに自分よりはるかに小さな手に頭をなでられて、複雑な気持ちになったが悪い気分ではなかった。
「しょうがないから、同居を許可するよ」
 もともとここは誰の家だったか、ということはこの際関係ないだろう。ここの主は、いまではこの少年のほうだからだ。彼はこの部屋で好きにやっている。そして彼の生み出す数々の不調和が、この部屋を心地良いものにしている。彼が注意するのはこのひとことだけだ、窓を閉めてくれ、と。